聖徳太子の十七条憲法と稲田朋美氏の国会質問

▼前号で、「民主主義」という言葉が若くて不安定な歴史を持っていることに触れた。最近、日本国内でも「政治権力者が自己の地位と政策の正当化を訴えるシンボル」として、「民主主義」を活用するわかりやすい出来事があった。

【2018年11月1日付毎日新聞】
稲田朋美・自民党筆頭副幹事長が10月29日の衆院本会議で、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴(たっと)しとなす」を引用して「民主主義の基本は日本古来の伝統」などと主張した。しかし、1400年前の日本にそもそも民主主義という考え方はあったのだろうか。歴史をひもとくと、さまざまな矛盾が浮かび上がる。【大村健一、佐藤丈一、小国綾子/統合デジタル取材センター】〉

▼この記事の中には〈十七条憲法に国民主権や基本的人権の保障の規定はない。1条の「和をもって……」の後、3条には「詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては必ず謹(つつし)め」(天皇の命令は必ず謹んで従うこと)と、民主主義とは相いれない表現がある。〉とある。また東野治之氏(日本古代史)に取材し、十七条憲法ができる直前に制定された「冠位十二階」との関係も指摘している。

▼筆者は、稲田氏の誤りを指摘するには、「承詔必謹」の第三条を持ち出すまでもないと思う。「和をもって」で有名な第一条のみで十分だ。

〈一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成〉

この第一条全文から、必要な箇所の読み下しを『日本書紀』巻二十二推古天皇から引用しておこう。

〈一(ひとつ)に曰(い)はく、和(やはらか)なるを以て貴(たふと)しとし、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ〉

これを読むと、有名な「和」と、見慣れない「忤」という言葉が対称になっていることがわかる。

▼この第一条の意味を、久木幸男『大学寮と古代儒教 日本古代教育史研究』(サイマル出版会、1968年)が的確に読み解いている。

〈憲法第一条によれば和をもって貴(たっと)しとなすことは「忤(さか)うこと無きを宗とする」ことであり、したがって「和」の反対は「忤うこと」であるとされている。そして「忤うこと」とは具体的には「君父に順わず隣里に違う」ことであることが、第一条後段によって知られる。それゆえ結局「和」とは「君父に順(した)がい隣里に違(たが)わない」こと、つまり国家・家族の首長に服従し、共同体の掟を守ることにほかならない。仏教的な「和」とはまったく異質のものというべきであろう。そして首長への服従と掟の順守の中でとくに重視されるのは、国家の首長にたいする服従であって、これはさらに第三条において「承詔必謹」という形で具体化されている。(中略)要するに十七条憲法の根本思想は、政治の教育(および宗教)に対する圧倒的な優位性であると結論することができるであろう。〉(第八章「聖徳太子の教育思想」第二節「十七条憲法の教育思想」)

▼十七条憲法の第一条は「国家・家族の首長に服従し、共同体の掟を守る」ことを、朝廷の役人たちに命ずるものだった。もっと簡単にいえば、「下の者が上の者に絶対服従する時、万事が和(なご)やかに進むんだよ」というほどの内容である。この文言の、どこに、「民主主義」の思想が含まれているだろうか。

▼そもそも「政治の教育(および宗教)に対する圧倒的な優位性」を示す十七条憲法を、民主主義の文脈で引き合いに出した時点で、引用者の意図が「問うに落ちず、語るに落ちる」典型例になっている。

稲田氏の国会質問は、文言の上からも、文脈の上からも、現今の自民党が「民主主義」をどの次元でとらえているかがよくわかる好例だった。

(2018年11月3日)


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