死に出会い、幸せになるヒントを発見した。
私は薬剤師として薬局で働いている。
薬局は急性期の病院と違い、患者さんの容態は比較的安定していることが多い。普段は死とは無関係の場所だ。
しかし、今日も死を感じた。
そして、死と向き合う患者は、僕の目にはあまりにも眩しかった。
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薬局でも死を感じる理由
調剤薬局は、慢性疾患の治療を行う場所だ。慢性疾患とは、高血圧や糖尿病、高脂血症など、それ自体では死に至ることはない。しかし進展することで死に至る脳梗塞や心筋梗塞などの大病になってしまうので、様々な検査値を元に薬物治療を行い、それらを予防する役割を持つ。
他にも、風邪や胃腸炎などの急性の病気を扱うこともあるが、基本的にそれらは死に至る病ではない。
しかし、薬局も在宅医療を担う1つの機関である。在宅医療とは、自分の家から病院に通うことが難しかったり、自分だけで生活することが困難になってしまった患者を救うための制度である。
そこには、明確な死が存在する。
薬を届けにおうちに伺って、いつも下ネタを振ってくる陽気なおじさん。彼はいつも僕が昼ご飯を食べずにくることを心配してくれた。たまにカップラーメンを奢ってくれたっけ。口が悪いから、怒鳴るようにしか喋れない不器用な人だったけど、心はとても暖かかった。
彼は肺の病気を患っていたので、いつもとっても苦しい様子だった。そりゃそうだ。血中の酸素濃度(SpO2)は、いつも全力疾走をしたくらいの数値だった。
「おい、この息苦しいのはどうにかならないのか。
薬屋ならもっといい薬はないのか」
そう言われて、丁度出た新薬を探し出した。外国ではその治療法が多く使われていて、SpO2も今までの方法よりかなり改善することを調べあげ、論文の要点を和訳して、その薬を出してもらえるよう掛け合った。
そういう薬があるならいいね、使ってみようか。医師と在宅看護の看護師が協力してくれて、薬を出してもらうことに成功した。彼は、「少しは楽だけどな。」なんていいながら、また悪態をついていたなぁ。
・・・
それから何ヶ月か後、いつもと同じように彼に薬を持って行った時、サブレをくれたね。サブレかー、口パサパサになるし、明日の午後小腹が空いた時にでも食べようかなぁ。と思ったのを覚えてる。そして次の日、死んだね。
そう、死んだの。
びっくりじゃない?また来週くるからね、それまで元気しててくださいね。無理しないで、ご飯ちゃんと食べてな。そう言ってたのに、死んだ。
人が死ぬのは当たり前。高齢者相手に仕事をしてれば、知ってる人が死ぬってのはよくある話。
そもそも、この病気の5年生存率は40%程度しかない。近いうちに死ぬのはわかりきっていた。彼は息苦しさを抑えるために、気管支を無理やり拡張する薬も使っていた。その薬は心臓にも作用して、過度に使用を続ければ、死に至ることがある。長く使っていた薬だから、そういうことも、ある。
理屈はそうだ。
でも、帰り際に「ありがとうなー!」って行ってくれる彼の顔が。
苦しいから大声出さなくていいのに。
「ありがとうー!」と返す僕の声が、思い出されてしまう。
彼は、幸せだったのだろうか。
私が尊敬する人
僕が尊敬している、1人の男性がいる。
彼の年齢は80をゆうに超えている。
でも、彼は足腰もすっとしているし、体型も問題ない。喋り方も普通だし、頭もボケちゃいない。むしろ50代、60代より聡明で、休みの日にはパソコンでゲームをしたり、草むしりをするのが趣味らしい。
初めて話を聞いた時、なんだか口内炎が治らない。ということで軟膏をもらって行った。
次にあったときは、なかなか治りが悪いから、今度大きな病院で検査をするという。
そして次にあった時には、それが舌がんだと判明した。
でも、彼はステージIだということを教えてくれた。大丈夫だと先生も言っていたし、そんなに気にしてるわけじゃないよ。もう歳だしね。と笑いながら言っていた。
確かに、舌がんのステージIだったら5年生存率は94.7%。ほとんど助かるし、適切な処置を行えば寿命を全うできるだろう。そんな知識を思い浮かべながら、心配しすぎることはありませんよ。早めに見つかったなら、むしろ安心してください。進行する前に見つかったのはよかったかもしれない。そんな無責任な言葉をかけた時、彼はとてもポジティブだった。
このくらい生きたし、別にどうってことないんですよ。
子供も育っているし、一人暮らしだから迷惑をかける心配もない。
今までの人生、とても幸せに過ごしてきたし、
今、からだの不調を感じることもなく幸せに生きている。
みんなに感謝してるし、本当によかった。
文面だとネガティブに感じるかもしれないが、彼は本当に「笑顔」でこう言った。笑いながら。心配しなくて大丈夫と。私はなんと声をかけるのが正解なのだろうか。
彼は手術とリハビリを乗り越え、再発とも闘っている。
5年生存率が94.7%だからといって、必ず治る保証はない。再発しないという保証もない。そして、がんという言葉はあまりにも、重い。
それでも、彼はへこたれた姿を一度も私に見せない。
1人で戦うのが、どれだけ辛いだろうか。
手術をするのか、しないのか。リハビリを許容できるだろうか。手術後しばらくご飯を美味しく食べられない、うまく喋れないかもしれない。費用はどう捻出しよう。家族や親戚に、何を残そう。どう生きよう。
全て、自分の意思で決定しなくてはいけない。
今の医学の基本理念ではインフォームドコンセントという考え方が尊重される。医師などの専門家による懇切丁寧な説明によって、患者自身が納得し自分の治療を決定することこそが大事だという考え方だ。
でも、生と死の選択は、まさに苦渋の選択だ。病気だけでなく、そんな苦渋の選択に頭を悩ませなければいけない。「医者が言ったから。」そう言えたらどれだけ楽だろうか。
なぜ、彼は幸せと言えるのだろう。
人生を振り返って、自分は幸せと言えるのか。
彼が幸せだと胸を張って言える理由はなんだろう。
死が具体性を持って肩に手をがっしりと掴むとき。
笑える理由は。
彼が何度も何度も繰り返していた言葉。
・みんなに感謝している
・自分は幸せだから、いつ死んでも大丈夫。
・ありがとう
彼は、自分の人生を振り返って、記録をつけている。
ペンを走らせるほどに、感謝や感動がよみがえってくる。
そして自分は幸せだったと思えるそうだ。
感情や過去を紙に書き出すことで、心が楽になる。
その効果を使ってセラピーを行ったという研究が世界中で報告されている。でも、彼はそんなこと、知る由もなかったハズ。
自然に、過去を振り返り、感謝していた。
人生最後の5つの後悔。
それらは、自分の気持ちに素直でない事が大きな原因となっている。
さらに、お金やセックスの回数など、いわゆる派手なことは、人生最後の後悔には入っていない。そんなもの、人生の最後には何の役にも立たないのだ。
私も彼のように、死ぬ間際に幸せを感じて居たい。
わかりきっている後悔なんかせずに、強く生きたい。
死が苦しくても、怖くても、絶望でも、笑っていたい。
どうすればいいだろうか。
私の結論は、
「死ぬ間際の自分に、胸を張って生きられるか」
どうかだと思う。
死に直面したとき、過去を振り返って、自分自身に恥ずかしいことばかりしていたらどうだろう。きっと笑顔は作れない。だってやり直しがきかないのだから。もう、そんな時間は・・・。
年収、財産、総資産。
フォロワー数、エンゲージメント、リツイート数。
KPI、KGI、OKR。
これらの数値は重要だ。でも、これを追い求めすぎて、死ぬ間際の自分にガッカリされるような行動ばかりしていたらどうだろう?この行動様式は、死ぬまで続く。そして死の寸前に、君の胸にグサリと鋭く突き刺さるだろう。
胸を張って、生きよう。
ハリボテの数字に、自分を見失う必要はない。
幸せはきっと、追い求めるものじゃない。気付き、築くものなんだ。
死に向き合うとき、人生の価値が、決まる。
ツラい人がいたら、寄り添える僕でいたい。
利益にならないから突き放す。そんな冷たい人間にはなりたくない。
胸を張って、生きていこう。
まともな人生は、そんなにつまらないですか?
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