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待つのも滋味深い
色んな人と瞬時に繋がるよりも、特定の人となかなか連絡がつかない状況の方が好き。相手の顔も名前も職業も年齢も知っていて、そういう人を待つ時間って楽しくないですか?知らない誰かをそんなに待てない。
きっと待つ側の楽しさもあると思う。「まだ来ない。もうそろそろ」はハラハラドキドキ。無論相手に好ましい感情を抱いていたらの話ですが・・・。私は人を待たせる楽しみをあんまり知らない。時間に正確に動きたいタイプですので。でもちょっと遅れても待っててくれる人がいるというのも幸せなんだろうなぁ。待たせる喜びを知らない私は、もしかして人生の半分は損している?
う~んそれでも私はこれからも待つ側の人間でいいや。「もう遅いよ~」と言える相手がいる。これもまた一つの幸せなのかも。思えば待つとは色んなシチュエーションで考えられます。
例えば店で食べ物を待つ時「早く出来ないかな」とソワソワしたり。調理の工程がちらりと見えれば、一気に期待が高まります。あともう少しをそっと楽しめる自分でいたい。この頃そう思うようになりました。
スピード重視に疲れたからか、待つ時間もスパイスくらいの感覚。気持ちを盛り上げる隠し味。日常を彩るエッセンスではないかと感じます。いつものんびり待てるわけではないけど、それもまたよし。たまにはイライラする事があったっていいじゃない。人間だもの。
自分でご飯を作る時も、あともうちょっとを慈しむ自分になれたらいいなぁと。早く早くだと料理失敗しそうで・・・。もうちょっとで劇的に美味しくなることもあるんだよな。ちょっとせっかち気味な私には、待つことをもっとじっくり楽しむ感覚も必要。
待つことは、必ずしもネガティブな事じゃない。待つのその先に、無数の喜びや楽しみが待っていると信じて・・・。今日はゆっくり待とうかな。
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