「共生」と「併存」の間 群馬県大泉町のルポで考える

▼2018年11月29日付毎日新聞「記者の目」欄に、移民問題に取り組む「先進自治体」のルポが載っていた。(前橋支局の杉直樹記者)

▼〈外国人住民が約18%を占め「将来の日本の縮図」と言われる群馬県大泉町を凝視すれば、課題は山積している。このまま受け入れをなし崩しに拡大すると、各地で混乱が起きるのは必至だ。〉

〈大泉町で外国人が増えたのはバブル期の1990年の入管法改正にさかのぼる。(中略)多国籍化が進み、町内に住む外国人国籍は45カ国(10月時点)まで増えた。だが、外国人の生活支援に関しては国の総合的な制度はなく、自治体にほぼ丸投げされてきた。年金や健康保険など複雑な社会保障制度をどう理解してもらうか。医療機関の受診対応をどう支援するか。災害時に正確な情報をいかに迅速に伝達するか。就労に最低限必要な日本語を学んでもらうには。日本語を理解できない外国人の子どもたちの教育はーー。町はこうした課題に“手弁当”で対応してきた。〉

▼大泉町の努力には、他の自治体がこれから学ぶべき点がたくさんある。しかし、国による丸投げ状態は続いており、現実は厳しい。

〈群馬県が実施した2016年の住民意識調査によると、町では、「外国人住民との関わりは深めるべきか」との問いに「生活上必要最低限はしたほうがよい」との回答が約半数だった一方、「どう関わりたいか」との質問には「あまり関わらないようにしたい(関心がない)が4割、「積極的に関わっていきたい」はわずか7%。共生というより、互いに極力干渉しないで暮らしている“併存”の実情が見え隠れする。

〈村山俊明町長は板挟みに悩む。「町に来た時点でみな同じ住民。Jアラートで、翻訳しなかった国の人だけ逃げ遅れることがあっていいのか。同じ税金を課す以上、公正公平に扱わないと国際的な人権問題になる」〉

この村山町長の言葉には重みがある。筆者はこの記事を読んで、キーワードは「併存」だと思った。日本がこれから抱える本格的な移民問題は、「共生」と「併存」との振れ幅の間でさまざまな知恵を出す努力がとても大事なのだと感じた。

「併存」状態を維持しつつ、どう「共生」状態に近づけるか。これは終わらない努力であるが、この努力を放棄した時、「併存」から「排除」までは、ほんの数歩だろう。

「やまとだましい」という言葉のもともとの意味を考えた時、日本人にとってこの努力は、決して苦手なものではない。
(2018年12月12日)

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