見出し画像

久しぶりに親に連絡したら「人生にひとつもいい事がなかったから終活する」と言われた話

先日のことだ。私の仕事関係のことで久しぶりに母親と連絡をとった。

私の母親と言う人は不幸という環境と性格的なものからくる言動のせいで、とにかく人に恵まれない人生を爆走中の人である。かく言う私も様々な理由から連絡を控えていた一人ではあるが、とにかく孤独な人生だと思う。

母と連絡をとったとき、母の機嫌は割といい方だった。機嫌が悪い時は愚痴や嫌味を連発する母だが、機嫌がいい時は私のことをべた褒めする極端な母である。私がしっかり生活できていることに対する賞賛を母から受けているときに、突然それは起こった。

「お母さんね、人生にひとつもいい事がなかったから、退職したら終活するつもりなの。生きてるのつらいし、今後も絶対いい事なんてないでしょ?」

突然のカミングアウトに私はかなり面食らった。しかし心の中では冷静な自分が、母の機嫌を損ねることのない差し障りのない返答を考えていた。

「いいんじゃない。お母さんの好きにすれば」

私の返答はこれだった。正直今でもこれ以外の言葉は出なかったと思っている。母の人生に口を出す権利なんてないし、本人がそう決めたことだ。私は肯定するしかなかった。どうせ私がなにか言っても意見を変えることのない母だ。

「うん……本当にいい事がなかったから」

そう繰り返す母の愚痴に少し付き合って、私は電話を切った。

電話を切ったあとで、私はしばらく動けずにいた。胸を満たす虚無感が全身に広がっていくようで、立つこともできずに座り込んでいた。

「人生にひとつもいい事がなかったから」

その言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。ひとつも、という言葉が胸を刺す。その言葉に私の生を否定された気がしたからかもしれない。思い出を、関係性を、交わした言葉を、全部否定された気がしたからかもしれない。とにかく虚しさに襲われたまま私はしばらく動けずにいた。


いまこれを書いたのは心の整理をしたかったからだ。でもきっと私はずっとこの言葉の意味を考え続けるのだろう。娘を愛せずに虐待した母親と母親を愛せずに距離を置いた娘は、どんな関係になるのが正しいのだろうか。どうしたら救いはあったのだろうか。そんなことを、ただただ考えてしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?