きみのすみかにおじゃましたい

 
7月になったみたいです。
おばあちゃんの育てた茄子をお味噌汁にして食べました。あとね、半袖のかわいいワンピースを買ったよ。夏が来るね。

 
住んでいるところがわりと田舎で、遊びに行く祖母の家なんてもっと田舎で、たとえば姪っ子と夕暮れの中を散歩したりするとたまに、あぁ、こんなふうでいいのかもしれないな、静かな町で、あふれる生命とかちいさな幸せから目をそらさずに、起きて、ご飯を食べて、眠って、そういうことなのかもしれないなって思ったりするんだけど、ときどきそれがすごく怖くなったりもする。
祖母の家に泊まると、毎週見ていたはずのドラマの行方が気にならなくなったり、好きなひとたちの生活が気にならなくなったりしていって、眠る前の動物の鳴き声や起きたときの窓越しのひかりやお漬物の塩辛さだけが頭に残って、そうしているうちに、大事にしたかったものとかしなきゃいけないものとかまで、忘れていってしまうんじゃないかって、時々ゾッとするのだ。

子どもの頃から、多分、大人になったらもう少し都会に住むのだろうなぁと思っていた。憧れもあるけど、自分はそういうひとなのだろうなぁ、と漠然と。
そのころよりちょっとだけ大人になった今は、わかんないなぁ。どこででも図太くいきていけるような気もするし、どこにいても上手くはいきていけないのだろうなとも思う。そんなもんだよね。

人工のひかりのなかで他人にかこまれてジャンクフードを食べる日、人生にあってほしいし、急に思い立って映画を見に行く日も、テレビで紹介されたケーキを食べに行く日も、好きな絵の展示をわくわくしながら見に行く日もほしい、
あぁ、だれもいない静けさのなかで星が見たくて飛び出す日も、朝早く目が覚めて海に散歩に行く日も、突然電車に飛び乗って知らない駅まで揺られる日もほしいし、みんなみんな、ひとりで飛んでくこともだれかを連れ出すことも連れ出してもらうこともしたい、たぶん、そんな日の何割も訪れないまま時を過ごしてしまうんだろう。
でもその代わりにもっとうつくしい日もあるんだと思うし、結局たいせつなのは環境より自分なんだよなって、そんな当たり前の結論になるまでぐるぐる考え続ける日を、わたしはあと何回すごすんだろうなぁ。

  

 
そんなことごちゃごちゃ書いてたら、偶然、あなたがこれを読んでくれる日があなたの人生の中にあって、それって奇跡みたいで、ほんとしあわせなことだなぁと思います。
そんな奇跡をね、たくさん起こせる人になりたいなぁ、っていうのが、わすれたくない大事なことだよ。



#雑記 #エッセイ #田舎暮らし #7月

生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。