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29歳、無職、独身、初投稿

 創作界隈の人たちが素敵な文章や、詩的シャレオツ記事を公開しているのを見て、「ええなぁ~~ワイもやってみよ!!!」と2年くらい前にアカウントを開設したnote。しかし、ワイの素晴らしき怠け才能と天才的な面倒くさがりのせいで、結局、2年間一度も投稿したことがなかった。2年て。

 今回、ちょっと投稿してみるか~~!!と重すぎる腰を上げて、パソコンの電源まで点けることができたのは(電源を点けることすらハードルが高い)、何を隠そう無職になったからである。29歳。無職。独身。人生崖っぷちすぎる。

 自分が書きたいこと、記録に残しておきたいこと、ちょっと聞いてほしいこと、あと、有難くもツイッター(頑なにXと言わない)で質問を頂いていたこととかを、のんびり書いていきたいと思います。宜しくお願いします。



何はともあれ自己紹介

 小浦(おうら)といいます。脳内では浜辺美波みたいな見た目のはずなんだけど、残念ながらチベットスナギツネみたいな顔をしている。つれぇ。どうしても浜辺美波になりたくて髪まで切ったのに、鏡にはチベットスナギツネにおかっぱのカツラを被らせた無職がいた。つれぇ。

この画像って有名だけど著作権とか大丈夫なのだろうか。

 もう何回も書いているけど、29歳。職なし金なし彼氏なしの三重苦。最悪なヘレンケラーである。いわゆる限界女ってやつだ。

 でも、幸い友達はいる。シナリオや小説を書くのも好き。コンクールに応募するのが楽しい。何回かコンクールでそこそこ良いところまで残ったこともある。最終的に全部落ちてるけど。(しにたい)

 今回、初めてnoteを投稿するにあたって、何を書こうかな~~とウダウダしていたとき、ツイッター(頑なにXと以下省略)で、フォロワさんからDMを貰った。

「小浦さん、ぶっちゃけ、なんの仕事していたんですか?」

 実は、こういうDMを貰ったのは初めてじゃない。働いていたとき、私が毎日毎日仕事の限界ツイートしていたからである。

 尾崎豊の『15の夜』を何気なく聴いたときは、「豊、わかるぞ。おれもアホンダラ上司のバイク盗んで走り出して、夜の弊社の窓ガラス壊して回りたい」とツイートしていた。地味にイイネ貰った。ありがとう。イイネ!

 今まではあまりにも身バレが怖すぎて、めちゃくちゃに隠していたし、「取引先」「お客様」とかいう引っかからないであろうワードを使ってコソコソ愚痴を言っていた。必死すぎる。だから普通の会社員だと思われていたし、私もそう思われるようにツイートしていた。

 ただ、今回、記録用というか。まぁnoteになら何を言ってもエゴサみたいなのはされねぇだろうと思って、ぶっちゃけて書いてみることにした。別に興味ねーよ!!って人の方が大半だと思うので、本当にあくまでワイの記録用ってことにさせて欲しい。


保育士という修羅

 底辺仕事ランキングの常連、保育士。キツイ、汚い、給料安いの3Kとは上手いことを誰かが言ったなぁと思うもので。そんな保育士で5年間働いていた。結論から言うと、修羅の道だった。

 こういうことを言うと、保育士やってるキラキラアカウントとかに「保育士を悪く言わないでください!」「子どもに失礼ですよ!」とか絶対言われるんだろうけど。うるせぇ! 今は私の話をしているんだよ!!!

 もちろん場所にもよるのかもしれんけど。少なくとも私は5年間、辛いことの方が多かったと思う。楽しくて幸せなことももちろんあったけど。

 あと、これだけは言っておかなきゃいけないのは、当たり前だけど子どもはハチャメチャに可愛かった。中でも自分のクラスの子たちは、本当に目に入れても痛くないくらい可愛かった。テレビで「かわいい~~!!」と言われてる子役を見ても、「どう考えてもワイのクラスの子たちの方が可愛い」とよく思ってた。5年間、世界一可愛いクラスの担任をしてきた。

 じゃ、なんでそんな地獄みたいなこと主張するねん……というと、それこそ私も記録用として残しておきたいから書いておくのだ。やりがい搾取で盲目になってしまうことが多い職業だし、自分自身も麻痺してきてしまっていた部分があったので。それに付き合ってくれるというのなら、聞いてくれ、おれの話を。


綺麗事は経験してないから言える

 保育士になりたい!と思ったのは、中学生のときだったと思う。
 私は暴力が日常の家庭で育ったので、子ども時代の家族の記憶は、やっぱり辛いことの方が多い。こんな思いをする子どもを減らしたいな、と思い、将来は子どもをケアできる仕事をしたいと考えたのが始まりだった。

 最初は精神科医や児童心理カウンセラーの道を考えていたけど、なんかの本で『精神ケアは既に心に深い傷を負った人が来るところ。まずは保育園や小学校の先生たちが、子どものSOSに気づいてください」という文章を見て、これだ!!!と思った。

 脳内お花畑で、人へのケアではなくまずは自分を見つめ直そうとか、そういうことから目を逸らしていた私は、その日から進路を変更。保育学校に入学することを夢見て、実際に合格し、なんやかんやで無事に保育士資格を習得した。ピアノの単位がマジでヤバかった。『どんぐりころころ』を弾いたら「お前のどんぐりは転がってない」と言われたのをずっと覚えている。何その「お前はもう死んでいる」みたいなやつ。

 就職したところはもちろん保育園。子どもはもちろん、親の気持ちも救いあげる保育士になるんだ! とか、なんかそういう恥ずかしいことを本気で思っていたのである。傲慢すぎる。


実際に現場を見て

 まぁ……もう……はい…………。個人情報がバレない程度に書くけど。まずはもう仕事量がエグかった。

 入社した当日から、私はクラス担任。右も左もわからんのに、なんなら数日前まで学生だったのに、今日から20人の命を守らなきゃいけないのである。小学校とかもそうだけど、ほんとこの仕組みなんとかならんのかね。毎年、何人の新卒が泣いているのだろうか。

ザッとどんな仕事をしていたのか、試しに書き出してみる。

  • 担当クラスの年間カリキュラムの作成

  • 毎月のクラス指導案(月案)

  • 子ども一人ひとりに沿った指導計画書(個別指導案)

  • 障害児個別支援計画書

  • 毎週の保育計画案(週案)

  • 日々の保育のねらいと反省(日案)

  • 児童票の作成

  • 保育準備と環境設定

  • 自治体の定める研修参加

  • クラスだより作成

  • 避難訓練

  • 運動会や発表会などの大きな行事計画

  • 誕生会や節分などの小さな行事計画

  • 毎週の職員会議

  • 地域の育児相談会

  • 毎日保護者に渡す連絡帳の記入(乳児クラス)

  • アレルギーの子どもの把握・医師の指導のもと投薬

  • 虐待児童の把握と、児童相談所との連絡

  • 心理的に不安定な保護者との育児相談、面談や保護者支援

  • モンスターペアレントの対応

  • 発達障害やグレーゾーンの子どもの把握と療育への連絡

  • トイレトレーニング(主に乳児)

  • 早番遅番の職員配置

  • ピアノの練習

  • 販売する子どものアルバムの写真撮影

  • 給食室との食育会議

  • アナフィラキシーショックの際のエピペンや人工呼吸の練習(毎週)

 忘れてる仕事とかあるだろうけど、ザッとこんな感じだった。誰やねん「子どもと遊んでるだけの仕事」とか言ったやつ。遊んでるだけのことをやりてぇよ。

 あと、これは完全に余談だけど。
 遊びの中にも、例えば粘土遊び一つとっても、指先でちぎったり丸めたりする細かな動きから、ボタン掛けやシール剥がしの運動に繋がって欲しいってねらいがあったりする。
 段ボール遊びは、わざと色の違う段ボールとかを用意することで、あえて子どもたちがケンカするように設定した。友達の意見を聞いたり自分の意見を主張したりする機会を、遊びの中で作ったりしているんです、保育士なりに。ただ遊んでるだけじゃなくて、遊びの中にも日々ねらいがあるってことを言いたい。余談だけど。

 そんなこんなで、毎日毎日終わらない日々だった。さすがに2年目からは効率よく動けるようになったけど、1年目には泣けてくるくらいの仕事量だった。マルチタスクすぎる。ほんとマルチタスクが苦手な人は教職に就かない方がいい。

 子どもの午睡中に一気にやればええやろと思う人もいるだろうけど、考えて欲しい。相手は子どもである。やっっっと全員寝かしつけられた!と思っても、5分後には「おもらししちゃった」と起きた子どもの布団を消毒し、その10分後には「怖い夢を見た」という子どもが泣き出し、その泣き声でクラス全員が起きるのである。自分の休憩なんてなく、給食も子どもと一緒に食べていたので、なんかもう最初は色々と限界だった。入社当初は毎日トイレで泣いてたので、先輩から花子って呼ばれてた。

 もちろん子どもは何も悪くないし、おもらしも泣き声も責めたことなんて一度もない。ただ、脳裏で「今日も出来なかった」とか思ってしまう自分に自己嫌悪をするのである。よく「集中してやればいいじゃん」とかいう人は、子育てにおける予定通りにいかないストレスを、誰かが代わりに担ってくれている人だと思う。

 なんか愚痴が止まらなくなってきた。あかん。読んでて楽しくない。
 
 私は最初の3年間は乳児クラス、後半2年間は幼児クラスを担当していたのだけど、乳児も幼児もそれぞれ別の大変さがあると思う。要するに、子育てに楽な時なんてない。世のお母さんお父さんたちは、自分たちは本当に凄いことをしているのだと、もっと自分自身を褒めてほしい。少なくとも私は、子どもを育てる大人は全員本当に尊敬している。すごい。

 思い返せば、モンスターペアレントに何時間も怒鳴られたこともあったし、子どもの障害に落ち込むお母さんと一緒に泣いた日もある。虐待対応は本当に心をすり減らされた。子どもに「先生のこと、ママって呼んでいい?」と聞かれたときは、どう返せばいいかわからなかった。毎日痣を作って登園してくる子どもを園で受け入れる自分の無力さや、何度連絡しても動かない児相に腹が立ち、眠れない夜を過ごしたことがない保育士はいない。児相も絶対大変なんだけどね。わかるよ。

 運動会とかの行事は「これはやらせなきゃいけないっていう大人の都合じゃないのか?」「私、クラスを軍隊みたいにさせてない?」と不安になった。行進を教えるのが半端なく嫌だった。子ども全員を笛に合わせて同じ動きにさせるとか、気持ち悪すぎる。右を向けと言ったら全員に右を向かせることは、本当に教育と呼べるのだろうか。

 これに関しては上司に反抗したけど、子どもが小学校に進学したときに困るからと却下だった。日本の教育のこういうところ直していった方がいいと思う。マジで。

 クラスでイジメが起きたときは、子どもながらにちゃんと人間なんだと、どうやって向き合えばいいのだろうと悩みすぎて熱を出した。今でも自分の対応は本当に正しかったのかどうか悩んでいる。正論だけで押し通せるほど、人間関係は簡単じゃないから。

 コロナのときはも~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~政府や自治体にめちゃくちゃ腹が立った。
 初期の頃はコロナがどんな病気なのかもよくわかっていなかったし、情報があまりに混乱していたし、志村けんさんが亡くなったのもあって、感染したら死ぬのだと思っていた。たぶん、みんなそういう理解だったと思う。

 で、保育園には医師や看護師さんのお子さんもいる。うちの園はもちろん受け入れ拒否なんてしていない。けど、やはり自分たちも医療従事者の方々と同じように、感染に誰よりも気を付けなきゃいけないと思った。私が感染したら、クラスの子たちが死ぬのだ。責任が重すぎる。

 自治体からは「おもちゃの消毒を徹底してください」と言われた。子どもが遊んだおもちゃは全て消毒。つまり、パズルのピースの1つひとつから、レゴブロックの1つひとつまで。おもちゃを制限しているクラスもあったけど、私は子どもが好きだと言っているおもちゃをこちらの都合で出さないのは嫌だった。トイレは1日2回掃除していたし、日ごろから使っていた消毒液の濃度を上げたので、手荒れが凄まじいことになった。

 在宅ワークが主流の中、もちろん保育園に在宅なんてない。警察官や消防士の家の子もいるのだ。
 しかし、子どものいる保育士さんたちは、お子さんが休校で家にいるからと出勤ができなくなった。結果的に少なくなった人手の中で、今までの倍の量の仕事がのしかかる。その癖に「休園にはするな」と指示する自治体。
 友達の保育園は「コロナ感染者が出たから休園にさせて欲しい、子どもも職員も感染してしまうし、もう限界だ」と話したら、隠蔽しろと言われたらしい。ちなみにこれはニュースにもなった。

 で、そのくせ、結局保育士は慰労金はゼロ円だった。もらえた自治体もあったらしいけど、うちの自治体からは貰えなかった。代わりにアベノマスクを3枚多くもらえた。いらねぇ~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!

 なんか、ほんと、舐められた職業だよなって。いないと困る癖に、低賃金で働かされる駒かよと。なんかもうこの辺りから本気で辞めたくなっていたけど、それでもコロナで仕事を辞めなかったのは、やっぱりクラスの子が世界一可愛かったからだ。
 マジで可愛い。私のクラスが世界一可愛い。どんなことでも頑張れる気がした。してた。やっぱり綺麗ごとだろうと、子どもの拠り所になれる先生でいたかったのだ。

 愚痴すぎる。ごめん。


女社会で生きるということ

 保育園での退職理由第1位は、人間関係だという。

 そう。そうなのだ。この業界はクソバbゲホンゲホンお姉さまたちがまだまだたくさんいるのである。もちろん私の職場にもいた。古い価値観としょうもねぇプライドで若い子をいじめるババァには絶対なりたくない。

 私は『女だから』『男だから』とジェンダーでくくられる事はあまり好きではないのだけど、それでも思う。女社会ならではの陰湿さは、ある。絶対ある。看護師さんも本当に大変だと思う。

 ここでクソバbゲホゲホお姉さまたちから、私が何をされたのかを書き出すと、マジで止まらなくなりそうだし、本題からズレまくっていくと思うので割愛する。結局は全て私の主観で語られることだし、身バレも嫌なので。
 でも、どんなにクソババァたちから嫌味を言われても、自分が保育士を続けてこられたのは、先ほども話した通り子どもが可愛かったことと、園長がめちゃくちゃ好きだったからだ。

 園長。園のトップ。この人がどんな人かで、園の雰囲気は180度変わる。幸い、私の園の園長は誰よりも仕事ができる、頼りになる人だった。マジで好きだった。コロナのときは誰よりも消毒作業をしていたし、保護者に優しく寄り添い、私たち職員のことも大切に思ってくれていた。そう、本当に上司に恵まれていたのだ。4年目までは。

 なんと。私が5年目になったとき、園長が他県へ異動になった。

 泣いた。大泣き。家に帰って床に転がって泣いた。
 ストロングゼロめちゃくちゃ飲んだ。なんかもう一緒に辞めることも考えた。退職願まで書いてたし。この人の元で働けなくなることが耐えられんかった。

 でも、結局私は残った。
 入社1年目のときに担任を持った子どもたちが、あと1年で卒園だったからだ。あの子たちの卒園式をどうしても見たかった。それが地獄の始まりだったけど。

 3月。号泣しながら別れた元園長。
 4月。新しく来た新園長は、もう世紀末なくらい仕事のできん人だった。

 新園長、子どもの名前は覚えないし、給食室に出す食物アレルギー児の書類は別の子どもと間違えて提出するし、多動(ADHD)の障害の子には「座れって言ってんだろ!」と怒鳴り散らすし、研修は「寝坊した」とすっぽかすし、保護者面談ではうつ病の保護者に「もっと頑張りなよ」とか言うし、遠足は施設の予約を取り忘れてあわや中止になるところだったし、小学校から預かった重要書類は紛失するし、大ミスして今から謝罪に行くときってときの服装はジャージだったし、そのお詫びの菓子折りは200円のピュレグミだったし、モンペ対応には火に油の発言ばかりして4時間怒鳴られるし、虐待児対応なんてここでは書けないけどニュースになるレベルのことをやらかした。

 今までどうやって生きてきたのだろう。

 何より忘れられないのは、不審者騒動。
 酒に酔った男が、園に入ろうとしたことがあったのだ。大声で怒鳴り散らしていて、振り回すカバンには何が入っているかわからなかった。もしかしたらナイフだったのかもしれない。
 しかし、あのポンコツ園長は、「私、今日半休でコンサート行くから帰るね、よろしく」と、大泣きする子どもや震える職員を置いて、裏口からマジで帰ったのだった。

 警察に連絡とか、自治体に報告とか、保護者に周知とか、近隣の子ども施設に注意警告とかせずに、マジで帰った。コンサートがあるから。

 いや、いいよ。プライベートは大事だよ。でも私達は親御様から親御様の命より大切な宝物を預かっているのだ。プライベートが優先できない仕事でもあるのだ。

 この仕事をしている以上、私はいざというときに子どもの代わりに死ぬ覚悟はできているけど。それでも。「小浦先生、怖いよぉ」と泣く子どもを抱きながら、上司ですら誰も私を守ってくれないんやなと、虚無になったのを覚えている。幸い、先輩が警察を呼んでくれてなんとかなった。

 で、そんな新園長がくると、もう誰も頼れる人はいない訳だから、職員みんなで協力していこうという話になる訳なのである。だって、自治体や本社に何度園長のことを報告しても、知らんぷりだったから。署名まで送ったのに。もう、みんなで協力するしかないのである。

 さて、女社会の怖いところ。この「協力」が、いつの間にか「義務」になり、「気遣い」や「気配り」ができないと、自然と「対立」し、「敵」となっていくのだ。善意のために始めたことが、段々と暴走していく。今まで職員を取りまとめてくれていたあの園長は、もういない。

 誰がなんの仕事をしているのか把握し、大変そうなら、相手が積極的に助けを求めていなくても、自分から気づいて声をかけて協力する。気づいて声をかけないと「気配りができない」「みんなで支え合っていく気持ちがない」と責められる。
 もちろん、この「協力」は素晴らしいことだけど、うちの職場はそれを取りまとめる人(本来なら園長)がいなかったので、度を越していた。結果的に全然仕事をしない人とかも現れて、気づいて声をかけたり頼みやすい人の元には仕事が集中した。給料は前と変わらないのに。

 ハッと気づいたときには、私はほぼ毎日13時間労働をしていた。通勤時間を含めたら、1日のほとんどを保育園のために費やしていた。3週間休みなしの21日連勤のときもあった。自分の分の仕事だけではなく、本来は私の仕事ではないこともしていた。「協力」のためだから。

 私たちが「協力」して働く中でも、園長は毎日のようにミスをしでかす。そして、そのフォローも含め、毎日仕事が増えて行く。子どもの保育と並行しながら、本来は園長がやるはずの書類も、担任が引き受けていた。園長が謝罪に行くと2次クレームに繋がるからと、全く関係のない職員が謝罪に向かった日もあった。意味がわからない。

 先生たちはみんなイライラしていて、些細なことで職員同士がケンカになることがよくあった。子どもへの責任感が強いことが保育士の良いところのはずなのに、その責任感が大人へ向けられるとき、どうして攻撃性に変わってしまうのだろうか。
 いい歳にもなった大人たちが、仲間外れとか無視とかよくしていた。そういう環境になってしまった。「協力してくれなかった」が免罪符になり、とんでもねぇ理論で人を攻撃していいことになった。なんかもう人間の嫌な姿を見過ぎてしまった。環境や支えになる人がいないと、こうも酷くなるのかと。

 ある日、フッと、「もう辞めよう」とはっきり思った。

 そのまま退職することを伝え、引きとめられても、今回ばかりは折れなかった。子どもたちの卒園式を見届けた後、そのまま有給消化をしたいことを伝えた。クラスの仕事を全て完璧に終わらせてからのたった数日の有休消化ですら、呼び出されて1時間ババァから説教された。お前、何億回私がお前の仕事を代わったと思ってるんだよ。何でこういう人たちって、自分のことは全て棚に上げるのだろう。でももう、なんか、全部どうでもよくなってた。


辞めてから気づいたこと

 退職日。もうすでに卒園した子どもたちや保護者が、噂を聞きつけて遊びにきてくれた。私のために泣き出してくれる人たちもいた。
 保護者たちが、「ありがとうの会をしたいんです」と話してくれ、なんとお店を貸し切ってパーティーをしてくれた。
 子どもや保護者から、手紙やお花やプレゼントをたくさんいただき、手作りでアルバムを作ってくださった方もいた。私を苦しめて来たモンペですらプレゼントを用意していて、めちゃくちゃ驚いた。なんかもう全てに大泣きしてしまった。

 子どもから貰った手紙には、「ずっとだいすき」「わすれないよ」「おおきくなったら、ほいくえんのせんせいになる」と書かれていた。

 滲んだ字で「いなくならないで」とも書かれていた。

 撮影した最後のクラス写真を見て、いろいろと思い出した。

 クラス全員で一緒に見たデカすぎる飛行機雲とか。
 初めて苦手なかぼちゃを食べられた日のあの子の笑顔とか。
 50もある平仮名を「小浦先生に手紙を書きたいから」という理由で一生懸命覚えた子とか。
 私の下手くそなピアノで、歌を歌ってくれた朝の会の様子とか。
 散歩中に握ったあの子の小さな手とか。
 スライムを作ろうとしたら、私が絵の具の量をミスしてしまって、机の上が全て緑になり、クラスみんなで顔に絵の具をつけながら笑った日とか。
 子どもから「真剣な悩みだ」と言われ、どうしたのかと真剣に聞いたら、内容が「どうしたらプリキュアになれる?」だった日のこととか。
 クラス全員で一緒に育てた夏野菜を収穫して、一緒に食べた日とか。
 大雪が降った日、みんなで雪の上に転がったら、私の背中に子どもが5人のしかかってきて、死にかけた日とか。
 「せんせいだいすき」と、毎日毎秒伝えてくれた、あの笑顔とか。

 救われていたのは、私の方だったんだなぁって、なんか小説みたいなことを本気で思った。
 
 そんな訳で私は保育の世界に別れを告げたのだった。
 「せんせい、やめないで」と、最後まで泣いて抱き着いて離れなかったクラスの子を置いて。


で、これからどうするか

 本題である。

 もうめちゃくちゃポエムっぽく色々と書いたけど。
 キマった……! とか自分でも思っちゃったりしたけど。

 しかし、保育士を辞めても、私の人生は続くのである。

 特にお金のかかる趣味もないので貯金はあったし、まぁ大丈夫かなとか思っていたのに、なんと税金のことを調べたらとんでもなく引かれることがわかった。おれの貯金が無くなる。今までが無知すぎた。

 え、保険料って、今まで会社が半分負担してくれていたの?
 つまり、健康保険って自分で入会したら、今までの2倍のお金がかかるんですか……?(知らんかった)(馬鹿)

 家賃を負担してくれる制度があるのは知っていたけど、貯金が50万以上(自治体によって額は違う)ある人は、そもそも利用ができないらしい。え、そうなの?

 住民税とかいう、ただ息をして暮らしていただけでかかるお金もある。何で息をしているだけで10万以上も請求されなきゃいけないのだろう。

 真面目に頑張って作ってきた貯金は、税金に奪われる。
 私は人に迷惑をかけないために貯金をしてきたのであって、税金のために貯金をしてきたのではない。無職になったときくらい助けてくれよ。

 あと、独身だし。
 婚活しなよ、と友達から勧められてアプリも始めてみたけど、会ったこともない男の人と連絡のやり取りをするのが死ぬほど面倒だった。
 試しに1人と会ってみたけど、コロナ陰暴論をひたすら話されて終わった。おめぇ私がコロナでどんな職場環境にいたと思ってるんや。
 というか、なんかもう別に結婚したい訳ではない。30年後の自分がどう思うかわからないから、とりあえず今のうちにそろそろと動いてみただけで、今現在の私は全く結婚したくない。なのに動かなきゃいけないの面倒すぎる。

 あと、29歳で、保育しかやってこなかったって、次はなんの仕事をすればいいの? 何なら雇ってくれる? 私別にスキルなくない???
 もうすぐ30歳のスキル無しを雇ってくれるところって、どこ?
 試しにバイトしてみようと思って、求人検索をかけたりしたけど、「優しい先輩たちが教えてくれるアットホームな職場です!」の文章に、致死量のアレルギーを発症して止めた。無理すぎる。人と関わるのが怖すぎる。

 え、私、これからどうするんだろう。

 お先真っ暗すぎた。
 辞めたことに後悔はしていないけど。
 え、安楽死制度ってまだ認められていなかったの?

 暫く割と病んだ。
 子どもへの罪悪感と、普通に自分の今後が心配というダブルアタック。
 フォロワさんが無職記念の飲み会を開いてくれたのだけど、明るくしようと思っていたのに、なんかもうあの時はちゃんと病んでた。いつもの私を提供できなくてほんまごめん。

 そして、悩みながら一人で部屋に閉じこもっていると、クソババァにされた嫌なことを思い出す。
 13時間働いていた日々を思い出す。
 毎日仕事と責任感に追われていた日々を思い出す。

 あ~~~~~~なんか、もう、働きたくないな…………。

 日本にいる限りは、残業や、ああいう人間関係からは逃げられないのだろう。少なくとも、日本で保育をするということは、ああいうババァから危害を加えられるということだ。昔の保育の価値観はなかなか変わらない。子どもたちへの行進もしかり、日本の教育はやっぱり全体主義がまだ根強く残っているから。

 人への気遣いが日本人の素晴らしい美徳なのもわかっている。言葉にしなくてもサッと動くことが相手への気配りで、それが出来る人が好かれるってことも。お土産を渡しても一度断るのが礼儀である文化の国だ。そういう言葉にできない裏の気持ちを汲み取って関わっていかなきゃいけない。でも、それが時に凄まじい暴力性を帯びることも、私は知っている。

 日本は好き。日本語の美しさや、治安の良さや、日本食も大好き。
 すき家とか松屋とか、安くて美味しいものを食べられるのは最高だし。
 医療制度が整っていることも素晴らしいと思う。日本は好きなのだ。
 だけど。

 日本で働くの、なんかもう、無理じゃない……?

 主語がデカくなってて、たくさんゴメンと思う。
 でも、当時はもうめちゃくちゃに病んでて、そんな暗い気持ちのままネットで軽く検索をしてみた。
 海外の保育はどうなのだろう。

 私は、やっぱり保育が好きだ。
 ただ、日本の保育園ではもう働きたくなった。

 で、そんなこんなで偶然見つけたそのページが、救いになったのである。


保育士資格の書き換え

 日本の保育士免許を書き換えれば、海外の保育園で働けるらしい。
 海外で保育士をするという選択肢があるらしい。

え、え、え、えええ~~~~~~~~~~!!!!!!!!

いや……英語できねぇよ!!!!!!!!!!!!!

ていうかビザとかどうするの!?!?! あ、ワーホリっていつまでだっけ……。あ、30歳か……。ギリギリいけるのか…………。

ええええ~~~~~~でもな~~~~~~~~~~そんなこと本当にできるの!?!?!?え、お金とかは!?!!?!家とかどうするの!?!?!?

 一気にめちゃくちゃうるさい文章になった。
 たくさんごめんと思う。

 どんな方法で、どんな風に書き換えができるのかは、私みたいな底辺文章よりももっとわかりやすいサイトがたくさんあるので、ここでは割愛する。

 最初はさすがに夢物語すぎると思っていたけど、調べれば調べるほど、いろんな知識がついてきた。
 でもこれは逃げなんじゃないの?
 本当に海外で生活とかできるの?
 私、英語できないやん。無理でしょ。
 いや、でも、働きたい意欲があまりにもない……。
 そういえば、前に海外に短期留学したとき、向こうの人はなんでもハッキリ言ってくれて衝撃を受けたんだっけな……暗黙の了解とかなかったな。助けて欲しいときは自分から言ってくれるし。後でグチグチも言わないし。
 え~~~~でもな~~~~えええ~~~~~~~~~~~~

 1か月間、悩みに悩んだし、友達や母親にも相談したり、いろんな海外エージェントの説明会にも参加した。
 いや、無理でしょ。さすがに無謀すぎるでしょうって気持ちと、でもそれと同じくらい、ワクワクする気持ちがあった。
 
 無職になってからの生活時間はひどいものだったけど、何はともあれ英語を勉強してみようと思ったら、自然と早起きができる日が続いていった。
 わからないことが、わかるようになることは楽しい。中学1年生レベルからやり直したけど、問題を正解すると、大人でも嬉しいものだ。
 オンライン英会話も始めてみた。我ながらひっでぇ発音だったけど、世界中の人と話してみることは、凄く面白くて楽しかった。
 世界中の人と友達になれるかもしれないって思うと、英語学習が楽しい。なんだか、前を向けている気がする。目標があると元気が出て来る。

 海外保育園の説明会にも参加してみた。
 海外の保育園では、書類仕事も勤務時間も、日本とはかなり違うとのことだった。
 まぁもちろん向こうも商売なので、そりゃ良いことしか話さないだろうし、現実はまた色々と違っているのだろうけど。
 でも、それでも、海外の現役保育士の人がはっきりと言ってくれた、「13時間労働だけは絶対にこっちではありえません」の言葉に、本当に震えた。それだけで今の私の中では十分だった。休みたくても休めない、帰りたいのに帰れない。もう、あんな日々を送ることだけは避けたかった。

 1か月くらい悩みまくったけど、「やってみたい」と気持ちが固まった。
 ダメかもしれないし、そんな上手くいかないかもしれないけど、無職でこのまま日本にいて愚痴っぽくなるより、海外の保育を一度間近で見てみたいと思ったのだ。もしかしたらこれをきっかけに、日本の保育の良さにも気づいて、また好きになれるかもしれないし。

 逃げと言われれば逃げなのだろうけど、でも、もう一度、今度はちゃんと逃げずに子どもと関わりたい。
 「またせんせいになってね」と書かれた子どもからの手紙を読み返し、20代最後の挑戦をしてみようと思う。


で、現在。終わりに。

 めちゃくちゃ長くなった。
 
 これ、文章とかあってる? 
 いや別に誰も気にしてないだろうけど。

 本当は、こんなに長く文章を書くつもりは全くなかった。
 だけど、書き始めたら止まらなくなった。どこかで吐き出したかったのかもしれない。

 9月に渡航予定なので、それまでの間、悩んだり、また立ち止まったりすると思う。そのときには、自分でこのnoteを読み返してみようと思う。もし同じ時期にワーホリいくよって人がいたら、どうか仲良くして欲しいです。

 本当に長くなった。でも、書いてよかった。
 ここまで読んでくれた人がいるかどうかはわからないけど、もしいてくれたとしたら。本当にありがとうございました。

 どうなるかは全然わからんけど、でも、今、実はちょっとワクワクしている。仮にダメだったとしても、この経験から腐るんじゃなくて、人に優しい人になりたいと思うのです。
 中学のときは、人を救いたいとか傲慢すぎることを言っていたけど。
 今は、そんな上から目線じゃなくて、困っている人やしんどい人に、同じ目線で寄り添いたい。

 海外ではどんな子どもと出会えるんだろう。スライムの絵の具の量には気をつけよう。どんな楽しいことをしようかな。子どもたちが初めて出会う保育園という社会生活を、おもしれぇところにしたい。おもしれー女ならぬ、おもしれー先生になりたいのだ。
 とりあえず、頑張ろうと思います。

 小浦れい

※身バレ防止のため、ところどころフェイクを入れております、ご了承ください。

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