思い出話を拒否された悲しさ

2010.秋、雇い止めされた会社で #パワハラ   関係の相談に本社に出向いた帰りの出来事。

2004年頃に若手同士の酒宴の席で、同席してくれた同年代の先輩の主査の女性に、上記の思い出話を軽く話したら、

そんなこと覚えてませんよ

と敬語で冷たくキツい口調で吐かれ、

以前のような親しみやすい姉という化けの皮が剥がれ、私と関わりたくないというサインを送っていた。

冷静に考えれば、時々彼女が私用等で支社に出向くことがあり、あまりにも久しぶりに会えた嬉しさで話しかけようとしたら、逃げられたことがあったが、

親しげに声をかけたくれたのだからそんなことをするのは嘘だと信じながら歩み寄ったが、同じ日に行われたパーティーでゆっくり話すことができなかったことを残念に思ったと話したら、激怒された。

この対応で彼女との関係は完全に破綻したという実感をしており、

所詮仕事だけの関係に過ぎなかった。

当時同じ部署に所属していた他の若手の同僚らに無駄話で盛り上がっていることから、私も同じ様に接してくれればと思っていたのが誤算であり、

所詮、いざという時に辞めさせられる #非正規社員  のままであり、 #派遣社員  上がりの #正社員  とは違うという態度が見え見えだった。

冷静に考えると、実父に

彼女が当時所属していた総務宛に会社としてはパワハラという面倒くさい #労働問題  に関する相談を受けたくないという旨を伝えられたことから、本当の関係ではないと告げられ、ショックを受けた。

#毒親  問題に悩まされているだけでなく、会社以外の無関係な第三の関係を築くことを禁じれ、満たされない思いをしているので、

会社でしか心許せる関係を築く他はなく、焦っていた。

又、退職した年度に参加した酒宴で、元出向社員の後輩の女性に、又みんなでボウリングやりたいですねと話したら、

みんな忙しいからそんなことをする機会がないからできないという否定的な発言をされた

ことも、

先輩の彼女同様、思い出話を振っても否定するのは私を嫌っているしか言いようがない。

せめて嘘でもいいから、

同意して、傷つけない対応をすれば話が円滑に終わる筈だ。

そんな対応に傷ついたのは私だけであると思いつつ、

自死した親友が卒業しても、又みんなで会って演奏したいという思い出話を振られても、お二方同様に聞き流していたという罰が当たったと痛感し、後悔している。

卒業や退職等で関係が終わった人達との関係性という契約切れで終わらせ、忘却したという言い逃れをすることは

本当の「絆」がなっていないと見なし、真の関係とは言わない。

環境等が変わると、記憶が上書きされるため、

最後に出会った頃の感情のまま止まっており、人間として成長していないとあしらわれるのは無理ない。

余裕がある大人だったら、会話が弾むかもしれないが、相手の表情等が読めないことによる原因で、心を病んでしまうのがバカバカしいこの頃である。

#HSP #生きづらさ



只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。