「夢があるから辞める」という発言の裏を読み取られた問題
1998.4に #東京水道サービス (TS)に契約社員として入社直後に、
前職とは違い、同年代、同性、同形態の社員が一人もおらず、自分のことが話せなくなった悪環境になったストレスや閑職に近い状態になってしまったことによるストレスを受けてしまった。
この事由で退職検討理由として挙げていたものの、
私より若手の社員も同じような生きづらさを感じていたのを、雇い止めされた職場に異動してから気づいた。
私の場合は実父の縁故で入社しており、
年齢がかなり離れている高齢社員の価値観が合わないことによるトラブルを起こしたら実父の顔に泥を塗ることや、非正規社員でありながらフルタイム勤務のために社会保険に加入をしている為に簡単に退職できなかった。
入社した年の健康診断で本社に出向いた時、入社したばかりの私を温かく迎えたくれた同じ形態の高齢社員にそのしがらみから解放したかのように、
将来やりたいことがあるとと話したら、私が帰った頃を見計らって当時の取締役や実父に告げ口されたことを実父から聞かされ、ショックを受けた。
その場にいた当時の #東京都水道局 を #天下りで退職を経て 、入社したばかりの当時の総務部長に間接的に、
「嫌なら辞めてもいい」と言われ、私の仕事に対する真摯な姿勢がなっていないと吐き捨てられた。
冒頭の原因を論理立てて説明出来なかった私が悪かったものの、
表面的な形となるものの、実父の友人のひとりである当時の元管理職や不慣れなパソコンを使いこなせるようになり、日勤で出勤した夜勤のOBに本来私がやる仕事を取られてしまったことが原因で取り上げられたことによる苛立ちから、彼らを避けたり、呼ばれても不貞腐れた対応をしていた。
「やりたいことがあるから辞めたい」という発言は
転職時の面接で退職理由を述べる時に、本心は何らかの不満があったとしても、前向きな形でそのようなことを言ったほうが良いと教えられたことから、前述の総務部長もそう呼んでいたのは当然だ。
その問題が容認されてしまい、内心、次に来るOBにそうならないように願って異動を経て退職してから5年を経過した現在、
案の定、私がいる場所ではないということに気づき、この職場にいても神経を擦り減らすことになり、TSに対する不信感が態度に出てしまったことになったのは決定打となった動機から自分の人生を大切にしたいことは勿論、家族や温かく迎えてくれた社員に気を遣うかのように出た言葉であった。
その13年後の2011年頃に私と同様なことして本当に退職してしまった同じ班にいた元出向社員も
ひとまわり年上である私の不手際に対して威張ったようにダメ出しをして、癇に触れられて激怒した私の態度が原因で、当時の元管理職命令で本来やるべき仕事を命じられたことが機で出向解除、出向元を退職してしまった。
その元管理職がしたのは、
私の辛い過去を理解したかのように、同様な形で間接的に追放させられたことを感じてしまったかのと同時に、表面上奔放で我儘に見えた私の不正を認めなかったことに対することでなく、所謂元管理職と私間で起きた「身内」意識の強さに関する不満が起因だったと思う。
私のTS全体の不満や元出向社員の私に対する逆ギレに対するそれは、20年前に在籍した元総務部長に言わせると、
会社にいればそのような不満をやり過ごせなければ一人前とはいえないという厳しいお言葉を頂いたようなものであるが、入社してから六年半の閑職生活による苦痛の感情や居辛さが露呈されたことから、後に入社した若手社員に伝播されて短期間で退職されることを危惧して、総務部長は、その方の後任以降はずっと直雇用ではなく、客から派遣されるスタイルで行っている。
若手社員を居辛くさせるのは、
社員の安全責任を守るべき総務部長の責任であり、会社の不満を直談判して貶されることを恐れて、やんわりと「やりたいことがある」という言葉を使って会社にとどめを刺したことになることになる。
当時は若輩者であった私も何も知らずにその言葉を使って不平不満を言っていたようなものであり、
会社に対する忠誠心がなかった時期があったことを回顧している次第だ。
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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。