なんじゅっかいめの夏ですか

 
雨がやんだら、夏が来ますね。
夏、すきですか、きらいですか。
わたしはどっちでもないんですけど、夏をきらう誰かの太陽を鬱陶しがる顔とか、想像したら綺麗だねって思います。でもそんなひとは多分、季節も表情も関係なく綺麗なんだろうね。うらやましいな。

 

あんまり季節に執着も愛着も嫌悪もなくて、夏が来ること、あぁまぁ汗かくのは面倒だなぁ、とか、夏のうたが聴きたくなったりはするけど。
それでもなんとなく、6月も7月も調子が悪くって、いなくなったり、わたししないけど、ひとがいなくなるのって、こういうときなのかもしれないねって思ったよ。
ゆるいゆるい絶望がコップから蒸発していって、空気中に蔓延して、ゆっくり毒がまわるみたいに身体がだるくって、コップの中が空っぽになったまんま、なんにも注げなくて注がれなくて、乾いているだけの、小さな砂漠。
やってらんなくて今月のはじめ、可愛いお財布と夏のためのワンピースを買ったけど、蜃気楼だったみたいだね、このワンピースを着ているところ、ちゃんと褒められたときにやっとオアシスはあるみたいです。 ごめんね、自分を飾り立てる理由、ほんとは少しでも愛されるため以外にないんだと思う。

乾き、季節のせいなのかなって思ったけど、知ってる、たぶんだれにでもある、そういう、そういう孤独がタイミング悪くいくつも重なってしまっただけで、春夏秋冬、大抵ずっとさみしくて、わたしそういう生き物だった。

 
おだやかになれない原因の大体がさみしさだっていうのが腹立たしくて、でも孤独になんないためにもおだやかでいたくて、じゃあどうすればいいんだろって、ぐるぐる、目を回してわけわかんなくなって自ら孤独を選び取ろうとしたりする、会いたいとか会いたくないとか、ひと、みんなそうでしょう、勝手に期待して勝手に失望して、勝手に期待されて勝手に失望されて、愛なんて期待が大きいか小さいかでしかなくて、終わりがくるかどうかなんて失望が多いか少ないかでしかない、なんて、大きいだけのつまらない頭でうだうだと考える、こんなときは大事にしたいひとまで少しも大事にできないくせに、疑ってしまったりするくせにね、とんでもなくわたしに期待していてなにがあっても失望しないでいて、そう、つまり愛してとエゴイスティックに祈る、だけで、朝を迎える、退屈で最低で虚無、だれかに会うまでのいっしゅうかん、だれにも会わないかもしれないいっしゅうかん。

 
それでもね、愛おしいと思ってしまう、だってわたしそれだけでいきているので、あなたの生を、わたしの生を。
面倒なわたしにはできないけれど、調子の悪い日、季節や時間のせいにしてしまえば一過性のものにすり替わるから、すこし楽になったりするから、そんなあなたにはそうしてほしいなって、勝手に思います。

夏の魔物もこころのばけものも、ともだちになってほしいね、きっと楽しいよ、ちょっぴりヘンなともだちたち。



#雑記 #エッセイ #7月 #梅雨 #夏

生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。