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クリエイターは目指すな

バイブルのように読み返している一冊の雑誌があります。

『サイゾー』2010年7月号です。

バックナンバーが購入できます。

この号には、かつてハイパーメディアクリエイターと呼ばれていた高城剛と、『WIRED』誌の編集長クリス・アンダーソンによる著書『フリー』の監修者である小林弘人の対談が掲載されています。

この14年前の対談で語られている内容が、生成AIが台頭する昨今いよいよ現実味を帯びてきたと思い、また改めて読み直しています。

デジタルを売るという行為がかっこ悪くなる

古い本は、ときに預言書のような役割をしてくれます。

当時日本で発売されたばかりのiPadについて、「日本ではiPad電子書籍端末というとらえ方をしている人が多い」という小林氏のコメントに対して、高城氏は以下のように返しています。

書籍代わりには重すぎるから、二回り小さい iPad mini が出ると思う。

高城剛を小林弘人が直撃!! 必聴! ハイパーすぎる「FREE」論(サイゾー)

この一節だけで、この対談が預言書であることが確信できます。

この記事のなかで最も感銘を受けたのは、何がフリーになって、何がフリーにならないか、について言及されている次の文章です。

ネットによって、本などのコンテンツが無料になるんじゃなくて、”本を売る”っていう行為がかっこ悪くなるってことだよ。

例えば、ミュージシャンがライブっていう稀少性があるリアルな行為でお金を取るのはまだいいけど、いくらでも複製できるCDを売るのって、すでにかっこ悪いじゃん。

だから、作家も、これからは文章書いて、それを売るって言うのはかっこ悪い。そうなったら、ユーザーの共感を得られないから、どうせ売れない。

高城剛を小林弘人が直撃!! 必聴! ハイパーすぎる「FREE」論(サイゾー)

ご存知のとおり、ミュージシャンに関してはここで語られるとおりの現実が訪れています。

いくらでも複製できる楽曲を売って稼げる時代は終焉し、ミュージシャンという職業の収益は、ライブやマーチャンダイズやチェキや投げ銭などによって成り立っています。

作家業についても、noteのようなサービスでテキストが気軽に販売できるようになり、猫も杓子も文章を書いて小銭を稼ごうとしている様は本当に滑稽です。いずれユーザーの共感を得られなくなることでしょう。

生成AIを使えば誰もが生産消費者になれる

毎日のように生成AIを使って文章を書いたり、絵を描いたり、音楽を作ったりしていているうちに、自己生産・自己消費にかける時間が多くなっているのを実感しています。

これの意味するところは、クリエイションという行為を消費しているということです。

かつての消費とは、誰かが生産したものをお金を払って楽しむことでした。生成AIが普及すると、デジタル・クリエイションの分野で「生産消費者 (prosumer) 」が増加します。

それ以前も、FlashやVOCALOIDなどのように、テクノロジーを使って自分でデジタルコンテンツを作れるツールは存在していましたが、使いこなすにはそれなりの知識と努力が必要でした。

生成AIを使ったクリエイションには、知識も努力も必要ありません。

自分が作りたいものが簡単に作れるという事実が浸透すれば、多くの人が自産自消で満足する生産消費者へと変化していくでしょう。

自分が理想とするコンテンツを自分で作れる時代に、誰がわざわざ他者が作ったコンテンツに対価を払うでしょうか?

生成AIを多くの人が使えるようになると、ミュージシャンや作家だけでなく、AIで生成できるデジタルコンテンツで対価を得ようとするクリエイターは、等しくかっこ悪い存在になっていくでしょう。

クリエイションが職業である時代の終焉

BtoBのビジネスでも同様の変化は起こります。

例えば、わたしたちの会社はWebサイトを制作する仕事をしていますが、Webサイトのデザイン、コーディング、コンテンツ制作などの仕事は、徐々に生成AIに置き換わっています。

近年はプロトタイピングツールやノーコード・プラットフォームが進化しており、ただでさえWebサイト制作は簡単になってきています。

自分が作りたいWebサイトが簡単に作れるという事実が浸透すれば、多くの企業がWebサイトを作るために高い経費を使うのはバカらしいと思うようになるでしょう。

自分が理想とするWebサイトを自分で作れる時代に、誰がわざわざ他社が作ったWebサイトに対価を払うでしょうか?

Webサイト制作会社だけでなく、フォトグラファー、動画クリエイター、デザイナーなど、AIで生成できるデジタルコンテンツで対価を得ているクリエイターは、等しく食えない職業になっていくでしょう。

デジタル・クリエイターという職業の終焉は、そこまで来ているのです。

デジタル化できないものをクリエイトしよう

では、わたしたちはどうしていけばよいのでしょうか?

対談のなかでの結論は、デジタル・クリエイションを無償で配布して、野菜やぬいぐるみなど、形あるものや体験を売るというものでした。

先にも書いた通り、音楽業界は既にそのようなビジネスモデルに転換しています。以前紹介したRedBullも、まったく同じ構造で収益を上げています。

これからのクリエイターは、デジタル・クリエイションを売るという発想を捨てなければ生き残ることはできません。

作業で報酬をいただける時代は終わったのです。

8月には高校生に向けた生成AI講座を担当します。学校教育の現場でも、生成AIを取り入れる動きが出てきています。

早ければ来年には、生成AIネイティブが社会に進出します。

そのとき、あなたは生成AI活用の先輩としてアドバイスができるでしょうか?それとも、手を動かすクリエイションしか認めないという老害に成り下がっているでしょうか?

今がその分岐点です。

では。

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