「無関心」は心の溝を作る
昨日の #青森放送 ラジオの #麻生しおりの土曜はキュン お悩み相談コーナーで #麻生しおり さんが
#無関心 という発言は心を傷つける一言であるという発言に対し、以前からずっと感じじていたことが一致した。
過去に友人・知人らと口論して、私が反論すると
無関心であるという言葉を吐き捨てられ、出会った頃に優しくした枯れたイメージと愕然とした。
敢えていうなら、
「嫌い」より残酷なものであり、一人の人間として見ていもらえないことになる。
最悪な状況であれば、
四面楚歌にさせるようなことをされたようなものという裏切り行為だ。
上記執筆記事が起きた頃に #ハラスメント をはじめとした #職場いじめ や #毒親 絡みで悩み、疲弊して弱まった事もあって、
上記執筆記事に登場した元出向社員や毎日通っているジムと契約しているピラティスインストラクターに自身が抱えている問題に対して提起したら「無関心」であると吐き捨てられ、辛い思いをした。
こうなってしまったのは、
話す相手を間違えてしまったと感じた反面、「無関心」と吐いた本人にも何れは起こりうる問題であるということを共有するべき手間あることを強くいった私がバカだったとしか言いようがない。
このような目に遭ってしまったのは、
核家族化や個人主義重視の社会と化した為に、行き場のない弱者と寄り添う気がなく、孤立させているようなものだ。
彷徨い続けている弱者にしては、
誰でもいいから一秒足りとも助けてほしいというサインを出しており、相手が迷惑がっていることを読む余裕がない。
対立してしまったのは、
相手との初対面当時の記憶が止まってしまっており、助けてほしいというサインが重荷になった為にマイナスな感情にさせたかもしれない。
最悪な場合になると、
#迷惑行為 から始まり、 #犯罪 や #引きこも 、 #自殺 に追い込む危機がある。
即ち、
死活問題に影響することを理解すべきことをしたのことに関して共有拒否した哀れな人たちであると切り捨てたのだ。
現在社会問題化している当事者からすれば、
「無関心」という切り捨て方で壁を作られた為に #生きづらさ を感じてしまい、それによる感情的な交流を失われたことになる。
それに、
弱者が抱えている現実問題からさを背けるような強者であると言わんばかりか、安易に傷つけた哀れな人としか言いようがない。
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。