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結婚報告を聞くと、どうして少し寂しくなるのか

1年の間に何度か聞く、報告。
「大切なお知らせ」「いつも応援してくださる皆様へ」みたいなやつ。

基本的に私は芸能人の結婚や離婚についてあまり関心がないけれど、母はよくテレビを眺めながら、「この女優さんって○○の奥さんだっけ?」「こんなに綺麗なのに独身(子どもがいない)なんて、遺伝子が勿体ないね」なんてことを口にする。

私は誰が誰の奥さんで旦那さんなのか分からないことが多いし、遺伝子が勿体無いとも思わないので、いつもなんとなく受け流して終わらせる。

今日もそんな、関心がないはずの結婚報告を耳にした。その人の本名も顔も年齢も知らないけれど、毎週のように声を聞いていた人。友達に彼氏が出来たときみたいな、そんな気持ちになった。

結婚を素直に祝福できないのは、良くないし。そういう気持ちで、とにかく「おめでとう」と画面に打ち込む。驚きとか少しの寂しさ、悲しさ、なんか分からない落ち込み。色々丸め込んで、おめでたいことには変わりなかった。

誰かと生きていけることは、本当にめでたかった。


例えば芸能人が結婚して、それを喜べない人がいたとする。こういう人たちのことを「本当のファンじゃない」とか「自分が結婚できると思ってたの?」とか言う人たちが居る。リア恋やガチ恋みたいな、本気で恋愛対象として見ていた人、みたいな認識を受ける。
そういうことじゃないんだよな、と前々から思っていたけれど、喜べないことや祝福出来ないのは自分の気持ちの問題であるから、表向きは祝辞を述べるのが妥当だろうというのに変わりはない。

でも本当に喜べなかったのだ。
寂しいな〜とか悲しいな〜と思っちゃったし、これからその人を見る目が「既婚者」というフィルターを一枚通したものになっちゃうし。

その人自身だけを見つめていたかった。でも家族が増えるということは、付随するものが増えるということで。
何にも変わらないけど、知らなかった頃には戻れない。単純に変化に弱い。順応までかかる時間が人より遅いだけなのかもしれない。

なんやかんや言ったところで、私が「人生で一度も恋人が居たことがない」という事実がここで出されたら、「ただの僻みかな?」と思う人もきっといる。実際そうかもしれない。

私にとって恋愛は未知で、遠くて、恋人がいる人、結婚している人、みんな宇宙人みたいに遠い感覚だから。

あなたも恋愛ができる人だったのね。そんな気持ちがどこかにあって、だけどそれを「あなたもいつか分かるよ」「まだ出会ってないだけ」みたいに片付けられるのも、物凄く嫌なのだ。

誰かと出会って、恋人という段階まで関係を進めて、そこから結婚することになる。赤の他人だった人と一緒に暮らして、一生一緒に居る約束をする。それってどういうことなんだろう?その重みや関係性がピンとこない。どうしても自分にも同じようなことが起こるなんて思えない。だからなんとなく、全く違う人だったのかも、私は勝手にこの人に自分を重ねていたのかも。そう思って悲しくなる。私と他人の差を見つめて。

悲しくなる必要なんてこれっぽっちもない。同じ人間なんていないんだから。今も変わらずあの人のことは好きなまま。なにも変わらない。あなたが幸せであることがなにより大切で、人生の節目を報告してくれた喜びはきっと、私の中にちゃんとある。

ご結婚おめでとうございます。


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