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「がんばれば、やれるのに」は気のせい?子どもに何ができて、何ができないのかをただ理解する。

大人になると、

子ども自身のことよりも

自分のやること、やるべきこと、
気になって仕方がないことを見ていたり

理想の子どもをみていたり

子どものことをよくよくみているつもりでも
みえていないし、
わからないののなのだと実感をします。

自分が、大人になるまでの
何十年間をかけてできるようになったことを
「がんばれば、できるよね」と
勝手に決めつけてしまい

わたしは「できない」という理解をすることの
大切さをわかっていなくて
子どもに負担をかけてしまっていたことがあります。

「やる気がないから、やらない」
「がんばればできるのに、しないのだ」
というのは勘違いで、
子どもへの無理解で、

ただ素直に、この子にとっては
難しいことなのだな、と
受け入れることの
選択肢を持つことは大事なこと。

「がんばれば、できる」というのは

「今、がんばっていない子」で
サボっている子、怠けもの、という意味。

面倒くさがりで、
親のいうことを聞かない
嫌がらせをしている子、
とさえ思ってしまうことさえあって、

ただ「できない」だけなのに、

とってもマイナスな自己イメージを
持たせて、子ども自身が自分を誤解してしまう
とても危険なことだと思います。

「がんばれば、できるんだから」というのは
励ましているつもりでいたり
応援する気もちでいたとしても

子どもを知らず知らずに
傷つけていることだったりするんですよね。


みているのは、

「理想の子ども」で
「目の前の子ども」ではないことは
よくあります。

「目の前の子ども」をみているのではなくて

「期待している子ども」と
「目の前の子ども」に生まれたギャップを
怒ったり指摘することは

「目の前の子ども」をみている、のとは
ちがいます。

「期待している子ども」がいなければ
「がんばれば、できる子」ではなくて

「がんばっている、がんばれないでいる」
「できること、できないこと」など
子どもの姿がそのままにみえてくる。


子どもをよくみようとすること
よく知ろうとすることは
もちろん大事だけれど、

限界があるし

わかる人に教えてもらうことも
とても大事なことだと思います。

赤ちゃんの時のように
24時間365日みていた時と違い
みえない部分がどんどん増えていくのが
子育て。

いろんな側面があるし
子どもが成長して
相手によって使い分けるし
いろいろみてもらい様子を聞くことで

子どもの理解を深めることが大切だし、
親にも子にも、とっても大切でいいことです。

「頼ること」「教えてもらうこと」は
とても大切なことだと思います。


子どもを見送って様子を伝えると
「え、そんなことするんですか?」と
知らない一面に驚かれる親御さんもいますが

そうして子どもの一面を
知られることは


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