解析についての気付き
たまたま解析がテーマとなる1日を過ごしたことで、気づきがあった。3つの対話から来ているものなので、それぞれがリンクしないように感じているが、終わりには繋がると信じてこのまま書き進める。
1.物語づくりは解析することから。
リンダグラットンは「ライフシフト」で、変身資産という言葉を用いている。日本ではライフシフト・ジャパンからツールやワークショップが出ているので、詳細はwebで。
価値軸の変化、抑圧していた自分自身の解放、新たなる挑戦など、ライフシフトするときに必要な資産である。そのうちの1つが自分の物語をつくること。過去と現在を関係づけて因果関係を導きながら、自分にしかない物語をつくる。いまある物語が将来にどう紡がれていくのか、客観的かつ主体的に推測、妄想、行動することである。
自己受容としてよく使われる方法に、自分史づくりがある。これはライフシフトに欠かせないものでもある。
ソーシャルメディアの普及で煌びやかな物語を目にすることが増えたこともあってか、読むほどに委縮してしまうひともいる。特に女性はその傾向が強いと感じる。しかし、自己受容が目的であるならば、煌びやかに書く必要はない。過去があって現在があることを認め、だからこそ現在の自分が将来へと続いていくことを感じる。それが自分の物語だろう。どの点がどんな線を描き、どこの点と繋がったのか。四方八方を巡るたくさんの線を丁寧に辿り、自分の中にあるネットワークを言葉にしていくのは、自己解析の地道な作業と言える。
2.解析と問題を繋ぐのは専門性。
企業のダイバーシティ推進にご協力しているが、講演、研修、体感プログラムなどのほかに、見えないものを様々な手法を駆使して見えるようにしている。風土、意識、関係性などの客観的な解析。
テキストマイニング技術は、ITで働いていたときに関連する製品を扱っていたので、仕組みは理解していた。しかし、実データで実行したことで改めて認識したのは関わる人間の影響力である。解析の技術は確かに発達しており、ハード・ソフトともに高性能になったが、あくまでも処理効率であり、解析の方向性と品質の鍵を握っているのは、解析するひとの専門性と客観性である。もちろん門外漢のひとが解析する良さもあるだろうが、まずは専門性をもって解析することが先だろう。
例えば、なぜ女性の活躍が想定どおりに進まないのか、インクルージョンの風土醸成はどの程度進んでいるのか、など。
IT業界でも感じてきたことだが、問題解決に技術が活かせるからといって、技術的な専門家に直接投げてもうまくいかないことがあり、適切な業務専門家が入ることで解決が早くなる。解析するには、技術と問題をつなぐひとの能力が求められる。
3.期待しない必要性
あぁそういうことか!と感じるアハ!体験がどんなときに起きるのか。
脳科学者の茂木健一郎さんによると、どんなときに、どんな体験ができるのかをコントロールできないらしい。
しかし、1つのヒントを得たような気がした。ある女性と話していたとき、とてもうまくわたしのことを解析してくれたことがあった。彼女は聡明かつ穏健な佇まいを持つ同世代の女性。わたしは普段の行動や考えをソーシャルメディアに書くことが多いため、解析してくれるひとによく出会う。自分から解析を依頼したことはない。なんらかの興味をもって解析しようとしてくれること自体は嫌な気持ちはないが、誤解が多いと感じることや、ある特定の判断軸で語られることは苦手なほうだと思う。しかし、彼女にはもっと解析してほしいとお願いする気持ちになった。なぜなのか。ひとを理解することへの強い関心、常に多様なひとと接する蓄積された経験、ツールに依存せず自分の経験から来る確信、などが考えられらたが、なんだかしっくりこない。話しているうち、ひとつの言葉が気にかかった。
「わたし、期待していないので。」
まるで大門未知子だ。ドキッとした。わたしにとって「言われたら泣ける言葉」ランキングの1位である。
どんな解析になるか結果に期待しないこと、結果にコミットしないこと、が解析の正当性を上げているのではないだろうか。言い換えると、バイアス(先入観)が小さいのかもしれない。
まとめ
無理やりまとめる。
物語づくりは解析することから始まる。組織もひとも、ストーリー戦略が主流となった。しかし、変化の時代にストーリーは劇的に変化する。美しい話には不細工な面があって当然であり、正しさは別の正しさから見ると不正なものである。多面的なひとや組織を変化の中で未来に送り出すには、ストーリーをほぼリアルタイムに作り出す作業なのかもしれない。過去と現在と未来をつなぐ。その解析に専門性が加わると、問題と物語を繋ぐ適切な言語化も可能になる。関わるひとは、そこにポジティブなものや成功を導くことを期待しないで関わることが望ましい。ゴールを見ようとしないことが解析のコツであり、それが終わりのない物語づくりでもある。
と、ここまで書いて原点に戻った。
ダイバーシティ&インクルージョンのある場というのは、濃密でない関係性なのではないか、と以前からわたしは考えている。それは、「期待しすぎない関係」あるいは「期待するものを間違わない」ことではないだろうか。これは今日まとめる自信がないので、引き続きあたためようと思う。
応援いただけると嬉しいです。 サポートしていただいた分は若い女性の育成にあてます。