日本は優生思想に寛容である件(6)ひきこもりの本人が一番「つらい」と思っている
▼ひきこもり傾向にあった息子を殺した元農林水産事務次官に、懲役6年の判決が言い渡されたのは、去年(2019年12月)のことだった。
2カ月も経つと、だいたいのニュースは「ああ、そんなことがあったなあ」という印象になる。
▼去年の8月に、筆者はこんなメモを書いている。
〈日本は優生思想に寛容である件(5)無知でデマを騒ぎ立てる人が多すぎる〉
これは、ひきこもりが人間扱いされていない日本社会の現状に対して、現役の厚労大臣が危惧するコメントを発した(2019年6月)、という話だ。半年以上も経つと、忘れている人も多いし、そもそも知らない人も多いだろう。
▼2019年12月17日付の朝日新聞〈追い詰められた親子 道は他にも〉に、いいコメントが二つ載っていた。(有近隆史、中村靖三郎、編集委員・清川卓史)
▼一つめは、精神科医で筑波大学教授の斎藤環氏。息子を殺した父親が、息子に対して、ツイッターで「親の財産で生活していていばるな」などとダイレクトメッセージを送ってたことについて、
「『お前のことが恥ずかしい』と言っているのと変わりない。ひきこもっている本人が一番自分を恥じ、つらいと思っているということに認識が及んでいなかったのでは」
とコメントしている。その可能性は高い。ここで大事な点は、「ひきこもりの本人が一番つらいと思っている」という事実である。
▼もう一つは、「ひ老会」という集まりを主宰する、ぼそっと池井多氏。息子を殺した父親について、
「被告に本来科すべき刑は、懲役刑ではなく、ひきこもり当事者との対話だ」
筆者にとってはこの一言が、元次官の長男殺害事件をめぐって最も痛烈な一言だった。ぼそっと池井多氏は、息子を殺した父親の、元事務次官としてのスキルを、こうした事件を減らすために生かせるような道を開くところまで展望している。
▼ひきこもりの当事者に対しても、薬物依存の当事者に対しても、日本社会は、あまりにも「対話」の姿勢が欠けている。彼らを自己満足のための道具として使い、人間扱いしていない。
そうした寒々(さむざむ)とした現実に、差別している本人が気づいていない、というところに、優生思想の恐ろしさがある。
ふだんは意識すらしない、すでに当たり前になっていることが「思想」である。
元事務次官の息子殺しは、意識せざる優生思想の一つの結末といえる。
▼ところで、朝日新聞の見出しは〈当事者との対話こそ償(つぐな)い〉となっていた。しかし、当該記事に「償い」という言葉は使われていない。
(2020年2月6日)