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今こそ古典文学に親しもう

 高校生の時に古文で習った一節が、忘れられません。あれは確か枕草子だったはず。「感情の赴くままに書き殴った文章を冷静になって読み返すと、誰に見せるものでもなく私的なものであっても恥ずかしい。」

 学生の時には日記など全く書いていなくて、「正直何のこっちゃ」くらいにしか考えていませんでした。20代半ばからふと思い立って、日記を毎日使い続ける習慣がつきました。もう十年くらい続けています。

 親戚のおじさんが何十年も書き続けていて「自分もやってみようかな」と軽い気持ちで始めたのですが、こんなに長続きするとは思っていませんでした。長く日記を書き続けると、本当に古典の授業で習ったことがすごく身に沁みます。

 今の時代だと日記をsnsに置き換えると、若い世代の方には、よりわかりやすいかもしれませんね。今も古文でこの一節は取り上げられているんでしょうか?情報化社会になった現代社会だからこそ、警鐘を鳴らす存在としてここは押さえておいて欲しい。

 平安時代にこんな哲学的な事を思いつくなんて、「時代を一体何歩先取りしてるんだろう」とただただ先見の明に感服致します。と同時に日記というツールが、こんな長い間廃れずに存在し続ける理由も何となく理解できますね。

 平安時代の人達は、今の日本を正直どう見ているのか気になります。直接会うことはできなくても、古典にたくさん触れることによって何かしらのメッセージを受け取れるんじゃないかな。

 図書館にはよく行きますが、難しい作品より読みやすさ重視な作品を選びがち。少し背伸びして古典文学にも親しんでみようか、と思案している所です。

 また学生さんにも日記をつけて見ることをお勧めします。そんなに長くなくても、一行でも記録する。「記録」が「記憶」につながって一本の糸のようにつながる。そういう小さなことの積み重ねが、人間の人格形成にも影響を与えていくような気がしてなりません。

 お子さんの情操教育にもとても良いと思いますよ。その日にあった嫌な事や悪口とかそういうの結構日記に書いてますからね😣。「あっこれ日記で良かった」ハッとヒヤリ体験して書いちゃいけない事を自然と覚えていくもの。

 誰でもオピニオンリーダーになりうる時代だからこそとても大事な事のような気がしています。そうやってエチケットを身に着けてから発信する側に回ると摩擦もあまり起きなくなるのかなと考えています。

自分を戒める意味合いも込めてこれからも日記を書き続けます。例えるならばnoteでいうところの下書きに当たる機能ですかね。

 追記 この記事は自分がものすごく考えながら書いたものなので、沢山の方に読んで頂けたら嬉しいです。


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