エッセンシャルワーカーという語源は5年前からある
#新型コロナウイルス による #緊急事態宣言 でも外出をさざるを得ないスーパー等の店員、医療、介護、清掃、運輸、郵便といった #エッセンシャルワーカー を差別する風習がある。
医療を除けば #底辺 職であることは確かであり、雇い止めで失業した時に
精神疾患で服薬中という理由で生業のデジタルは不向きだから清掃や介護の方が合っているという友人の侮辱発言で悩まされたことがあった。
その件を職業訓練のキャリアコンサルタントの教官に話したら、
表立って働いている人達を陰で支えている立場だから偏見してはいけないと言われた。
確かに理不尽な理由で僻地に飛ばされ、閑職に追いやられてしまい、出勤している意味がないから自らトイレ掃除をしたことを思い出した。
実際は、
頭脳労働者や目立つ仕事をしている人がおいしいことをしていることに対し、正反対である地味な仕事や底辺の仕事は無意味であるという図式が成り立っている。
私自身、土木の仕事に従事していた頃はマンホールに潜って泥まみれになりながら仕事をすることを極端に嫌がったいたことがあり、退職するまでデスクワークに留まってあぐらをかいていたことに対して反感を抱かれた。
そういった人達に対して無関心でいられたものの、
失業してから自分の番になってしまい、今まで同じ立場に留まっている人達の盾になり、身体を張るようになった。
こうなれば底辺の仲間入りだと思われがちだが、
新型コロナウイルスに感染したくないが為に外に出たくないものの、文化的な楽しみはなくなっても構わず、自分を捨てて高齢の家族を守っている私がいた。
高齢の両親は衰弱していて今まで通りの生活をしていたら潰れてしまうということに対し、同居している私に責任があるが、
性悪ばかり集まっている父方の親戚の中に、実父の姉に当たる伯母は従兄弟のなかで祖母の容態を気にするのは私だけしかいなかったと証言で前方で働く人の後方支援をして、評価をされたことにつながっている。
所謂エッセンシャルワーカーという語源を生み出したのは、
職業訓練の教官との会話であり、底辺のポジションの人達は身を挺して危険かつ汚れた環境で働いており、誹謗中傷めいた発言をするなと諫められたのと同時に、そういう発言をした友人とはもう友達ではないと見切った。
危険かつ汚れた環境にいる人達に対するマウンティングに負けないように上に目指していた私にしては、
底辺であること対する眼差しを受けたことによるストレスを受けた反面、それに甘んじて頑張っていることに対する感謝をされたことによって、どんな形であれ、「勤労者」であることに変わりはしない。
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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。