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日常の中に美を見いだせれば「アート」という言葉はこの世にいらなくなる、片岡純也+岩竹理恵

ArtStickerより、こちらの作品をコレクションさせていただきました。

作品ページにはこのように書かれています。

学校の先生がプリントを配るときにこぶしでぐるぐると紙をずらしていたところから作品にした。

素材を見ると、モーターとか磁石とか書かれているので、静止している作品ではなく、自動的にくるくるまわって動く作品なんじゃないかなと思っているのですが、、

プリントを配る時に扇みたいに開いたり、トランプをテーブルに並べる時に円形になるように置いて見せたりすることって、人生で何回かは直接見たことがあると思います。ちょっとずつずれている何かが均等配置されてるのって、見栄えもなんかとてもきれいですよね。

この作品から考えたのは、「日常の中に美しいものはたくさんある」ということです。割と当たり前の結論なんですが、それでも私(たち)は、わざわざ美しい物や自分に示唆を与えてくれるものを探そうとしてしまっているんじゃないかということが気になったのです。

自分の日常に好きなだけ美を見出せばいいのに、わざわざアートを求めてしまう理由はなんだ、っていう感じです。

「アート」ってラベルされていると、そこに特別感がありませんか。なんか素晴らしく美しく知的で創造的な。アートにそういうイメージがあるからこそ、「いやぁ、私はアートのセンスなんて全然ないんで(=アートを見たり創ったりするためには特別な才能が必要)」みたいな言葉も現れます。

「これがアートだ」と指さす時、そこには「アートではないものが存在している」という意味も含みます。

でも本当は、アートってきっと、日常の中のアートを自ら見出す力をくれるものなんじゃないかなって思うんですよね。

私たちが本当の意味で、日常のどこにでも自分だけのアートを見いだせるようになったとしたら、そもそも「アート」という概念がなく、「アート」と呼ばれるものも必要がなくなります。

アートと認識できるということは、同時に認識されないものの存在を生み、アートとそれ以外を分断する思考だと思うのです。

真にアートが目指しているのは、アートという概念そのものの消失ではないかと考えたのでした。

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