三浦春馬の自殺前に言った最後の言葉と照らし合わす
冒頭ツイートの #三浦春馬 の最後の言葉は
遺作となってしまった「 #カネの切れ目が恋のはじまり 」の撮影中に #松岡茉優 さんの意見に合わせるとスタッフに意見を言ったことらしい。
というのは、
プライベート等で自分の意見が通らなかなってしまった程の #生きづらさ があったと見受けられ、自己犠牲をしているとしか言いようがない。
周囲は
春馬君は相当売れているから思い通りにやってもおかしくないのではないかと思うのは当然であり、別に年齢不相応の「大人の対応」をしなくてもいいと思う。
兎角いう私も、30年近く前に同じく自死した親友と電話中に2人目の元交際相手からポケベルが鳴ったことに気づいた彼女に、
自分のことはいいから彼を優先してもいいと言って電話を切られたことを思い出したことから、親友が過去に高校時代の共通の友人に紹介された元交際相手と破綻になってしまった生きづらさから、無駄な「思いやり」をされたことを思い出す。
礼を言ったものの、その元交際相手が私の帰宅時間を見計らって毎日のように実家に電話をされたことが重荷となってしまい、一線を保った関係にして欲しいと懇願したかったものの、
親友が応援しているからこそ、若いうちに結婚しなければならないというプレッシャーに押しつぶされた。
亡き親友がした「思いやり」を遺志を引き継いでいるわけではないが、生まれてからずっとしているという感覚が強く、
身勝手な家族らの要望に自分をそっちのけにして不本意ながらやっており、その苦悩に押しつぶされてしまった程の雑な仕上がりになってしまったことで春馬君のような「完璧」なものになっていない。
それによる「逃避」をしたら、
「自分勝手」と見做されしまうのがオチであり、自分を殺せば丸く収まるという思考が春馬君の「最後の言葉」に近い。
ベテラン役者並みに売れてしまった春馬君と実務のベテランから引退してもおかしくない私にいえることは、
昔の自分のことが考える余裕がない多忙なスケジュールから一線を引いてもいいと判断でき、人目を無視した意見をしても嫌われることはないと確信し、お互い言動•行動に責任を持った大人であるので「勝手」なことをしても問題はない。
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。