江戸時代は法律が厳しい?!

現代でも多い交通事故や泥棒。軽犯罪と言われている事件は江戸時代であっても存在していました。

一罰百戒という言葉を知っていますか?

罪を犯した人を罰することで多くの人の戒めとするという意味ですが、江戸時代はこの言葉の通り、見せしめ的な要素が多く見られ、現代では罰金刑ですが、江戸時代は死罪!という例が多くあります。

今日はそんな江戸時代の軽犯罪を見てみましょう。


【天下泰平がもたらした犯罪】

8代将軍:徳川吉宗が中心となって、1742年に制定された「公事方御定書」。これは現代で言えば法律集みたいなものです。

江戸時代は天下泰平の時代。約260年間戦争も無い時代が到来します。そのために商工業が発展し、江戸京都大阪を中心に商品や物品の往来が起こり、経済が発展していきます。

そんな中で増えたのが現代でもよくニュースになる、交通事故です。

江戸時代の交通事故と言われても想像出来る人は少ないと思います。江戸時代に多かった交通事故は、大八車や馬や牛との人身事故です。

これらの事故による刑罰は、大八車を引っ張ってた人だけじゃなく、荷物を頼んだ人やその家主にまで及ぶという厳しいものです。

・大八車で人にぶつかって死亡させたらは死罪
・その荷主は重き過料
・家主は過料
・牛馬で人を死亡させた馬子は死罪


※過料…過失などの軽い罪を償うために科した金銭


【窃盗罪と不倫も罪】

また、窃盗罪もよく起こった犯罪でした。

・初犯は入れ墨のうえ50叩き
・2回目に捕まると入れ墨のうえ追放刑
・3回目に捕まると死罪

更に公事方御定書には、10両以上の窃盗は死罪と記されています。

かの有名な鼠小僧も、何回も再犯を繰り返して捕まった挙句、市中引き回しの上に晒し首になっています。

また、現代でも週刊誌をよく賑わせている不倫は、江戸時代では姦通罪という犯罪行為になります。

「不義密通」とも呼ばれ、公事方御定書には不倫をした妻と不倫相手は死罪となっています。
更には不倫された側が、不倫相手を殺したとしてもそれは許されていました。
昔の方が不倫をするのは命懸けだったようです。

最後にユニークな刑罰を紹介して終わりたいと思います。


【現代にも引き継がれている刑罰】

学校でよく職員室などに呼び出されて怒られた「叱り」も江戸時代では立派な刑罰の1つでした。

無論、この叱りという刑罰は、刑罰の中でも最も軽いものでした。

当時は、奉行や代官といった身分の高い役人から叱られることは、とても恥ずかしいことであり、お家の恥と見なされました。これもある意味では見せしめ効果は十分だったと言えるでしょう。

時代と共に犯罪の種類は増えていますが、今に繋がる犯罪や刑罰もあります。

小さい訴訟には老中も目を通すことがあったし、酷い犯罪は将軍の判断を委ねる場面もありました。

とかく小さい訴訟でもとりあえずは奉行所に届出を出すように民衆に働きかけ続けた江戸時代の司法のレベルは決して低くはないです。

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