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2003年の夏の出来事 3

2003年 夏の出来事 1 と 2 も是非ご覧ください。

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②(次女)を帝王切開にて出産して、自宅に戻ってきてから数日たったある日の夕方、いきなり家の電気が落ちた。停電はたまにあったし、原因はブレーカーが落ちたからということが多かったので、ブレーカーをリセットしてみたのだが、電気は戻らず。停電かあ、早く復旧しないかな・・・と思っている間に夜になってしまう。幸いろうそくと懐中電灯はあったので、ともしびはあったが、外を見てみると周りのすべての家の電気がまっくら。よく見てみると、さっきまで気がつかなかったが信号も落ちていて、自動車が全て一旦停止をしているので近くの道がすごい渋滞になっている。ネットつながらずテレビも映らないので様子が全くわからず、車に行ってエンジンをかけラジオを聞いてみると、市内で大掛かりな停電が起きているということがわかった。それを聞いて母が、ちょっと市か電気会社に電話してみてよ。というので、だめもとで電話をかけてみるがオートメッセージで停電になっているけど復旧に全力をつくしていますというメッセージが流れるだけ。停電になってから数時間はクーラーの冷気がまだ残っていて涼しかったが、夜中になると暑くなってきた・・・。

翌日から少しづつ停電が解消されるエリアが出てきたのだが、わが家のあるエリアはまだのよう。家が暑くなって汗をよくかくので、①②を何回かシャワーを浴びさせていると、お湯がなくなり水になっていることに気づく。カナダを始めアメリカなどでは今でもまだお湯はタンク式が一般で、日本のように瞬間湯沸かしではない。タンクのお湯がなくなって、電気がなければ水になってしまうのだ。いくら夏でも水を浴びるのは冷たすぎるし、じゃあタオルで体を拭こうと思ってもお湯がでない。帝王切開のあとからの感染症は2度とご免なのでシャワーできれいにしたいが、仕方ない。あとは料理ができないので、夫に何か買って来てと送りだしたが、近所中どこも停電なのでレストランやコーヒーショップも開いてないし、スーパーなどもレジが打てないのでしまっているといって帰ってきた。まあシリアルとおむつの買い置きはあるし、おかげさまで母乳も出ていたので子供たちは数日はなんとかなるし、私たちも凍らしていたご飯があるから自然解凍してふりかけかけて食べればなんとかなるわとこの日は過ごす。夜になってみると、道を挟んだ前の家々にはあかりがぽつぽつと付いているのが見えた!ということは、我が家ももう時間の問題で電気が戻ってくるはずだわ!希望がみえたわ!!  今宵も真っ暗な中、②に授乳、夜行性の動物ってこんな感じで生きているのかなどと思いながら、帝王切開の跡が痛い・・。

翌朝になってもまだ電気は戻っていなかった。お昼前にピンポーンと呼び鈴がなるので出てみると、近所に住む①のホームデイケアの先生が立っているではないか!手にはおにぎりとおかずを持って。話を聞くと、先生の家はうちからほんのすぐそこなのだが、停電はたった数時間だったとのこと。昨晩我が家の前を通った時に電気がついてなかったので、ずっと停電のままだということがわかり、親切にもご飯を作って持ってきてくれたとのこと。そして、是非うちにきてシャワーを浴びてくださいとのオファーまで。明日になっても電気がこなかったらその時は遠慮なくいかせてもらいますと話したが、本当に有難かった!

結局その翌日、停電は終了。この停電はアメリカ・ミシガン州からカナダ・オンタリオ州にかけてで、北米大停電と名付けられるほどの大きな停電だったらしい。カナダ滞在中の約1か月の間に、ゴミのストライキ・SARS・北米大停電を経験してしまった母は、何がよくてあんたがここで暮らしているのがようわからん。もう懲り懲り、ここには2度と来ない。と言って日本に帰っていったという落ちがつきました・・・。(結局その後亡くなるまでに、もう一度だけ母はカナダに来ることになるのだが・・・) そしておかんはこういった経験をさせてもらったおかげで、少々のことでは動じないおかんになっているんかと思います。チャン・チャン。

ニューヨークあるある 21

スターバックスが無限にある気がする。

Have an awesome day!


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