確かなものは何もない
今週はこのPVにジャックされていました。
「フリースタイルダンジョン」見てたので、CHICO CARLITOは知ってます…ぐらいのヒップホップ初心者の私でも、このPVの格好良さは分かります。
ジャンプ漫画から飛び出してきたかのような、キャラ立ちした4人のMCが織りなす、尖りと訛りが入り混じるリリックの応酬。そして背景に映えるのはどこか懐かしい沖縄のローカル風景。完全に男の子が大好きな世界観です。
やるワッタにしか出来ないMusic
「RASEN in OKINAWA」は、Red BullのYouTubeチャンネル「レッドブルマイク」の人気企画「RASEN」で、沖縄出身のラッパーAwich、唾奇、OZworld 、CHICO CARLITOの4人が披露したサイファーが話題になり、そこから派生して作られたPVです。
サイファーVerは一発撮り。緊張感があってこれまた良い。
以前紹介した「Red Bull Dance Your Style World Final 2022」というダンスバトルの世界大会に続いて、こちらもRed Bullの案件ということで、Red Bullのストリートカルチャーへの貢献度は半端ないですね。
改めてRedBullのオウンドメディア戦略すごい
Red Bullは売上の1/3をマーケティングに投資していると言われており、自社がスポンサーをしているスポーツをメインに、次々と「RASEN」のような企画を考案してはコンテンツ化し、公式サイト自体をオウンドメディアにして発信しています。
いったいどれだけのジャンルのコンテンツを作っているのか気になって調べてみると、実に8カテゴリー63種類ものジャンルが掲載されていました。
スポーツ、アート、ゲーム、ファッション、ミュージックなど様々なジャンルを横断していますが、一貫して「挑戦」がテーマになっています。
これは「翼をさずける」のキャッチコピーに代表される、Red Bullの世界観そのものを表現しています。企業や製品が目指すべき世界を、コンテンツを通してユーザーに提供しているのです。
製品を売り込むためのコンテンツではなく、純粋にユーザーが楽しめるコンテンツを提供しているところがポイントです。そして、これらのコンテンツを楽しんでいるユーザー層は、Red Bullのターゲット層と一致しています。
つまり、コンテンツがシェアされ続けることで、自然とRed Bullのファンも増えていくというWin-Winの関係性を築くことに成功しているのです。
これは、Red Bullの創設者であるディートリヒ・マテシッツが、1984年から1987年のおよそ3年をかけて、ブランドのポジショニングとマーケティングコンセプトを考え抜いた成果と言えるでしょう。
相次ぐ新興メディアの破綻
Red Bullが絶好調なのに反して、インターネット時代を牽引してきた新興メディアは窮地に立たされているようです。
先週、アメリカのVice Mediaは、日本の民事再生法にあたる連邦破産法の適用を裁判所に申請し、経営破綻したと発表しました。
Vice Mediaは世界30ヵ国以上に支部を持けデジタルメディアで、Red Bullのオウンドメディアと同じように、ユースカルチャーやストリートカルチャーなどの、とりわけアンダーグラウンドな部分をテーマに取り扱うユニークなメディアです。
ちょうど、沖縄をテーマにした動画があったので貼っておきます。
1994年にカナダで設立された、まさにインターネットと共に成長してきたようなViceですが、近年は広告をめぐってIT大手との競争が激しくなり、企業が広告費を削減したことなどが原因で経営状態が悪化したようです。
アメリカの新興メディアBuzzFeedもまた、経費を削減するために報道部門のBuzzFeed Newsを閉鎖すると発表しました。
Red Bullはコンテンツを配信してエナジードリンクで収益を得ているのに対して、Vice MediaやBuzzFeedの主な収入源は広告です。コンテンツで人を集めて広告費で運営していくという、従来型メディアのビジネスモデルが破綻しつつあるのかもしれません。
成功は痛みに耐え抜いた者だけが得れる
「RASEN in OKINAWA」を見て、4人の音源を聴いたり、関連動画を視聴したりして、この一週間で少しだけ最近のジャパニーズヒップホップと沖縄に詳しくなりました。
CHICO CARLITOが3年間シーンから遠ざかっていたことも、沖縄が米軍基地だけでなく、貧困、若年出産、少年犯罪など、様々な問題を抱えていることも知ることができました。それもこれも「RASEN」のおかげです。
コンテンツには人の心を動かし、行動に駆り立てる力があります。たとえメディアが衰退しても、SNSがなくなったとしても、魅力的なコンテンツはこれからもシェアされ続けることでしょう。
5年前に渋谷の路上で行われた、唾奇 × Sweet William × HIKARU ARATAのゲリラライブの様子。会場に集まった人たちの表情や歓声から、確かにその場でなにかしらが共鳴しているのを感じ取れます。
どれだけメディアが変容しても、人が人に共感するという構造は不変なのではないでしょうか。
では。
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