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ハートランドの遙かなる日々 第15章 会議は夜踊る

 
 その日の夜のこと、エーテンバッハ教会の講堂では内々に会合が行われた。集まったのは修道院関係者が多い。
 大修道院ではザンクトガレン修道院のヴィルヘルム修道院長、そして聖母聖堂のエリーザベト大修道院長、グロスミュンスターの修道院参事が数人、その他にもアインジーデルン修道院、ヴェッティンゲン修道院等、ラッペルスヴィル家が関わる修道院が殆ど集まっている。
 そして地元チューリヒからは人数も多く、市長と参事会員数人とツンフトを代表する大商人がずらりと並んでいる。
 ハインリッヒ・フォン・ホーンベルクもいて、バーゼルから要人を連れて来ている。
 シュウィーツからはシュタウファッハと要職の数人、ニートヴァルデンからはオイデスリート、ウーリからはアッティングハウゼン、ヴァルター、ブルクハルトがいた。
 エリーザベトとルーディックが講堂に入って来ると、その後ろからは装飾的な杖を持ったコンスタンツ司教、そしてラウフェンブルク夫妻が入って来た。すると、参加者から戸惑いの声が上がった。ラウフェンブルク家はハプスブルクの分家なのだから当然だ。

「秘密は堅守します。私共も是非お話に加えていただきたい」

 入るなり、エーバーハルト・フォン・ラウフェンブルクは言った。しかし場内はざわついていた。

「私からもお願い致します。ラウフェンブルク家は私の相談役でもあるのです」

 良く通る声でエリーザベトも言う。
 ブルクハルトは周囲の声を代表して言った。

「エリーザベト様からのお願いとは言えども、ハプスブルク王家に筒抜けになる恐れが拭えないでは無いですか?」

 そう言うと、多くの人がそうだと頷いている。
 そこへ杖を突いてやって来たコンスタンツ司教が言った。

「かく言う私もラウフェンブルク家の長兄なのは知っておるかのう。それに、既にそこにも我が家の者が並んでおるぞ」

 老修道士が咳払いをしていた。エリーザベト修道院長が言った。

「グロスミュンスターの参事会にもラウフェンブルク家出身の重鎮がいらっしゃるのですよ。庶子ですのであまり表にされていませんが」

 ブルクハルトは司教とエリーザベト修道院長にそう言われてただただ畏まった。コンスタンツ修道院の主教区は北はシュヴァーベン地方、南はウーリが入る程に大きく、大修道院のその上に君臨する権威を誇っている。コンスタンツ司教のルードルフは扇状に並ぶ席の正面まで歩いて来て続けて言った。

「ラウフェンブルク家はハプスブルク分家とは言え、教皇派と皇帝派として別れて戦った間柄だ。加えて領地の収奪を受けて現在裏では係争している。ラウフェンブルク家はキーブルク家譲りの土地を含めればアールガウから、シュウィーツ、ウンテルヴァルデンに至るまでの領地を保持していた。その間は多くを自治に任せ、お互いに上手くやって来た事は知っていよう」

 少し年の行った人は深々と頷いている。ざわつきは既に収まって、唐突に始まった独演会かのように講堂内は静まり返っていた。尚もコンスタンツ司教が言った。

「この多くの領地がハプスブルク王に取られて十年程経つわけだが、今はどうだ。専横と収奪で気の休まる間も無いであろう。当家も先が思い遣られる程で、俗世を離れた聖職の身ながら私も相当歯痒い思いをしている。こちらにいるアンナ女伯はキーブルク家の忘れ形見だと言う事は知っていよう。アンナ女伯は幼少にして両親を亡くされ、キーブルク家の最後の一人となった。その時に叔父に当たるルードルフ王が後見職になり、戦争の経費だ、結婚の手間賃だと身勝手な借金を作られ、最後には王になるからと本家に領土を売却させられた。戦費を使ったのは王家なのにだ。アンナ女伯は当家の末弟エーバーハルトと結婚し、その後に子のハルトマンが生まれる事で正統の継承が出来るようになった。ハプスブルクはキーブルク伯爵位を息子にさせていたが、二年前にその息子が死んでしまい、その継承はこのアンナ女伯とその息子が勝ち取ることとなったのだ。今や新キーブルク家を名乗って、往年の名家復興を目指しているのだ。ここに集う方々の多くは旧キーブルク領に入るのではないか? 物腰は柔らかだがハプスブルクより余程いい領主をしているぞ。仕える主を選ぶ時が来るやもしれんぞ」

 人々は司教の話に、心から共感したような顏になっていた。
 エリーザベト修道院長は大袈裟に驚いて言った。

「シュヴァーべンの半分を領としたキーブルク家の復興とは壮大なこと。その後継者を名乗った事でルードルフ王は王位を得たと言われていますものね」

 アンナ女伯は講堂の中央壇に歩み出て来て、気持ちが抑えられない様子で言った。

「私もその件でお話があります。どうかお聞き下さい。皆様のお力をお借りしたいのです。ルードルフ王は私の後見であって成人後は外れますし、正統な後継者ではありません。今では我が子ハルトマンこそが正統な後継者なのです。先程の売却と言うのも王選を有利にするための空約束で、支払い額はまだ半分にも達しておりません。ならば当然ラウフェンブルク家としては、ウンテルヴァルデンの過半の領地の返還を求めております」

 大きな騒めきが起こった。ウンテルヴァルデンの西部、オプヴァルデンにはハプスブルクの本城や支城が出来たばかりだ。アンナ女伯はさらに続けた。

「さらに、幼少から後見をしております甥のルードルフ三世の継承した領は手付かずで全てが返還されるべきです。それはシュウィーツとオプヴァルデン、その領地権です」

 再び大きな響めきが起こる。その声の主はシュウィーツとニートヴァルデンのアーマン達だ。アンナはさらに続けた。

「加えて、新キーブルク家の後継者として、返還を求める権利地があります。まず故地であるヴィンテルトゥール。そしてアールガウ」

 ここでさらにどよめきが沸いた。アールガウも古いハプスブルク城がある土地だ。アンナ女伯はさらに続けた。

「ここも王城があるので全域とは申しません。そして、ゼンパッハ、ツーク、アルトとなります。ツークとアルトはシュウィーツと共に自治都市として歩んで来た土地でしたが、王領下となりランデンベルクの代理執政官が入り、数々の圧政をしていると聞きます。当家の領となれば、もちろん今挙げた全てを自治都市とします。いかがでしょう? ご賛同頂けますか?」

 ツークとアルトはシュウィーツとチューリヒの間にあるツーク湖沿岸の地で、船便の中継地でもある。そこが王家から解放されて此方側へ着く事は森林三邦にとっても利が大きい。人々は拍手をして賛意を示した。
 ブルクハルトが感嘆を漏らし、拍手しつつ言った。

「これは、最終兵器のようなお方だ」

 ここで人々は立ち上がり、さらなる大きな拍手で夫妻を歓迎した。それを代表するようにチューリヒの市長、マンネッセが言った。

「大変お見逸れを致しまして申し訳ありません。我ら一同歓迎致します。どうぞお席に」

 案内によって一同が席に着くと、まず始めにエリーザベトが壇に立ち、ホンベルク=ラッペルスヴィル家の継承した権利の問題が話された。王の預かりから返されない領地が幾つもあった。

「チューリヒ周縁の飛び領地が幾つか返還されませんでした。保持が確保されたのは、チューリヒ湖東側の本領地や、家門の修道院領等、当方が寄進した修道院に関わる領地、そしてウーリの領地です。守護権の継承は聖母聖堂の守護権に関しては問題は無いのですが、ウルゼレンの守護権は返還されず、アルプレヒト王子の保持となりました」

 これにはアッティングハウゼンが深く嘆息して言った。

「ウルゼレンはゴットハルト峠と共に我々が開いた。そこに僅かなヴァリス人が住み着いた山里だ。人は僅かだが、ゴットハルト峠の税関を王家に取られることになる」
「長く掛かって開拓したものをタダ取りでさあな」

 ウーリの面々が一頻り悔しがるとエリーザベトも悔しそうに続けた。

「ラッペルスヴィル家と致しましてもウルゼレンへの峠道に領を拓き、任に当たって多く投資をしておりますので大変遺憾なことです」

 エリーザベトはさらに悔しい顔をある修道院長へ向けた。

「アインジーデルン修道院の守護権につきましても、差し障りが出ております。アインジーデルン修道院のヘンリッヒ修道院長より、ザンクトガレン修道院の、こちらヴィルヘルム修道院長にご相談があり、弟君であるルドルフ・フォン・ゲッティンゲン卿に内定が下っていたそうです。このお三方は同じ家のご兄弟だそうです」

 ヘンリッヒ・フォン・ゲッティンゲン修道院長は手を上げて目礼して言った。

「アインジーデルン修道院としましては、ラッペルスヴィル家の断絶を聞いた時に、既にゲッティンゲン家に守護権を委ねる決定を致しました。それはザンクトガレン修道院や多くの修道院の方々の協議の下で決められたものです。ご両家の結婚によって、実質ラッペルスヴィル家はホーンベルク家に吸収されるのですし、結婚を理由にこれを戻すという事には少々無理があろうかと思います」

 ヴィルヘルム・フォン・ゲッティンゲン修道院長は手を上げて目礼をして言った。

「既に修道院関係者とも約し、決定した事なので、守護権の委譲をご了承いただきたい」

 それを聞いたシュウィーツのアーマンが唸った。アインジーデルン修道院は領を持つとはいえ、そこはシュウィーツの領邦内にもあたり、相互に関わりが深かった。
 シュタウファッハがアインジーデルンのヘンリッヒ修道院長に聞いた。

「守護権者は家に継承されるものだ。ならばラッペルスヴィル家、もしくは近親者に継承権があり、ここではホーンベルク家に継承されるのが筋ではないか」
「継承権は一時葉ハプスブルク家の預かりになった以上、守護権は新たに王により授かるか、自治であれば我々当事者が決定し直すべきものだ。当方では何度も話し合いを重ね、ラッペルスヴィル伯の同意を得た上で委譲をして貰う事になった」
「それで、新当主であられるルーディック卿は何と」

 ルーディックが小さく頷いて言った。

「同意するよ? 条件は色々付けるけど……」
「な、何故!」
「修道院の間では、もうローマ聖庁まで決定事項として通達が回っていたようで、それを覆すのは教皇派、延いては教皇様を相手に回す事になるそうです。駆け出しの私にはとても出来ません」

 教皇とあってはこの時代、王でさえ逆らう事は出来ない。

「とてもではないがそれは逆らえない」
「同意するより無いようですな」

 居並ぶ人々がそう言っていると、ヴィルヘルム修道院長は納得したように笑った。

「皆様、ご了承頂けたようですな」

 シュタウファッハが言った。

「一つ上手だったようですな。しかし守護権者という事ならば、アインジーデルンの領を有する我々シュウィーツをも守って頂けると言う事になりますが、その点の引き継ぎは間違いありませんか?」

 これには後ろに控えていたルドルフ・フォン・ゲッティンゲンが答えた。

「ゲッティンゲンだ。それは伺ってはいる。ただ、権利が及ぶのは公道や関係農地までだ。市街地には及ば無い」
「アインジーデルンは国境地帯の要衝です。互いに守り合ったり諍いを起こしたりもして来たのです。協力条件を事前に決めておかなければ、いざという時に力を合わせて守り切れません。この場はそうした協力を約すために設けられたのです」
「望む所だ」

 そこでシュタウファッハは「発議を致したいと存じます」と手を挙げた。壇上のエリーザベトがシュタウファッハに手を差し伸べた。

「では、シュウィーツのアーマン、シュタウファッハさんに議事進行をお譲り致します」

 シュタウファッハはエリーザベトと交代し、壇上に立って話を始めた。

「皆様、まずは最新の世界情勢についてお話を致しましょう。ご存知かと思いますが、ブルグント自由伯領とサヴォア伯領、ベルンとその周辺都市ではかねてよりブルグント都市同盟が結ばれております。現在、このブルグント自由伯領周辺では戦争が起こっています。我々シュウィーツはそこへ兵員を求められ、傭兵団を送りました。ポラントリュイ攻囲戦に始まった戦は自由伯領の講和受け入れで一時決したように見えたのですが、ついにはこのブルグント都市同盟との戦に発展し、王軍はベルン、そしてサヴォアに転進し、今もなお攻囲戦が続いております。その間に王軍は街道沿いの同盟都市ムルテン、アヴァンシュ、パイエルンを降伏させたという情報も入っております。特筆すべきは殆どが恫喝交渉を主におく、段階的な都市攻囲戦だと言う事です。これは広域のブルグント同盟があった為、それが発効しないように戦っていると考えられます。最小規模の戦闘を期した作戦です。これは大きな功を奏し、ほぼ王軍の勝利に終わろうとしています」

 人々は新しく詳細なニュースもあり、興味深げに頷きながらシュタウファッハの話しに聞き入っていた。
 そこへフリードリヒ・フォン・ホーンベルクが手を上げて言った。

「ポラントリュイの件については一つ補足させて戴きたい」
「どうぞ」
「ポラントリュイの攻囲戦が起こったきっかけは、我がバーゼルにあります。ハプスブルク家はイースニーという子飼いの修道士をバーゼル修道院に送り込み、買収などの不正な手段で司教にしたのです。それを公訴して弾劾にかけていたのが、ポラントリュイに領地を持つブルグント自由伯領のルノー卿でした。この攻囲戦で王から出された条件はポラントリュイのバーゼルへの移譲と、イースニー卿の解放と復権です。この敗戦によって、バーゼル司教というバーゼルの最大権力はハプスブルクの手に落ちたとも言えるのです。司教は領主権と大派閥を持つのに対し、我らは参事会議員とは言え、一票の力しか持たないのです」
「何と……バーゼルも墜ちたのか……」

 場内はこの大きな政変に驚きの声を上げた。シュタウファッハが聞いた。

「バーゼルはかつてのライン同盟の重鎮でしたね。この盟がまだ生きていると聞きました。これはどうなるのでしょうか?」

 フリードリヒが答えた。

「政治面では既に同盟は解散して、表立って動く事は無いが、通商面で実質は続いている。しかし、王家が入れば完全に無効になって行くだろう」

 チューリヒのマンネッセ市長が言った。

「その同盟はかつて我々も入っていた。協定が壊れるのは通商にも困るだろうな」

 シュタウファッハが話を続けた。

「チューリヒもリマト川がラインへ繋がってますからね。ご存じ無い方もいらっしゃると思います。ライン同盟はライン川沿いの主には修道院の領邦で結ばれた同盟です。これは三年程で分裂してしまいましたが、実質は今でも大きな連携を保っています。同盟は消えても、盟友として残るのです。同盟という事でさらに挙げるなら、峠の向こうの北イタリア諸都市で結ばれたロンバルディア同盟があります。この同盟は強勢で、前王フリードリヒ二世と長期の戦いをしました。我がシュウィーツは王軍に兵を送って戦い、それにより自治の王許を得ております。結果としてフリードリヒ公が鷹狩りをしてる留守中にこの同盟軍に駐屯地を襲われ、多くの将兵と財宝、宝冠までもを奪われ、王軍は敗走するに至りました。史家はこれが王権全体を破滅させた原因になったと言います。すぐ後に毒によってか皇帝が急死、後継の王も教皇派との戦争で敗死し、大空位時代を迎えるに至ったのです。前王に自治の特許を得た我々は、この間に自治自衛の結束を高めて参りました。そしてそれは、後世にもなお強固にして引き継いで行くべきものです。ところが、新王が立ってこれは引っ繰り返されました。王許であったはずの自治領がいつの間にか王家に制圧されつつあります。それは周辺諸国は王家に対抗し得る同盟を持っているのに関わらず、我々の地域はそれを持っていなかったからです。我々には暗々裏にして新たな形の同盟が必要です」
「その通り!」

 ブルクハルトは声を上げて相槌を打ち、周囲に笑われた。それに微笑を向けたシュタウファッハはさらに続けた。

「関係が深いチューリヒとウーリでは既に同盟が結ばれていると聞いてますが?」

 ブルクハルトが声を大に言った。

「その通りだ。我々の父の代に同盟が結ばれている。主に司法権の同盟だ。山を越えたロンバルディアの諸国とも盟約があり、共に峠の開発をしている。ウーリは修道院領が多いが、自治共同体としては独立し、同格の同盟を結んでいる。ゆめゆめ属領とは思わないでいただきたい」

 チューリヒの修道院関係者は、ともすればウーリを遠隔の領のように思っている。それが影響して参事会議員もそのような扱いをする者がいる。これには少し耳が痛い顔をしていた。
 シュタウファッハがブルクハルトの話を受けて言った。

「素晴らしい! ウーリは常に我々より先を行っている。こうした同盟は昔には普通にあったのです。しかし前王が許可の無い同盟を禁止したために、今や立ち消えてしまいました。我々はこの地で古くより盟を重ねながら、吃緊の事態に当たって来ました。戦乱などで同盟者の生命、財産への危害を加えられた時、合同で対処する事を古くから盟約としたのです。今の我々にもこうした同盟があるべきだと思いませんか? ここには自治権を持つ方々、ラウフェンブルク家の方々、ラッペルスヴィル家の方、大修道院の方々がお集まりです。多くの領邦が同盟をすれば、我々は王家にも負けない勢力を得ることが出来るのです!」
「まさに!」

 この言葉に誰もが頷き、拍手をした。まさに今、この同盟を求める人々が集まっていたのだ。
 人々はシュタウファッハの言葉に注目し、シュタウファッハは宣言するように言った。

「僭越ながら、ここに発議致します。今ここに、古き同盟を復活し、新たに盟約の更新を諮りたいと存じます。共に盟約を新たに定める事により、新たなる同盟の合意を形成して行こうではありませんか。そして、最終的にご同意頂ける諸氏との同盟を結びたいと思います。まずはその手始めに、規約についてのご意見を求めます」

 そこから全体での会議が始まった。新しい同盟の規約についての話し合いだったが、昔からの緩やかな互恵関係は既にあり、それを細かく詰めて更新して行く作業になる。それは新しい国家の法律を作るのに似ていた。こんな時は合同で対処する、ある時は自治独自で対応するという線引きが一々必要になるのだ。特に派閥が幾つか分立するチューリヒに見解が一致しない事が多々あり、話し合いは難航した。
 チューリヒの大商人であるグリクフは言った。

「我々はローマ、ヴェニスからザンクトゴットハルト峠を抜けてチューリヒまで多くの荷を運びます。その道中に盗賊団が現れて困っているのです。護衛兵を雇っても、今はそれより数が多くなって来たのです。略奪行為の防止策も盛り込んでいただきたい」

 シュタウファッハは言った。

「救援を求められれば我々は兵を出す用意があります。そうした刑事面、司法面では各領邦で協力し易い点だと考えますが、如何ですかな?」

 ウーリの面々は頷いている。しかし商人は首を振った。

「それでは、もう荷を奪われた後になってしまう。危険なのは人の少ない山岳地で、そこで護衛兵を出して欲しいのです」

 アッティングハウゼンが言った。

「そうなると多くはウチの山岳地帯だ。毎回となれば相当経費が嵩む。費用は各州自前負担が原則だとすると、こちら側だけ負担なのは無理があるのう」

 ブルクハルトもそれに同調して言った。

「他州の荷物を自費でわざわざ命懸けで守りに行くのは……やる方としては割が合わない事この上ない。チューリヒの荷を守るならチューリヒが護衛兵を付けるのが本筋だろう」

 チューリヒのマンネッセ市長は手を横に振って言った。

「遠方の当方ではさらに負担は重過ぎる。チューリヒは修道院と商人の町で兵は皆衛兵だ。遠隔地までは動かし難い。商売上の事ならば必要に応じたコストをかけて、護衛兵は現地で雇ってもらうしかありませんな」

 グリクフは市長に噛み付いた。

「市長! それでは何もしないと同じでは無いですか。盗賊団が大きくなる訳です」
「保障というものがある。相応額を入れておけば保障金が支払われるだろう」
「それは私達の供託金で行ってるものですし、定期的に巨額の損失を出して、もう底を割っています。これでは盗人に財物を与えに行っているようなものです!」

 グリクフは悲憤に顔を赤くした。かなりの損失を出しているようだ。
 互いに利が反すれば交渉は暗礁に乗り上げて同盟は雲散霧消してしまう。シュタウファッハは調整に入らざるを得ない。

「我々としても盗賊団が大きくなっているのを放置は出来ない。我々の生命財産を守る為にはそうした輩には必ず罰を与える構えが必要です。ある程度の場所が判る情報が入れば討伐隊を合同で出したいと思いますが如何でしょう」
「ニートヴァルデンは協力しましょう」

 オイデスリートがそう言えば、ブルクハルトも頷いた。

「ウーリもそれに異存は無い」

 エリーザベトは首を傾げつつ言った。

「守護権者としましては、出動することは吝かではないのですが、それは聖母聖堂の要請が要りますね……」
「ではチューリヒは?」

 マンネッセ市長は参事会議員を振り返りつつ言った。

「聖母聖堂、そして派閥を調整し、参事会の会議を通してからだ。ここで決定は出来ない。保留させてくれ」
「またですか……。すぐに動けないなら討伐は三邦でやりましょう。後で情報は募るとして、時にアッティングハウゼンさん、周辺の警備事情はどうなっていますか。警備の延長で商隊と一緒に動く事は出来ませんか」
「日に二度の見回りがされている。その警備の範囲内であれば限定的に同行が可能だ。時間を合わせて動いてくれるならいいが」
「商人殿、それで如何かな?」
「十分助けになります。商隊が狙われる時は村を出る時の武装の少ない編隊を見定めて狙われる事が多いのです。少しでも人数を多くして村を出たい」
「では、それを規約に盛り込むとしましょう」

 シュタウファッハはそうやって落とし所を見つけると書記席に着き、羊皮紙に規約を文章として書き、それを読み上げる。そうして盟約が進んで行ったが、肝心の相互の援軍を出す条件が纏まらなかった。

「我々自治州のシュウィーツ、ウーリ、ニートヴァルデンでは兵を合同して相互に助け合うのに異存は無い。しかしながら、チューリヒを始め、修道院の領としては他州への兵は動かし難いと?」
「それもまあ道理でしょうな。時にシュウィーツとは敵対している領もあるようですから」

 マンネッセ市長に同調して大勢が頷いている。確かにシュウィーツは時に修道院と税で争ったり、隣接するアルトに攻め入って専横貴族を追い出している。が、シュタウファッハはそれでは同盟が成立しないので目に見えて困っていた。
 そこへコンスタンツ司教が声を上げた。

「チューリヒはさらに加えて修道会参事と騎士参事、ツンフトの商人もいて要望が多い割に意見が纏まらないと言う訳だな」
「いやはやこれは面目無い。正直申せば以前から参事会とツンフトとは少し対立がありましてな」
「チューリヒの国内問題は置いておいてだ、利害を超えて何らかの合同の形を作ろうではないか。まずは既に纏まっている森林三邦が同盟を組めば良いのではないか」

 シュタウファッハは軽く礼を取って言った。

「それに異議はありません。他の二邦は如何ですかな?」
「うむ。ウーリは同盟に異存ありません」
「ニートヴァルデンも心より賛同致します」

 ブルクハルトとオイデスリートがそう言うと、シュタウファッハと目を見合わせて強く頷き合った。それを見てコンスタンツ司教が言った。

「やはりこの森林州三邦なら決まりだな」

 シュタウファッハは司教、そしてエリーザベトの方に一礼をして言った。

「そのようですがまだ十分ではありません。守護権を持つホーンベルク=ラッペルスヴィル伯と、ゲッティンゲン伯にはご助力とご承認をいただきたいと存知ます」

 コンスタンツ司教は顎を撫でながら言った。

「守護権者の承認か。それは大事だな。如何かねフラウ・エリーザベト」

 シュタウファッハとエリーザベトの目が合うと、含み置いたものがあったように互いに微笑した。

「ホーンベルク=ラッペルスヴィル家としましては、修道院領のあるウーリには当然ながら守護権が及びますし、その盟約者とあれば、国境を越えた不法行為の調定は想定される事です。その延長として考えれば承認は可能かと……」

 エリーザベトがそう言ってから、ルーディックの背に手を当て、新当主に譲った。

「そうですね。その延長では、同盟した領邦への援助も条件次第では可能です。国境紛争だとか、略奪行為を調定する場合ですね」

 コンスタンツ司教は言った。

「うむ。ゲッティンゲン卿はどうだね」
「私としましても、不法行為や国境防備の為という条件でなら兵を合同出来ると存じます」
「では、約定結審だな。書記兼議長殿」
「はい。僥倖です。文章化致します」

 シュタウファッハは書記席で羽根付きのペンを取り、今までの規約を纏め、一枚の書に読み上げながら清書して行った。

「どうやら我々はあぶれたようですな」

 チューリヒの修道院長や商人は、ここまで来て有効な成果を得られ無い事に焦りを漏らした。何も無いまま帰っては、先進都市であるチューリヒが新しい流れに取り残されてしまう。他の修道院領も焦りは同じくで、互いに相談し合ったが、良い案は出なかった。
 マンネッセ市長が困って言った。

「それでもチューリヒの参事会では派閥の対立ばかりだからな……。それに大領袖の一人が来ていないし、決定が出来ない……」
「ミュルナー卿の事ですな?」
「ミュルナー卿は帝国執政官、帝国側に立つ立場だからな」

 シュタウファッハは筆を一時止めて、水が流れるように言った。

「チューリヒは隠れたハプスブルク派も多くいると聞きます。ここは、ここに集まる人だけでもラッペルスヴィル家と同盟を結んでおくと良いのではないでしょうか。それを軸とするなら、チューリヒは既にしてウーリとの同盟がありますから、我々とも間接的に同盟する事が出来るでしょう」
「なるほど。それはいい! ここにいるのはラッペルスヴィル家の復興を望んで来たものばかりだ」

 さらにシュタウファッハは筆で宙に描きつつ言った。

「さらには、ここは役割を分けて、守護権者を中心にした同盟をすれば良いのではないですかな?」
「分ける? と言うと?」
「守護権を行使するにも、恐れながらラッペルスヴィル伯もゲッティンゲン伯も単独では大軍が来た時に対応出来ません。チューリヒもそうですが、ザンクトガレン、修道院領は守護権の行使者と同盟して力を合わせては如何でしょう。森林三邦も守護権者との盟約に下にあるわけですから、守護権者を通して連携を取るのです。守護権者の盟約者とあらば我々が義勇兵を送る事も可能です」

 シュタウファッハの声は通るため、隅々に響いた。シュヴィーツの兵は強兵で知られていたので、これに勇気を得ない者はいなかった。

「今迄も時に兵員を借りていた前例もあります。蓋し名案です!」
「シュタウファッハ殿の意見に賛成だ!」

 講堂に波のように賛同の声が上がった。

「私は入らないでいいのか?」
「両方に入りませんわねえ」

 仲も良さげに声を上げたのはコンスタンツ司教と、アンナ女伯だ。

「コンスタンツ司教様、そして新キーブルク伯となられたお二方にも、この盟約の盟主として加わっていただきます。二つの同盟は司教様、領主権、守護権のある盟主によって連携され、裏付けされるのです。そして盟約発動時、我らは盟主への臣従を誓う事で正統性を裏付けられます。対外的に同盟は秘されますので、どの方も今後の情勢によっては王軍側に兵を送るような事で敵対する事もあるでしょう。その時は影から力の及ぶだけの協力をお願い出来ればと存じますが如何でしょう」

 コンスタンツ司教は目を輝かせて不敵に笑った。

「考えたな。盟主とは責任重大だが、気に入った!」
「とても賢明なこと。この盟は大きな前進です。私共は賛同致します」

 アンナ女伯はエーバーハルトと頷いた。

「そのお役、謹んで承ります」

 エリーザベトも深く頷くが、きょろきょろしているルーディックは話に置いて行かれているようだ。
 ゲッティンゲンも「望む所だ」と咳払いしている。

 そしてシュタウファッハは二つの同盟の証文を書き上げ、コンスタンツ司教が一番にそこに署名をした。そしてラウフェンブルク夫妻、エリーザベト、ルーディック、ゲッティンゲンが続き、その他集まった人々も列を作り、続いて署名をしていった。そして領邦の代表者は州章をそこに押した。
 全ての人が署名を終えると、シュタウファッハが書かれた内容を読み上げ、「間違いございませんか」と言って高々と証文を掲げた。大きな拍手が巻き起こる。
 しかし、そこで信じられない事が起こった。シュタウファッハが証文を丸めてサーベルに差し、壁際の篝火に焼べてしまったのだ。

「何をする!」

 ブルクハルトがその証文を取り上げて、叩いて火を消したが、既に過半は燃えて黒くなっていた。
 シュタウファッハはサーベルを演劇のように大袈裟に振りながら高らかに言った。

「いいのだ。燃やす事で証文は今、天に捧げられました。この盟約はこれを最後に秘されます。再び読まれる機会も無いでしょう。証文を証拠とされる事もありません。このような証文によってではなく、今日皆さんの心の中に記された信義によってのみ盟約は果たされるのです。我々の行動によりこの盟約は真実となり、同盟は確証されるのです!」

 シュタウファッハがサーベルを高々と掲げると、満場の拍手が沸いた。ただブルクハルトだけが窓際で尚も証文の火の粉を消して座り込み、少し火傷した手をふうふうと吹いていた。
 その窓の外に一瞬、人影が走ったような気がしたが、気のせいだったのか、闇夜に目を凝らしても何も見えなかった。


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