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【エッセイ】創作大賞2024中間発表と、大谷翔平の50-50達成に思ったこと。



落選して


昨日、創作大賞2024の中間発表があった。

残念ながら、僕のもとに通知はこなかった。

それでももしかしたら、と思って『選考結果』に目を通す。

……ない。

いやでもあるいは、と思って逆立ちしながら読んでみる。

しかし、やっぱりないものはないのであった。



ただ、そこに並んでいる作品群をみたときに感じたのは、失望とは違う種類のものだった。

『おめでとうございます!』とか『くやしい、くそ!』とかそういう感じでもなかった。

客観的にみれば、ここに並べられた作品群は、僕の作品よりも『優れている』という判断が選考委員から下されているわけだ。

もちろんだけど、自分の作品に対して愛着はある。

だからたぶん、僕はもっと失望するべきで、悔しがるべきで、でも祝福する気持ちも忘れず、次はもっと上手くやってやるぞという情動があってもいいはずである。

でもどうも、そんな気持ちにはなれない。

ないわけではないのだけれども、かつおぶしみたく、すごく薄っぺらいものだった。

それがなんだかとても、不思議だった。



偉業を目にして


疑問が解けたのは、今朝、大谷翔平の歴史を塗り替える試合を見たときである。

ホームラン50-盗塁50という大記録。

僕はぜんぜん野球ファンとかではないが、家族がお熱なので、午前の執筆作業の合間になんとなく見るとはなしに見ていた。

大谷翔平が打席に立つときだけ、呼びつけてもらうというシステムをとっていた。

白球がスタンドに吸い込まれていったとき、広い球場も、狭いリビングも大興奮だった。

なんとなくのまま熱狂したふりをして、三男とハイタッチし、ハグを交わした。

そのとき感じていたこと。

それは強烈な創作意欲だった。


熱を感じて


『この人たちは』

僕は考えた。

『この人たちはきっと、自分の熱に従った人たちなのだ』

世の中では、とんでもないことを成し遂げている人たちがいる。

その人たちは、たぶん、ただ自分の熱(好奇心や探究心と言ってもいいかもしれない)に忠実なのだ、と最近になって思うことが増えた。

朝ドラの主題歌を歌っていた米津玄師。

初めて館ものミステリの新刊を出した乙一。

今場所11まで連勝を伸ばした大の里。

そして、大学の4年目を休学してまでアイルランドに羽ばたいていったMUちゃん。

本当のところはわからない。

けれども僕は彼女らの姿に、本人にすらどうしようもないのではなかろうかというほどの熱をみる。

その熱を前にしたとき、僕はただ『書きたい』とだけ思うようになった。

バットを振り抜くように書きたい。

喉を枯らすように書きたい。

相手に向かって迷いなく踏み込むように、頭の中で緻密に脚本を組み立てるように。

見知らぬ土地を身一つで渡り歩くように、書きたいと思った。

これから僕は、創作大賞2024の中間発表に残った作品をいくつかチェックしにいくと思う。

でもたぶん、考えることは同じ。

すべてが、創作意欲に繋がる。

そう思うと、なんだかすごくわくわくするのだった。


わくわくするのだった!



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