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#ArtSticker Ouma(オーマ)コレクション vol.4

ArtStickerというアプリ上でアートをコレクションできるサービスでコレクションした作品集です。解説とともにお楽しみください!

1)藤原 光平

そこらへんに置かれていた紙が、たまたまクシャリとしてでき上ったような作品。
がんばって立ってそうなか弱い存在に見えるのに、座れるのか!というのが驚きです。座れるということは、人の体重を支えられるほどのパワーがあるということ。

自分が実際に座るとしたら、この存在のことをとても気遣い、無理をかけないように座ると思うのです。ただの「物」と対峙する時には、私は私のことしか考えません。でもこのか弱さが、この存在を単なる「物」ではなく、意志をもった存在のように訴えかけてきます。

建築の最小単位は「椅子」だという話を読んだことがありました。
この存在は人と物との関係性を全身で伝えてくれるようです。

上に座ってもいいんだよと言ってくれても、上ではなく隣に寄り添うように座ってみたくなります。

2)高木 基栄

こんな形状をガラスでつくれるもんなの!?っていう驚きがある作品。
球体のパーツを見ても、やわらかいものが自然にくっつきあってしまったような感じで接着痕が見当たらない。

球体の物から出た触手状のものが、脳神経細胞の神経伝達の様子にも見えるんですね。
紫のパーツから色が移動して緑のパーツに移り、お互いが敵なのか味方なのか、情報交換しているかのよう。

いろんな深さで触れ合う様子が、コミュニケーションが生まれる瞬間を表しているようで素敵だなと感じました。

3)Suzuki Akari

デュシャンが「選択」をアート行為と言ったように「組み合わせ」も創作の最初のステップだと考えます。色の組み合わせ、形の組み合わせ、素材の組み合わせ。

本作では、自然物(石)と人工物が組み合わせられて一つの空間をつくっています。
ただ、明らかに人が作ったなと感じられるものもあれば、自然物に見えるものも含まれています。

明かな自然物に明らかな人工物を等量組み合わせた物体は、自然物なのか人工物なのか。
自然と人工は何によって分類されるのか、分類によってどのような心の変化が起きるか。

自分の内面の動きと合わせて考えると、自然物は環境にいいようなイメージ、人工物は自然と対比しているようなイメージがありませんか。

自然と人工の境界部分を拡大して知覚させてくれるような作品だと感じました。

4)Yukiko Terada-Otto

ショッピングバッグから切り出された動物。
考えてみると、バッグを引っ張って歩く行為は、動物を連れて歩いているようです。
頻繁に使うモノには愛着が湧きます。
その「愛着」を私は生命の感じさせる要素と考えていて、この作品は人がモノに愛着を感じ、徐々にそのモノが「生命」に変わっていく過程を表しているようでとても好きな作品でした!

5)浅野ひかり

自分が住んでいた四畳半の部屋が比率そのままに縮小したものが並んでいます。住んでいた場所が住めないサイズにまで落とし込まれていく過程が、記憶が徐々に薄れて持ち運べる程度の必要なものだけに変わっていく様子を思わせます。

私は私の部屋の記憶を持っていますが、同時に部屋も私の記憶をもっていて、部屋が徐々に私を忘れ、新しい人と出会っていく過程にも思えました。

6)鮫島 慧

世の中にあふれるコピーすべてをユーモアにし、アートにしてしまうような作品。
「みつけた!本当の私」
という言葉がかつて使われていた展望台に大きく掲げられ、見つけやすいような見つけにくいような状態になっています。

本当の私を見つけたい、という想いの裏には、本当はもっとできるとか、まだ本気出してないだけ、みたいな現状否定が伺えますし、
そもそも「本当の私」が今より素敵だなんて誰も言ってません。

アートの世界でも「本物になれ」「本物を見分けろ」みたいな言葉が聞こえてくることがあり、その言葉があるということは、「本物でないもの」もあるということを示唆させます。

本物だと凄そうで、ニセモノだと安っぽそうです。
そういう想いがそもそも単なるイメージ戦略な気に思えるのに、私たちはそれでも「本物」とか「真実」とかに憧れをいだいてしまいます。

「みつけた!本当の私」をみつけたら、どんな気分がするだろうか。
本物の「みつけた!本当の私」を見つけたぞ!っていう達成感があるだろうか。

コピーとして見かける言葉は、いつも耳障りがよくて、なんとなくいい気分になったくらいで流してしまいがちです。
でもそれは身体の中に確実に積もっていて、なんとなく本物は素晴らしい、本当の自分はもっといいはず、という偏見や逃避を生んでいるのかもしれないと考えました。

7)原本 悠

5人の女性が作家の指示に従って行った行為の痕跡を作品化したもの。
ストッキング、鏡、コップ、生理用品と経口避妊薬、背中の写真。

ただ毎日履いたというだけのストッキングが、改めて言葉とともに目の前に展示されることで、
ここまで強く個人の存在を感じさせるのかと驚かされます。

毎日使っている物は自分にもたくさんあるはず。
スマホやパソコンだったり、コップだったり。
それらの存在は当たり前にそこにあるものなのに、「1日8時間365日触れ続けているパソコン」と言語化されるだけで、その存在の特別さが重量を持って響きます。

「集団」の問題になってしまうと、どうしても遠くに感じてしまう物事が、集団の中に本来在るはずの個人にフォーカスされることで、ここまで実在としてズシリと心を揺さぶるのかと驚かされました。

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▼現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ
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