排除と、併存と、共生と タトゥー裁判から考える

▼入れ墨ーー最近はタトゥーといわれるーーの彫り師が医師法違反に問われた裁判で、大阪高裁が逆転無罪の判決を出した。彫り師の主任弁護人を務めた亀石倫子(みちこ)氏のコメントが興味深い。2018年11月26日付朝日新聞。

「(タトゥーを)嫌いなら嫌いでいいけれども、地裁判決のように排除するのは行き過ぎだ、ということです

▼これはタトゥーや入れ墨に限らず、今起きているさまざまな問題に通用する話だ。たとえば政治の議論についても、移民についても、同じ論理だろう。

「逆転無罪とした今月14日の大阪高裁判決はタトゥーの歴史に目を配り、彫り師の訴えに耳を傾け、「反社会的職業ではなく正当な職業活動」とまで言ってくれた。偏見によらず、積み重ねた事実と主張をきちんと評価してくれた結果だったと思います。/最近、温泉などで「タトゥーはシールで隠して下さい」という所が増えました。「やっぱりタトゥーはダメなんだ」という受け止めもありますが、私はむしろ、一歩前進だと感じています。だって、「隠すんだったらいいよ」ということでしょう。/少しずつですが、共存の動きが広がっている。これでいいんです。人の意識は、ちょっとずつ変わるものだと思っています」

▼これはまさしく「あいまいさへの耐性」を鍛えるよい例になる。排除と、併存と、共生と。どこで折り合いをつけるのか。どうつきあっていくのか。亀石氏の言葉はとても当たり前の言葉に過ぎない、といえばそのとおりなのだが、ここからいろいろな知恵を引き出すべき、一つのキーワードだ。

(2018年12月7日更新)

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