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ノーと言えない?📙日本語と英語の共通点!

ノーと言えない?

『NOと言えない日本人』という本が出版されて話題になったことがあります。この本を知っている人は同年代では??…歳がバレてしまいますね。今はもう探すことができないので,若い方はもしかしたら存在自体を知らないかもしれません。ノーと言えない…私自身も留学中に「日本人は物事をハッキリ言わないよね」と,何度か言われたことがあります。

日本語と英語の違いについて,これまで長く考えてきたのですが,それぞれの言語の特徴や法則をある程度体系化することには,重要な意味があるのではないかと思います。言葉だから通じればそれで良いという考え方もありますが,残念ながら,私たち日本人(一部の方をのぞいて)には「使える英語」という壁は,まだまだ大きいように思います。このことは,今回この記事でお伝えする「根本的な視点」がズレている,または欠けているのが原因なのかもしれません。

私の時代は,中学生になってはじめて英語に触れるのが普通でした。英語の授業に違和感があり,苦手でした。英文和訳をするときには「はじめに主語を訳して述語(動詞)にぶつかったら,後ろのかたまりから順番に訳していけば,日本語になるから」という指導が一般的であり,漢文で使われている「返り点」をつけて読むような感覚がありました。また,アルファベット26文字で,繊細な人間の感情をどこまで表現できるのだろう?という素朴な疑問もありました。

時代とともに,英語の教え方も変わりました。「スラッシュリーディングで,英語の語順のまま,前から意味を把握していく(英語脳をつくっていく)」等の指導法が確立されてきました。また,本物の英語に触れる機会も,昔より大幅にに増えていると思います。良い環境が整ってきている英語教育ではありますが,それでもまだ足りないものがある...。

それは,すべての「もの」や「こと」は「こころ」から生まれている,ということです。「ことば」も例外ではないでしょう。人類も最初からペラペラしゃべっていた訳ではなく,気持ちと言葉は,両者を行き来しながら形成されてきたはずです。私たち人間にとって,もはや切っても切り離すことのできない「ことば」を,形成過程を逆転させて考えてみれば,人間の心に到達するのではないでしょうか。

日本語と英語の共通点を「語順」に焦点をあてて,1つの基準だけで考えてみます。語順だけを切り抜いてみても複数の基準があると思いますし,すべてが数学的に説明できるものでもないと思います。また,分類するときには大きく分析したほうが分かりやすいはずです。あくまで,人間の「気持ち」に特化した基準です。

☆共通点彡
1つの文を前半と後半に分けた場合,前半では何を,また後半では何を,私たちは伝えたいのでしょうか。例文を挙げてみたいと思います。
日本語👇
その週末は出かける予定なので,【前半】
あなたと行くことができないです。【後半】
英語👇
I cannot go with you,【前半】
because I'm going away that weekend.【後半】
もし私たち地球人が,人とコミュニケーションをはかるときに「自分が一番相手に伝えたいこと・大切だと感じていること・内容的に重要だと思っていること・なかなか言い出せないこと」などを,できるだけ最後のほうに持って行きたい,という心理が働いていて,この気持ちは世界共通だと仮定します。この仮定で,例文の日本語と英語を比較します。「否定語」に注目すると,日本語は後半に,英語は前半に入っていますね。ということは…どういうことでしょうか???

「YES / NO(結論)」を伝えることは,日本人にとっては重いもので,英語圏の人にとっては軽いもの,「内容(理由・原因など)」について触れることは,日本人にとっては軽いもので,英語圏の人にとっては重いもの,ということになってしまいます。

語順によって重要度に差が出ることは,いくつかの例文で説明することが可能です。日本語の場合,例えば「美味いけど(値段が)高い」と「(値段は)高いけど美味い」では,この言葉の後ろの部分に発信者の気持ちがより入っていると,多くの人が判断するでしょう。英語の場合,I bought this car. と This car was bought by me. でも,後半部分をより相手に伝えたいのだなと感じます。語順による気持ちの差がまったくないのであれば,2つの表現のうち1つは淘汰されても不思議ではありません。

日本人は「ノー」と言えないのではありません。英語圏の人たちには「イエス・ノー」を伝えても大丈夫なのだ!ということさえ分かっていれば,言えるのです。この視点は,日本人との付き合いのある英語圏の人が,日本語を学ぶ際にも役立つはず!

両者の差異に目を向けるより,共通点を見い出そうとする方が,結果が良くなることが多い…このことは人間関係を築いていく場合にも言えるのではないでしょうか。逆説のようですが,その方がお互いの違いを正しく理解し,かつ認め合うことができるようになるように思います。

交通手段や通信技術の発達とともに,文化の違いの差も,相互の影響でゆるやかになってきているとしても,一番大切な「心」の面は,これからさらに見直す必要があるように思います。

語学教育に,私が「足りない」と感じていることをまとめてみました。どの国の言葉でも「ことばに思いをのせて」発信したいものです。








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