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優越感も劣等感も、気のせいだから

わたしは4人兄弟ですが、
子どもの頃から、わたしは兄弟と「比べられる」ことが
ほとんどありませんでした。

弟が3人で、同性がいないことも理由にあるかもしれませんが、
親に「比べられ」ることがなかったことは、
自分自身に安心して生きるために、
いかに大事なことかを身をもって実感しています。

母も、兄と弟がいて「女は自分ひとり」という環境で
育っているので、経験を通してか、無自覚にかはわからないけれど、
「比べない」環境で育つことは、とてもよかったです。

なので、一歩家を出て社会に触れた時に、
学校や社会での「比べ合い」や「優劣争い」「嫉妬」の「多さ、激しさ」には、本当に驚きました。

自分を知るためには他人との「ちがい」を知ることや、
社会の中に、どんな「評価、優劣」が存在していて、
自分の要素がどう映るのかを知ることは、
自分らしく生きるためには必要なこと。

自分が、自分らしく生きるために
自分を知る必要はあるけれど、

でも、本気になって、ムキになって、
「優劣がある」と信じたり、
「勝ち負け」があると信じていては、
本当にもったいないと思うのです。

子どもがいたらなおさらで、
子どもが子どもでいる時間は短くて、
どんどん成長していく子どもと心を通わせ、関係を育む時間を削って、
誰かが決めたものさしで自分を測って、一喜一憂するなんて、
なんて無駄なことなんだろうかと、
自分に対しても悔しく思いました。

子どもを育てている幸せから離れて、
わざわざ誰かがつくった優劣に振り回される苦痛に
近づく理由も、必要も、なにもないですからね。

わたし自身、人の目や人の評価を気にしていた時期があって、
自分の「できないところ、ダメなところ」ばかりみて、
人の「できてるところ、いい感じのところ」ばかりみて、
落ち込むことが多かったけれど、

子どもが生まれてからは、
「優劣とか勝ち負けなんて、どうでもいい!!」
「振り回されている自分を変えたい!!」と
心の奥底から湧いてきました。

子どもを育てていると、
「自分の性格」「生まれ持った気質」だと諦めていたことが
自分次第で変えられることに気がついてしまって、
どんどん我慢ができなくなってしまうのですが、、、
みなさんはどうでしょう?

妊娠や出産をとおして、心も身体も変化して、
日々成長していく子どもたちに合わせているわけですから
出産を経験した女性は「自分は、変われる」と
知ってしまうと思うのです。

他人の目に映る自分、
他人の脳内にいるであろう自分を気にして、
他人にこう思われているだろう想像上の自分を生きるのではなくて

自分を生きたくなる。

まっさらな子どもが、
ただただ生きながら教えてくれる生き方に、どうしても心が震えて、

自分の目でなにをみたいのか、なにを感じたいのか、
自分がなにを思うのか、自分の目に映る世界を、
ありったけの自分で生きたいと願わずにはいられなくなっていって、

わたしは、自然なのではないかと思います。

自分らしく生きるために、
自分らしさを維持するために、
社会や一般常識によって決められたものさしを使う必要があるだけで、

ものさしは、ただのものさしで、
それ以上でも以下でもないし、
価値もなければ、意味も意義もないということ。

子どもにとって、それが「あたり前」になるといいなと思います。

自分の心よりも、
自分の身体よりも大切なものさしなんて、存在しないこと。

それを知ってる大人たちに囲まれて子どもが安心して育つこと。

そんなあたり前の日常が、懐かしくて新しいわたしの夢です。




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