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王将戦で「みんなAIに振り回されすぎ」るだろう話

▼いよいよ将棋の第72期王将戦が始まる。きょう2023年1月8日からだ。

20歳の藤井聡太五冠に、52歳の羽生善治九段が挑戦する。

羽生氏が王将に返り咲けば、タイトル通算100期という大記録である。「夢の対決」とか「黄金カード」とか言われているが、それらは大げさな表現ではない。2023年の時点で、これ以上に将棋ファンが盛り上がる対戦カードは存在しない。2023年1月7日配信の毎日新聞記事から。適宜改行と【】太字。

令和と平成の「王者」、タイトル戦で初対決 王将戦、8日開幕〉2023/1/7 20:52
〈年明け最初の将棋タイトル戦となる第72期ALSOK杯王将戦七番勝負第1局(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催、ALSOK特別協賛、囲碁・将棋チャンネル、立飛ホールディングス、森永製菓、島田掛川信用金庫、ゼロの会、掛川市協賛、掛川市教委、静岡新聞社・静岡放送後援、小原建装協力)が8、9の両日、静岡県掛川市の掛川城二の丸茶室で指される。令和に入って初タイトルを取り5冠を保持する「令和の王者」藤井聡太王将(20)と、平成元年に初タイトルを獲得して以降、通算99期を誇る「平成の王者」羽生善治九段(52)が、タイトル戦の舞台で初対決する。

 藤井王将は、前期七番勝負で渡辺明名人(38)から王将位を奪取して10代初の5冠となった。その後、他の四つのタイトルを防衛し、王将戦の舞台に戻って来た。これまで11回のタイトル戦を全て制している。棋王戦五番勝負で渡辺棋王に挑戦することも決まっており、2月からは二つのタイトル戦を同時に抱える。

 一方の羽生九段は、2021年度はデビュー以来初めて年間勝率が5割を切るなど成績を落としたが、22年度は王将戦リーグで並み居る若手実力者を破って6戦全勝で7年ぶりの王将挑戦を果たし、棋王戦でも4強入りするなど復調ぶりを見せている。両者の対戦成績は藤井王将が7勝1敗。

 両対局者は7日に掛川市に到着し、対局室を検分した後、記者会見に臨んだ。藤井王将は「羽生九段は将棋界のスーパースターで、七番勝負の舞台で対戦できることはとても楽しみ。注目してもらえるシリーズになると思うので、期待に応えられるようないい内容の将棋にしたい」、羽生九段は「ひのき舞台に立つ機会に恵まれたので、それにふさわしい中身の濃い将棋を指せたらいい。藤井王将は最近さらに強さを増している印象だが、自分自身で対局して体感していく」とそれぞれ抱負を語った。

 8日は、振り駒で先手番を決めた後、午前9時に対局開始。午後6時に指しかけとなり、9日に指し継がれる。持ち時間は各8時間。立会は久保利明九段、解説は神谷広志八段、記録は中沢良輔三段が務める。【丸山進、武内亮】〉

▼現在、羽生氏は順位戦ではB級1組で3勝5敗と苦戦している。しかし、王将戦の挑戦者決定リーグでは、なんと6戦全勝で挑戦に名乗りを上げた。対藤井聡太戦にピタリと照準を定めていることがわかる。

▼この王将戦で、おそらくマスメディアの報道は将棋の歴史上、最高に盛り上がるだろう。毎日新聞はラッキーだった。これまでの対戦成績は新聞報道にもあったように、藤井氏が7勝1敗と大きく勝ち越している。これまでのタイトル戦は11連勝で無敗。筆者は羽生氏が藤井氏に4勝する可能性はゼロに近いと思うが、もちろんゼロではない。

▼今回の王将戦の報道は、間違いなく画期的なものになる。まず、オンライン中継で、もしかしたら1000万人を超える人がリアルタイムで推移を見守ることになる。そんなことは将棋の歴史上、一度もなかった。「量」が「質」に転換する瞬間がある。王将戦以降、将棋の報道はこれまでと質的に異なるものになるだろう。

そしてもう一つ、オンライン中継を楽しむ人たちも、解説する棋士たちも、避けて通れない情報がある。それは「AIの評価値」だ。

「見る人の数」と「AIの評価値」。かつてない大舞台で、この二つの要素が交差する時、何が起きるだろうか。

▼AIの評価値は、とても便利だ。しかし同時に、しばしば【AIの評価値は人間の勝負には関係ない場合がある】。

ここは、将棋の中継を見たことのない人には、わかりにくい。とはいえ、一度見れば、誰でもわかる。誰も彼もが「AIの評価値」に左右されざるをえないのである。

「人間の勝負と評価値との関係」について考えるうえで有益な「将棋の解説」を、最近、二つ読んだ。

▼一つめは、携帯電話のアプリ「将棋連盟ライブ中継月額課金版2」で、2023年1月1日に配信された「名局探訪」から。

「約54年前、指し初め式の翌日に行われた大勝負がありました。加藤一二三九段が初タイトルを獲得した、第7期十段戦七番勝負第七局」ーー大山康晴十段と加藤一二三八段の対局である。3勝3敗のタイで迎えた最終局。1969年1月6日と7日の2日にわたって行われた。

▼解説は飯塚祐紀七段。一局を振り返ってのコメントが秀逸だった。キーワードは「自分で考える」だ。適宜改行と【】太字。

▼聞き手から「いまの奨励会員や棋士も加藤、大山将棋を並べて糧にできますか」と問われて、飯塚氏は「できると思います」と答える。

「いま棋譜を並べても、当然ながら加藤先生も大山先生も強い。そこで疑問に思うのが、どうやって棋力を高めたかということです。現在は将棋ソフトや棋譜データベースがあり、公式戦が中継されて、実戦を指す機会にもたくさん恵まれています。大山先生と加藤先生のころは、それらが一切ない世界です。

おそらく自分ひとりで考えるしかなかったはずで、それでこれだけ強くなれるものなのかとうならされます】」

また、「相掛かりで将棋ソフトを源流にした8七金型が流行っていますが、あれは奨励会員の大山が類型で指していたものです。1936年に10代の少年が平然と組んでいたのはすごみを感じます」という聞き手のコメントに対しては、

「そうなんですよ。何でわかっていたのでしょう。とにかく、大山先生は強い。駒の能力を最大限に引き出すセンスを感じます。

現代の話に戻しますと、ソフト研究が全盛です。これはいずれ、一段落するはずですよ。【みんなが同じことをやれば、差がつくのは結局は個人の力になりますから。自分で考えることが問い直されて原点に立ち返ったとき、参考になるのは大山先生や加藤先生の生き方、先人の知恵ではないでしょうか。】」

▼そして、加藤一二三氏の将棋人生について「加藤先生は熱心に詰め将棋に取り組まれていた気配はないですし、ましてや研究会や練習将棋を指していたというのも聞いたことがない。恐らくひとりで研究を積み重ねていたのでしょう。

自分で考える、それが原点にして最高の方法であるはずなんです。私たちが大棋士から学ぶことは大いにあると思います。】」

▼十五世名人の大山康晴がいかに巨大な存在だったのかは、これからさらに強く印象付けられるのかもしれない。

あの羽生善治氏でさえ、A級からB級1組に陥落してしまったのだが、大山氏は69歳でA級に在籍したまま死んだ。また、【50代で22回、タイトル戦の番勝負に臨み、11回もタイトルを獲っている】。破格の強さだったことがわかる。

その壁に、今日から羽生氏が挑むわけだ。

▼もう一つは、「将棋世界」2023年2月号に載った、第35期竜王戦の決着局となった第6局の解説から。担当は藤井猛(たけし)九段。

ちなみに現在、棋士の中で抜群に解説がうまいのは木村一基九段と藤井猛九段の二人である。将棋ファンへの愛情が感じられ、その語り方は芸の域に達している数瞬がある。名勝負の退屈な解説を聞くより、名局とはいえない対戦の二人の解説を聞くほうがためになる。(この二人に続く解説の名手として渡辺明名人を挙げておく)

▼さて、竜王戦は、藤井竜王に広瀬八段が挑み、藤井竜王が4勝2敗で防衛した。タイトル戦の7番勝負で藤井竜王が2敗したのは初めてだった。しかし藤井猛氏は「それでも完勝に近かったと思います」と評する。

筆者が蒙を啓かれたのは、第6局の分岐点となった2日目朝の分析だ。後手・広瀬八段の封じ手3八銀に対して、先手・藤井竜王が4六飛。広瀬八段は、たった18分で3七銀と指すのだが、これが敗着だったと藤井猛氏は判断する。予想していない手を指されて、広瀬八段が「思考停止っぽくなっていたのかもしれません」と。

▼この後、広瀬八段はほぼ2時間に及ぶ大長考に沈むのだが、ここで藤井猛氏は重要なことを指摘している。今回の藤井猛氏の解説は、「人間とAIの関係論」でもある。

「(感想戦で広瀬八段は)手が広くて複数の選択肢があって正解がわからなかったということでしたね。ただ控室はAIの評価値が先手に振れたことを知ってしまっているから、どうやっても後手がつらいよね、という雰囲気になる。だから広瀬八段の心境がわからないんです。

広瀬八段は正しく指せば自分がいいと信じて長考していたのに、控室は苦しんでいると見ている。後手変調とか、先手2六角を軽視していたとか、何が誤算だったのか、とか。

実際に指している対局者の気持ちとそれだけ離れてしまうと、いくら評価値が正しいとしてもどうなのでしょうか。自戒を込めて言いますけど、みんなAIに振り回されすぎなんですよ」(16頁、カッコは引用者)

さらに、この少し後で見出しになっているが、将棋は「評価値ほど簡単じゃない」し、「先手勝率90%と示す評価値は正しいかもしれないけど、人間には関係ない気もしますね。藤井竜王以外にすんなり勝てる人はそれほどいないでしょう。完璧に指してこその勝率90%なんです」(18頁)という同氏の見解も、とても重要だ。人間は完璧ではないことを、AIの評価値は忘れさせる。

▼それにしても、評価値によって棋士の心境がわからなくなる、というのは厄介だ。たとえば、スマホで中継を見ている人が、「右側の人は、評価値が下がったから、劣勢を自覚して、悩んでいるのだろうな」と思ったとしても、戦っている本人の認識は「さあ、これからだ」だったり、「ちょっとよくなったかも。指す手が多すぎて困る」だったりする。

解説する棋士ですら、将棋を見ているようで、評価値を見ているわけだ。そのせいで、見当違いやピンボケが増えてしまう。いわんやスマホで中継を見る人においてをや。

当たり前の話だが、対局中の棋士はAIの評価値を知らない。盤面に没入している。いっぽう、対局を見ている数百万人は評価値を知っている。オンライン中継の画面に映し出される、あの対戦型格闘ゲームのライフゲージのような評価値の明快さも相俟(あいま)って、どうしても「評価値ありき」のアタマで見てしまう。将棋の興行に、思わぬ難題が起こっている。

▼AIの評価値は格闘ゲームのライフゲージではない。たった一手でひっくり返ってしまう。その緊張の海に身も心も浸(ひた)しながら、一対一で孤独に戦う棋士と、彼らを見守る人々との距離を、もしかしたらAIの評価値は、かえって遠ざけてしまったのかもしれない。

評価値の呪縛が、対局中の棋士の心境をわからなくしてしまうのだとすれば、このカラクリは、興行としての将棋の魅力の、奥行きや幅を狭めつつある。

もっとも、「藤井一強」の時代がしばらく続くとすれば、解説を含めた興行のあり方は、必然的に変化を迫られるだろう。

▼対局中の棋士が、どう指し手を読んでいるのか、何を思っているのか。そして、自分はオンラインで盤面を見て、時々刻々と変わる局面をどう考えるのか。これら将棋の楽しみの根本であり、苦しみの根本でもある「自分で考える」という人間の領分に、じつは「AIの評価値」はほとんど関係しない。

たしかに評価値は、たとえば人間の気づかない「死角」を教えてくれる。ただし、それは「自分の指し方」とは直接関係ない。関係あらしめるのは「自分の努力」だけである。藤井猛氏はこの解説記事で、説得力のあるロジックを示してくれている。

「有利な局面から勝ちきる場合に、すごい手が狭まっているケースが多いでしょう。(AIは)人間離れした手を指せることが前提で組み立てているので、すべてを完璧に指して1つの作品になるわけですよ。だけど同じように指せない人が真似すると、ぐちゃぐちゃな棋譜になってしまう。私は、AIと同じ棋力でない人間がAIの真似をするのは疑問だし、空しいんじゃないかと思ってしまいますけどね」(13頁、カッコは引用者)

▼藤井猛氏の指摘は、将棋にとどまらない普遍性を有している。将棋の一手も、たとえば読書のテキストと同じく、「コンテキスト=前後の文脈」が大事だ。一手ごとに揺れ動く評価値は、見る側に「考える力」が欠けていると、一局の文脈を寸断してしまう。

機械に左右されない、楽しむための基準や軸を持つ人が増えれば、将棋という文化は、さらに奥深く、豊かになる。おそらく、その軸を考え続ける努力が、将棋の報道を、そして将棋の興行を、より面白くする。2023年の王将戦は、そのためのまたとないチャンスだ。

(2023年1月8日)

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