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「今の生活に終わりがあることに気づくと日々の大切さが実感できる」の話

 老人がくれた黄緑色のグレープを数粒千切って口に入れる。ヨーロッパで食べるグレープはとても好きだ。弾力があってほのかな甘さと酸味。フィンランドではこのグレープが1パック2ユーロで売られていたけど、デンマークだとどうなんだろう。税金が高いこの国では、グレープももっと高いような気がする。

「終わりを意識したことはあるかな」

 デンマークのコペンハーゲンにあるアートコレクターさんの自宅に遊びに来ていた。小さな作品をたくさん飾るのが好きだいう彼の自宅には、リビングの壁だけでなく廊下にもアート作品がいっぱいだった。

「終わり、っていうのは、死ぬとかそういうことですか?」

 老人は黙ってうなずき、手にしたグレープを千切って口に入れた。スティーブ・ジョブズが毎朝、今日が人生最期の日だったらって考えながら一日を過ごしているって言ってたことを思い出す。

「人生最期の日だと思って、一番やりたいことをやるぞって思いたいんですけど、実際はけっこう難しいです。最後の日だって思っても、毎日同じことをしちゃいます。それが、人生最後に本当にやりたいことなのかは分からないです」

 創作は好きだ。人生最期の日でもやれるならやりたい。無人島で誰も見る人がいなくても、創ることはつづけていたい。でも、創ることだっていろいろだ。やりたいのは本当にこれなんだろうか。そもそも、創り上げることは一日ではできない。今日が最期ですよと言われて一日しかなかったら、自分は創ることを諦めてしまうかもしれない。どうせ終わらないなら、やらなくていいやって。

「そのとおり。終わりを意識するのは、とても難しい。私みたいに老人になっても、まだ何十年も生きるような気がしている。最期なんて、本当に差し迫ってみなければ分からないものだよ」
 老人が何を言いたいのか、私にはまだわかり切らない。最期を考えるなっていうことなのか、それとも終わりを意識する方法が何か別にあるのだろうか。
「終わりを意識できたら、毎日がとても大切に感じるだろうなっていうのは分かるんですけど、あんまり実感はできないですね」

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