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医師は尊敬されない時代の方がずっと長かった。

高収入、安定していて、なによりカッコイイ👨‍⚕️

「医師」という職業のパブリックイメージは非常に高い。
なりたい職業ランキングの常連です。

平均年収は1169万円
それも当然。医師として働き始めるのはとても大変です。

大学受験で優秀な成績を残し、医学部に入学。最低6年の教育を受け、医師国家試験に合格。その後、研修医として2年以上働く必要があります。ここまででやっと「医師」です。
さらに最近は「専門医」といって、自分の専門領域を高めるために5~6年の期間が必要です。専門医をとるころには最短でも30代前半となっています。さらに高度な資格制度も存在します。自分の望む診療科に進めるかどうかも分からず、医師のハードルはとてつもなく高く、間違いなく尊敬に値する職業と言えます。


医師のような職業は、紀元前から存在していました。

いつの時代もヒトは病に悩まされ、健康を望んできました。


しかし、医師の免許制が導入されたのは1874年。明治維新後なのです。
それまでは免許を必要とせず自由に開業することが出来ました。

そのせいもあり、「医は賤業  -センギョウ 卑しい職業 -」と呼ばれている時代の方がずっと長かったのです。

現代にも名を轟かす偉大な医師たちも、青年期は医師ではなく、武士や他の職業を強く望んでいた証拠がいくつも残っています。

人を治す医師が、
なぜ卑しいと思われていたのでしょうか。

その真相に迫ります...!!🔎


■ガレノスが全てを書いてくれていた📗

16世紀までの西洋医学は、2世紀のギリシャ医者(哲学者)のガレノスによって推奨された四体液説によるものでした。

四体液説とは人間には4つの液体が流れており、その液体のバランスが崩れることで病になるという考え方。病気は体に1つだけで、それが身体の様々な部分に形となって表れるだけという概念です。

四体液は病気だけでなく、その人の性格や気質をも司ると考えられていました。

-4つの液体とは-
・血液 :生命維持にとって重要な栄養素が含まれる液体。
・粘液 :身体を冷やし、潤わせる。
・黄胆汁:体内の熱が過剰になると発生する液体。
・黒胆汁:数合わせの液体。体を腐食させる。

ガレノスは2世紀の医学に革命を引き起こしました。

彼は脈動する心臓を見て、2世紀に心臓移植ができることを予測したほど、インテリジェンスに溢れた天才でした。(世界初の心臓移植成功は1967年)

動脈に流れる血液や、器官を制御するための神経を発見したのは現代医学への大きな貢献です。豚を使った公開実験など、理論を実験的に証明する方法を導入したのもガレノスの功績でした。

四体液説は理論としてあまりにも完璧だった為、16世紀まで強く支持され、それまですべての医師たちに「ガレノスが全て書いてくれている」と言わしめるほどでした。ガレノスの著は1400年の間、教科書として使われていたのです。

しかし、ガレノスは大きな問題も引き起こしています。

四体液説は、動物の解剖実験とヒポクラテスの哲学から得られた理論に過ぎず『人間での実験は行われていなかった』のです。

この時代、既に人体解剖は違法であり、宗教的にもヒトに手を加えることは恥ずべき行為だったため、人間で実験を行うことが禁じられた行為だったのです。

勉強の為に解剖台で専門の執刀者が解剖を行う機会はあったようなのですが、それはガレノスの教科書が正しいことを示すために行うだけのもの。文献と体の構造が異なった場合は、文献が正しく体が間違っているとされていた無意味なものでした。

現代の医学を少しでも知っているものであれば、人間は細胞で構成され、炎症は部分的に起こっていることが多く、その部分を切除したり投薬によって回復させることは当たり前の行為ですが、ガレノスの書にはそんなことは書いておらず、それを行う医師は他の医師から迫害されたのです。


■解剖学の発展は、1000年以上ストップ✋

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ヴェサリウスが書いたファブリカの挿絵

1540年に解剖学者のヴェサリウスが人体解剖で最も影響力のある本:ファブリカを執筆し、ガレノスの理論を再検証するまで医学の発展は長い間閉ざされていました。ファブリカは、非常に精細な絵がアーティスティックに描かれていることから広く普及し、当時の医学会に多大な影響を与えたのです。

それまでの1400年もの間、
ガレノスの理論が否定されることは
あってはならない事でした。

その後、解剖学は解剖医ジョン・ハンターなどの知見により大躍進し、ヒトの体の構造がよく理解されていくことになります。

ジョン・ハンターは解剖学を発展させた、医学の巨人。
しかし死体集めの為には手段を択ばず、夜な夜な墓荒らしをして死体を手に入れていました。

彼の行動は確かに奇人というにふさわしいものでしたが、「事実から因果関係を読み解く」という基礎に立ち返り、すべてを明らかにしようとしたその姿勢に感服。

当時行われていた、無意味な水銀治療や瀉血を否定し、外科医の地位を押し上げた実験医学の父。

偉業よりも、その寄行や驚くべき実験に驚くこと間違いなし。
イチオシ本です。


■世界初の全身麻酔。医学的な大躍進だが...🌿

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日本では、1804年に華岡青洲が全身麻酔を使った手術に成功しています。
これは、アメリカでクロフォードがエーテル麻酔を成功させるより38年も前の出来事です。もちろん、世界初の全身麻酔成功例です。

華岡青洲は、外科手術を行うとき、患者に激痛が走ってしまうため、痛みを感じさせないようにする方法を探していました。

そこで彼は麻酔薬の研究を始め、チョウセンアサガオ、トリカブトなどの現代でも使われる生薬を混合し、最適な混合率を発見。

全身麻酔薬「痛仙散」を作り出します。

しかし、
チョウセンアサガオやトリカブトは猛毒です。

チョウセンアサガオに含まれるヒヨスチアミンなどのアルカロイドには、頻脈や幻視を引き起こします。トリカブトは呼吸筋や心筋を麻痺させ、呼吸困難を引き起こすほか、心停止を引き起こす作用があります。

僅かな分量の間違いで、人を死に至らしめてしまうのです。

華岡青洲は実験の過程で母を死なせてしまいます。
さらに妻も失明してしまいます。

それでも成功にこぎつけたのは、漢方と蘭学に精通した華岡青洲ならではと言えます。

痛仙散や全身麻酔、外科手術は革新的な医療にほかなりません。それでも身内を死に至らしめ、医学に邁進する華岡青洲の姿は、当時の民衆にとって、奇妙なものに思えたことでしょう。


■「医は賤業」という歴史🥼

ガレノスの推奨した四体液説は根本的に間違いを含むものでした。それ以降1400年にわたって、多くの内科治療は無意味だったと言えます。

さらに、ヴェサリウスやジョン・ハンターが明らかにした人体の真実は確かに画期的でした。しかし、一般人からすれば変人の悪趣味にすぎず、ヒトの体に手を加えることが神への冒涜であるという概念はしばらく変化しませんでした。

華岡青洲の偉業は、現代では理解できます。しかし当時理解されたかどうかは非常に疑問です。一般大衆にとっては、マッドサイエンティストそのものだったのではないでしょうか。

江戸時代は全くの未経験、無資格でも医師として開業できたためヤブ医者も多く、ヤブ(藪)にすらなれないタケノコ医者という俗称もありました。

そのように玉石混交の時代、医師は皆すべて優秀だったわけもなく、医師にかかれば毒薬を飲まされ寿命が縮んでしまうこともよくありました。「医は賤業」と考えられていたのは当然と言えます。


ワクチンを開発し、北里研究所、慶応義塾大学医学部を設立した、かの北里柴三郎。彼は日本医師会の初代会長でもあります。

あの有名な北里柴三郎ですら、両親に医師を志すよう勧められた時、「医者と坊主は尊敬に値しない」と言い放ち、剣道の鍛錬にいそしんでいました。

彼は1871年にオランダの医師、マンスフェルトの教育により顕微鏡で微生物を見せられた時、医学に目覚めるのですが、彼の「医者と坊主は尊敬に値しない」という発言は世相を良く反映していると言えます。


■きれいに治ることの方がすくなかったから。💊

1928年にアレクサンダーフレミング博士によって発見された世界初の抗生物質ペニシリンが、第二次世界大戦で広く使用されました。ペニシリンの発見以前は、負傷した場合は腕や足を切り落とすしか選択肢がありませんでした。

しかしペニシリンによって負傷に伴う感染を予防できるようになり、わざわざ手足を切り落とすようなことはしなくてよくなったのです。

19世紀には笑気(亜酸化窒素)の発見があり、いくつもの全身麻酔が開発され、全身麻酔は華岡青洲が開発された痛仙散よりも広く安全に行えるようになっていきます。

北里柴三郎が開発したワクチンは、感染症に「予防」という概念を作り出し、何万人もの命を救っています。


医者が活躍するためには条件があります。

・解剖学が発展し、体の構造がよく理解されていること
・微生物と感染の成立がよく理解されていること
・衛生環境の必要性が理解されていること
・外科手術をする場合は麻酔があること
・微生物と戦う抗生物質があること
・微生物の感染を予防するワクチンがあること
・薬がどのように作用するか理解されていること

これらの条件があって初めて医者は活躍できるのです。
しかもこれらはごく一部の条件。

すべてを理解し、精通するために長い教育期間と、高い素養が必要とされます。非常に狭き門を潜り抜け、医師は一人前へ成長していきます。

これは薬剤師、看護師を始め他のコメディカル全てに共通しています。


尊敬に足る存在へと成長していくためには、過去からの学びが不可欠。
過去の教訓を生かすことこそ、プロフェッショナルを育てる最短のショートカットです。


学び続けましょう。


引用

吉澤信夫, et al. "医科歯科一元二元論の歴史的検証と現代的意義 (2) 伝統医学と洋方 (泰西) 医学の相克並びに歯科団体の動向." (2017).

Izuo M. Medical history: Seishu Hanaoka and his success in breast cancer surgery under general anesthesia two hundred years ago. Breast Cancer. 2004;11(4):319-324. doi:10.1007/BF02968037


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