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母親という存在 #day3

お母さんも一人の人間なんだな。と実感することがあった。

大げさでもなく、私は自分の母親のことを【パーフェクトウーマン】だと思っていた。
明るくて、優しくて、自立していて、綺麗に着飾る‥そんな母親の姿にずっと憧れていた。
母親が決めたことは絶対正しいと決めつけていたし、
私の善悪の判断基準は母親だった。
私を一番近くで見てくれているこの人(母親)が
私に対して意見してくれる言葉が正論なんだ、と。

仕事を辞めて、自分の生き方を見つめ直すようになってから
そんな“母神様”信仰が一気に崩れた。
いや、実は2年くらい前から少しずつ母親の呪縛的なものには気づいていた。

今日、母親と久しぶりに買い物に出かけた。
久しぶりなのは、1年前に二人で旅行して
母親と出かけると心身共に疲れる。ということに気が付いてしまったから。

1年前に続いて愚痴が書きたいわけじゃない。
けれど、さすがにこれは、と思ったことがあった。

私の母親はかばんの中でよくモノをなくす。
今日は使いたいクレジットカードがどこに入れたかわからなくなる、というプチ紛失事件を2回起こした。
文字にすれば可愛いけれど、隣で見ていると割とイライラするのが事実。(笑)
カバンの中が決して汚いわけじゃない。
なんでわからなくなるのか?カバンを覗いてみて驚いた。

財布を合計3つも持って来ていて、1つ(長財布)はそのままカバンに、2つ(小銭用とクレジット・札用)は別のチャック付きカバンに入れている。

この時点で私の理解を超えている。見つからないようにしているのは自分じゃないか。財布の意味わかってる?カバンに財布2つを入れるカバンって何?
クレカ in which財布 in カバン in カバン…え、マトリョーシカ?

極めつけは、探していたクレカはマトリョーシカの中ではなく、
手帳型スマホケースのカード入れから、私が発見したこと。

ああ。この人、管理しているようで管理できていないんだな。
(管理したいのに、できない。が正しいのかもしれないけれど)

パーフェクトウーマンの本当の姿にガッカリ‥とかそういうことではもちろんなくて、
パーフェクトウーマンだと思っていた少し皺の増えた彼女も、苦手なことやできないことを持つ一人の人間なんだ。

安心感と、切なさが織り交ざった不思議な感情と、
自分の内面の成長を実感して、すごく新鮮な感覚を抱いた。

親子という関係性を離れて、【対等な人間】を見ている感じがした。
あぁ私も30年近くも生きているのか。


多分今までの私だったら、物をなくすことに対する時間のロスや準備不足を怒っていたと思う。
でも、今日は【母親】という存在と対等に向き合おうと思った。

「今から言うこと、受け止められなくて怒ると思うけれど、気づいてほしいから伝えるね。ままは管理しているようで、管理できていないんだよ。
管理の仕方を考えよう。どうすればいいか私も考えるから。」


自分と向き合って半年ほど経つ。
いろんな気づきを得て、自分だけの狭い世界を脱しようとしているからこそ、母親にも“気づき”を感じてほしかった。

私の伝え方は嫌味っぽくてへったくそだし、
癪に障ることを言われた母親は年齢のせいにしていた。

私が気づきを与える側になるのは、まだまだ先ですね。(笑)


年齢だとか性別だとか、自分が子供だからとか、
そんな枠組みを取っ払って、対等に話せる相手がいるって素晴らしいことだ。

母親から教えてもらったこと、してもらったことは山ほどある。
でも、母親は神様なんかじゃない。
尊敬は持ちながらも、自分だけじゃ見えない気づきを与えられる
対等な関係性を築いていけたらと思う出来事だった。


まま、今日付き合ってくれてありがとうね。

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