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嫌い避けによるタブー視

小学校高学年ごろにそれ以前に受けたわかりやすい露骨な感じでいじめを受けたことが原因から、

私にとって都合が悪く嫌なことをしつこくいう類の人や所属しているグループを避けていた。

そのことを同じグループにいた友人の一人から聞かされ、

人によって態度を変えるのを改めて欲しいと忠告された程であり、一応受け止めたものの、 #不登校  に至る程の #引きこもり  をすることを禁じられているので、自分の本心に従い続けた。

視覚的にわかりやすい身体的及び精神的暴力はしなかったものの、好きな人だけに囲まれた楽しい学校生活を送ることをモットーとしていた私に対して、

避けられた人たちに対して口にしなくても「否定的」な対応されて傷つけられたという訴えから、後に起きた逆の立場になったことを受け、彼女たちの気持ちが理解できた。

大人になれば露骨な避け方をせず、大騒ぎはしないものの、

一度否定的な対応をされたと感じれば、私と付き合う気はないと見做しており、基本的には深く関わらない。

初職の教育係だった男性の先輩は私だけ冷たい対応をしているものの、それ以外の同僚たちとの接し方が違うという不満を後に彼の妻となった先輩に言ったら、

特別に可愛がっているという意味であるという所謂「 #好き避け  」のようなものであるとはぐらかされ、冗談が通じないと見做された。

それでも、

純粋にいえば「傷ついた」と感じており、冗談のつもりで言った言葉で傷つく人がいると忠告されたことに関連しているのだから、自分としては「 #いじめ  」と認識していた。

それが続き、 #生きづらさ  を感じたものの一人前になるべく、周囲を観察しながら、おどけた対応をする他はなかった。

完全に孤独感を感じた前職では、

初職以前のようなものはなくなったものの、私が過去にしていた避け方をされたり、理由をつけて断られることが多かったことである意味「孤独感」が強かったことから、明らかに嫌われていると認識した。

正直いえば、

どんな立場の人達であろうと「平等に接する」ことを学ばされたようなものであり、因果応報によって返ってくるようなものであることを身に染みており、いくら歩み寄っても拒否されたら無駄である。

ただ、優しい対応で遠回しに拒否をする人に関しては、

見込みがありそうであるという隙があると認識してしまい、最終的に私からの一方的な声かけのみや、素っ気なかったり、急に怒り狂った対応されたことから、最初からまともに対応しなければ良かったと自責している。

若い時から受けた家族抜きの友人関係が上手くいっていないことが原因で当時の担任や友人、初職の入社当時の元上司からの自ら進んだ構築作りに関する忠告や職場環境を円滑にさせるために「和」を乱さない対応といった複雑な問題に悩まされており、

自分の感情のままに生きられないと感じたものの、一度否定的な対応をされたらすぐ見切るといった対応をし続けた方がかえって良かったかもしれなかった。

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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。