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短編小説:デュエル・オブ・ATM

 陸奥がなにかおかしいと思ったのは、電車を降り、駅を出て、その前のコンビニを横切ったときだった。

 妙に風が強い。季節の変わり目でもないというのに、網目状に敷かれた道路の上を滑る風がロングコートを貫いて肌を刺した。

 違和感の正体は、すぐにわかった。人がいないのである。正確にはとても少ない、というべきだが。少ないのはまだいい。むしろ見知らぬ地で、仕事をしなくてはならないときは、そのほうが好都合だ。しかしこれほどまで閑散としていると、逆に注視されてしまうことが増える。今も、駅構内のベンチに座っている老人の視線を躱してきたところだ。まるで遠い海外の人間を見るような、訝しげな視線だった。

 とにかく、目的地へ向かおう。陸奥は風をかき分けるようにして、北に向かって歩を進めた。

「嫌な風だ」

 僅かな苛立ちが、口からこぼれ落ちた。良くない傾向だ。自分の中にストレスというほどでもない、焦燥に似た感情が芽を出すのがわかった。陸奥は、そういうものに敏感だった。

 敏感にならなければならなかった。自分の仕事には、いや、どんな仕事であってもタイミングだったり、判断だったり、直感だったり、とにかくそういうものが大切になってくる。それらを最終的に決定するのは、自分の感情なのだ。

 そして陸奥は自分のそれを考えるとき、心に湖面のようなイメージを見出すのだ。静かに凪ぐ湖面。しかし今そこには、小さな石を投げ込んだような、小さな波紋が生まれていた。

 陸奥は右手の腕時計を横目で見やると、わずかに足の向きを変えた。

 駅前からまっすぐ伸びる商店街にも、人はまばらだった。それが今の精神状態と相まって、半ば異様な雰囲気のように感じられる。それを落ち着けるためには、カフェインが最適だった。そして商店街には多くの場合、喫茶店やカフェが入っている。

 予想通りに、都合の良さそうなコーヒーチェーン店をみつけ、中の混み具合を確認しようと首を伸ばしたところで、はっと気づいたことがあった。

 陸奥は、少しだけ逡巡すると、自虐的な気分になる。

 電車の切符を買ったときに支払った金で、財布が空になったのを思い出したのだ。月に何度かこういうことがある。自分の手持ちから、小銭すらなくなることが。クレジットカードや電子マネーの類は仕事の関係上、都合が悪いため作ることはない。それ以上に現金というのは、血液なんかと同じだという思いもあった。今の社会では生きる上で欠かせず、他で代替することもできない。そう考える始めると、自らの血管の中を、金色の液体が這っているような錯覚に襲われる。

 陸奥は諦めて、ATMへ寄ることにした。たしか、駅からの道を少し引き返すと見えたはずだ。踵を返して、ゆっくりと足を動かす。時間にはまだ余裕があった。

 普段利用している銀行のマークをみつけ、近づく。こじんまりとした、年期の入ったビルの一階だった。中には三台のATMが、お互いに無関心を徹底できるよう、行儀よく並んでいる。

 先客がいた。三台のうち、一番奥側の機械。年寄りの男だ。画面を食い入るように覗き込み、なにやら困ったように手を動かしている。

 陸奥は中央の機械を避け、手前の機械に向かい合った。昔からこういう場では、妙に神経を尖らせる癖のようなものがあった。大きな金を動かすときほど、神経質になる。誰だってそういうものだろう、と思っていた。必要以上とはわかっていても、警戒してしまうのが、人情というものだ。

 男の気配を感じながら、陸奥はゆっくりと軽い財布の中から、キャッシュカードを取り出した。男が出ていくまで待っていようか、とすら思えたが、それでは逆に自分が不審者になってしまう。陸奥はひとつひとつの動作を、まるで貴族の従者がそうするようにゆっくりと行った。カードを挿入し、引き落とし操作をして、金額を入力、そして機械がテキパキと金を数えている間も、反対側の男は画面を操作し続けている。

 苛立ちが、革靴のつま先をこつこつと鳴らす。顔は画面に向けたまま、全神経を奥の方に向ける。機械が札を吐き出す。陸奥はそれを掴んで財布に入れると、早足に出口へ向かった。

 ところがその時、ガラス張りの自動ドアの向こうに、人影があるのが見えた。一人ではない。二人、三人。部屋に入ってきたのは三人組の若者だった。

「そういえばお前写真みた?」

 先頭の金髪がいかにも品性下劣で、耳障りな声をだした。

「は? あの封筒お前がもってたよな?」


 そう答えたのは、長髪の男だった。整った顔立ちの眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな色を浮かべている。

「ちげえよ。あれ? タカシじゃなかったか?」

 一番うしろの、背が高い坊主頭が低い声を出す。

「俺じゃない。あれはアツシが鞄に入れていた」

 アツシと呼ばれた金髪は表情を曇らせ、その場で肩にかけたサコッシュをまさぐり始めた。

 足止めを食った陸奥は、思わず天を仰ぎそうになるのをこらえる。

 おいおい嘘だろ。これは絶対に面倒なことになるぞ。という確信に近い予感が胸を貫いた。こちらが見えているはずの三人組は、なぜか入り口から動こうとはしない。声をかけようか。しかし三人組の意図がわからない。一瞬迷ったうちに、俺まで金髪が封筒を探し出すのを、待つはめになってしまったじゃないか。

「ねえよ」

 金髪は何度もサコッシュを覗き込むが、それはそれほど入り組んだ構造の鞄ではないため、陸奥にはなんの意味もない無駄な行為に見えた。必死に探すことで、金髪は自分の罪を免れるとでも思っているのだろうか。思わず舌打ちが口からでかかる。ほんの一分にも満たないやり取りだったが、呆れるほどの間があったように感じられた。

 金髪が顔を上げる。

「まあいいじゃねえか、こんな日にここにいるやつは自分の運を呪えばいい」

「お前な……」

「それになあ、シンジ。俺たちは、誰が誰でも関係ないはずだろ?」

 長髪のシンジが大きなため息を吐く。一体何の話をしているのか。陸奥は検討もつかなかったが、この三人の雰囲気は明らかに普通じゃないことだけは察知できていた。身にまとったその雰囲気は刺々しく、まるで「俺たちは危険物です」と張り紙をして歩いているようなものだ。それは今日の人影の薄いこの街で、異彩を放っていた。

「あの」

 話の間を縫うようにして、とうとう陸奥が声をかけると三人組の顔が一斉にこちらへ向いた。

「通してほしいんですが」

「ん? ああ、わりいわりい」

 陸奥は開けられた入り口を見て、ほっと胸をなでおろしかけた。早足でそこから外へ出ようとする。だが次の瞬間横からの衝撃で、ガラス張りの壁に叩きつけられた。警戒していたこともあってか、そこまで体勢は崩れなかった。しかし予想以上に力が強く、足元が揺れた。

 陸奥を押したのは、坊主頭のタカシだった。見上げると、彼は氷のような無表情をそのまま顔に貼り付けていたが、あとの二人はこちらを見てニヤついていた。

「おっさん、俺は人に優しくしなさい、って学校で教わったんだけどよ。まあ学校だけじゃなくても、色んなとこで言われるわな。なんでもそいつらが言うには、人に優しくした結果は必ず巡り巡って自分のところに返ってくるんだと」

「情けは人の為ならず、ってやつだなあ」

「それよ、シンジ。俺ァ、こう見えて普段からそいつを実践してるわけよ。もちろんそいつ目当てじゃなく、だ。純粋な好意ってやつよ。素晴らしい心がけだと思わねえか?」

 陸奥は、表情を強ばらせるのに必死だった。気を抜くと、苛立ちと呆れが一気に吹き出してくる予感がしている。この時代に、こんなにもわかりやすいカツアゲをしてくる人間がいることが、悪い夢のようにも思えた。

 財布を懐から取り出して、先程しまったばかりの一万円札を引っ張り出す。

「ありがとうございます」

 金髪が取り出されたそれを、手荒にひったくる。しかしその感触を確かめるやいなや、張り付いたニヤけ面があからさまに曇っていった。

「あのねえおっさん、俺たちが何人いるか見えてる? 三人だ。三人だよなあ俺たち。一万円をどうやって三人で分けりゃあいいんだ? 三枚あるなら三等分できるけどよ」

「手持ちはもうないんだ」

 陸奥が淡々とそう告げると、周囲で突然風船が割れたような爆笑が巻き起こった。

「っつはははは! おっさん、ここはどこだ? おいシンジ。ここはどこだっけ? 最近、俺ったら物忘れがひどくてよお」

「くっふふ。ATMだよ、ATM。金を下ろすところ! 手持ちの金がないときに便利だよなあ?」

 その時陸奥が感じていたのは、奇妙な感覚だった。不思議と怒りや不快な揺さぶりのようなものはなく、ただただこの状況の現実味のなさ、そしてその中心に自分がいる。ということのおかしさが浮き上がるだけだった。

 陸奥は黙って、先ほど自分が操作していた機械に戻り、キャッシュカードを入れた。意外にも三人組はこちらの動きを見送るだけで、横から操作を邪魔するようなことはしなかった。代わりに、長髪のシンジがつかつかと奥の機械ににじり寄ると、その場に初めからいたもう一人の男に声をかけた。

「こっちのおじいちゃんはなにしてんのかなあ。ここ使いたいんだけど?」

 最初の老人は、まだ画面を操作していたようだった。

「あぁ、どうも、すみません」

 いかにも気の小さそうな、か細い声が聞こえてくる。

「この鞄、おじいさんの?」

 陸奥は横目遣いでふたつ隣のATMを伺った。長髪のシンジに絡まれた男は、大きな黒縁メガネが特徴的な老人だった。猫背のためかシンジと比べると頭一つ分は小さく見え、くたびれたグレーの背広姿は彼のなで肩のせいで、本来スーツが持ち合わせているはずの品格のようなものが、まるごと抜け落ちている。

「ええ、まあ」

「ちょっと失礼」

 彼らの足元には、艶の薄くなった大きな口のショルダーバッグが置かれていた。それにシンジが手を伸ばす。

 先に聞こえたのは音だった。フッという、まるで木の葉が耳の横をかすめる程度の音。気のせいかのようなその小さな音を、この場にいる誰もが取りこぼした。ただ一人、陸奥を除いて。

 次の瞬間、シンジの足元が真紅に染まった。そして彼はその赤黒い血溜まりに、吸い込まれるようにして足からゆっくりと崩れると、長髪を下に垂らしながら動かなくなる。

 あっけないものだ。

 突然の状況の変化に陸奥が抱いたものは、儚さのようなものだった。人が死ぬ、という事象はこうもあっけないものなのだ。おそらく死んだ本人も、殺した本人もそう思っているに違いない。首を一閃。それでおしまい。

「簡単よなあ」

 かすれた声は、うなだれたように血を吹き続けているシンジに向けられているようだった。

「人が終わる瞬間というのは」

 老人のシワが目立ち始めた手には一枚のトランプが握られていた。絵柄はジョーカー。

 次に動いたのは、金髪のアツシだった。

「てめえ!」

 強い踏み込みに、靴底が軋む音を立てた。アツシの左拳にはメリケンサックが握られている。繰り出されたそれは、銀色の残像を伴って老人へと向かっていく。

 陸奥はまばたきをした。なんのことはない、ただの一瞬のまばたきである。それで終わる、とも思った。まぶたを持ち上げると、予想通りメリケンサックは中心できれいにふたつの鉄塊になり、アツシの腕は肘まで裂けていた。

「ひっ」

 その裏返った声が、アツシの最後の言葉になった。


 突然、仲間二人が殺された。そんな現場を直視したにしては、妙に落ち着いている自分がいることに、タカシはまだ気づいていなかった。

 現実感のなさか、恐怖、あるいは怒りか。心の中は冬の森のように静まり返っている。なんにせよやることはひとつだ。ジーンズのベルトに帯びた、サバイバルナイフを取り出す。逆手に持ち替え、腰を落とし、構えて息を整える。すべての動作が淀みなく、作業的だった。すり足で前に出る。あの老人との距離が、無限にあるように思えた。

 シンジとアツシの亡骸が見える。なぜこんなことになってしまったのか。なにか、殺伐とした映画を観ているみたいな気分だった。老人の前に立つ。前に立ってみると、彼からはなんの殺気も威圧感も、そこにいる気配すら感じられなかった。

 握りなれたナイフを、振りなれた動作で振る。その初撃は自分の人生の中でもっとも早く、短く、鋭いものだった。それでも手応えはない。感覚も。腕を振る一瞬、老人がかすかに動くのが見えた。

 それは例えるなら、時計における分針が秒針を追いかけようとするようなものだったのかもしれない。老人は自分たちとは全くと言っていいほど、違う時間を刻んでいた。手応えがない理由がわかったのは、老いて、かすれた声帯の鳴りを聞いたときだった。

「ようく、練られておる」

 見ると、メガネの奥でまぶたが重く垂れ下がり、ほとんど光を反射しない彼の瞳は、闇の底のようだった。その闇が、自分に向けられている。腕に感覚が戻ってくる。目を背けることができない。その感覚は、毛穴から汗が吹き出すようにちくちくと動き出し、すぐに熱湯をかけられたような痛みに変わった。

「ああ……」

 タカシはもう一度、老人に向けて、腕を振り上げた。しかしそこにはもう、彼のナイフも、指も、手首すらなかった。ない腕を振る。熱く吹き上げる飛沫の、ほんの数滴だけが、老人にたどり着くことができた。その返り血を浴びたとき、ほんのわずかに老人の顔がほころんだようになる。このときタカシは、ほんのわずかにその行動を目で追うことができた。

 老人は人差し指と中指の間に挟んだカードを、引くようにして掲げた。しかし天井に突き出されたその老木の枝のような指の隙間には、もうそのカードはない。

 どこへ消えた? タカシの脳は視界に捉えた映像と、実際に起きていることの差異に混乱せざるをえなかった。そしてその混乱を抱えたまま、仰向けに倒れる。喉には深々と、一枚のカードが突き立っていた。

「見事ですね」

 陸奥はほとんど独り言のように、そうつぶやいていた。恐れや畏怖ではなく、感嘆めいたものだった。技と呼ぶには、あまりにも崇高すぎる。極限まで鍛え上げられた技術は、物理的な力の程度などあざ笑うかのように、状況を覆して見せた。

「そうだろう」

「あなた、なにものです?」

 老人はそれには答えず、静かにスーツの内ポケットに自分の指先を差し込んだ。陸奥の表情が陰る。

「面倒事は嫌いなんですが」

 一瞬の間。そのあ、と陸奥は大きく横に転がった。パリン、という澄んだ音が、十畳ほどの空間にこだまする。老人の次の動きが無いことを察知して振り返ると、ダイヤのエースが窓口の機械に突き立っていた。歪んだ画面は『このカードはお取り扱いできません』と警告文を発している。

「ええのう。ええのう。若いっちゅうんは、ええもんじゃ」

 老人の笑い方は、風変わりな鳥のようだった。

 その様子は、陸奥にひどく衝撃を与えた。相手が同業者なのは、問題ではない。問題は同業者である彼が、年寄りであることだった。この業界では、普通に歳を取ることより難しいことなどない。

「お名前を伺っても?」

 老人は口の中で空気を転がすように笑うと、ひとこと「フクロウ」とだけ言った。

 フクロウ。陸奥はその言葉を反芻する。この業界で、その名を聞いたことがないものはいないのではないか。絶望に駆られ、それが顔に浮き出しそうになるのをこらえる。聞かなければよかった、と閉口していると、また老人の方は口を開いた。

「わしが恐ろしいかね?」

「……そりゃあもう」

「なぜこんなところにいるのか、と」

「訊いたら教えてくれるんでしょうか」

 フクロウの老人は、驚いたように目を開くと、またくっくっくと愉快そうに笑った。よく笑う老人だった。

「訊きたければ」

「では、なぜ?」

「わしは仕事をしに来ている。でなければ、こんななにもない街にきたりはせん。依頼を受け、仲介屋から話を聞き、前金をもらってな。獲物は誰だと思う」

「まさか。それは政治家だったりするんでしょうか?」

「ほっほっほ、それは君の仕事だろう」

「ではもしかしてこの三人?」

「君は面白いことを言うの。この不幸な三人の若者はただ不幸だっただけだ」

 陸奥はわずかに逡巡した後、待てよ、と考えを止めた。そもそもなぜこの不吉な老人は、自分の仕事を知っているのだろう。政治家と言うと業者のお得意でもあるが、全てがそうというわけじゃない。医者でも投資家でも銀行でも、金を持っていれば子供だって顧客になりうる業界なのだ。

「君じゃよ」

「は?」

 陸奥は思わず目の前の老人が、同業者であることを忘れて返事をしていた。

「君は誰かに、恨みを買われている覚えはあるかね?」

「覚えも何も。この仕事は恨みの坩堝のようなものですが」

「ほっ。そうじゃな、恨みの坩堝。なかなかいい表現よ。しかし、そうとわかっているのならば君はいつだって死ぬ覚悟をしていなければならなかった」

「死ぬ覚悟なんてしませんよ。死ぬのは嫌なんで。だから僕はいつも石橋を叩いて渡ってるんです」

「なるほど。やはり君は面白い」

 その老人の笑顔を見ていると、とても目の前のこの人物が、同業者であることが信じられなかった。

「君は何も知らずにこの街にきた。ただの仕事だと思って。しかし今、この街にいるのは全員殺し屋かそれに近しい者たちだ」

「どういうことです?」

「ほっほっほ。戸惑うのも無理からぬ。だが君にきた依頼が偽りだっただけのことよ」

「どうしてそんな……」

「君は完璧主義のようじゃな」

 実際、陸奥の頭の中では一気に予想外の情報が濁流のように流れ込み、意識がそれに押し流されそうだった。そして今や心の湖面には小さな波紋どころではなく、漁船すら飲み込むような荒波がたっていた。

「あなたは僕を、殺すのでしょうか……たった今から」

 陸奥は老人の、深い瞳の奥に何かが煌めくのを見た。遠いが、強い煌めき。そしてその直後、その光はどんどん近づいて来る。陸奥には、それが殺意であることがわかった。

「まだ」

 老人は、殺意も目線も変えずにポツリと呟く。

「まだ時ではない。フクロウの狩りは夜、と決まっておる」

 それだけ言うと、また鳴き声のような笑い声を携えて、老人は立ち去っていった。まるでスーパーで、会計を終えた客のように悠々と。

 残ったのは強烈な緊張の余韻と、体をこわばらせたままの陸奥。そして三人の、不幸な若者の死体だけだった。

 陸奥はハッと我に返って、あたりを見回す。床のタイルが血を吸い、格子状に鈍い光を放っていた。その中から白い革が赤く染まった財布を拾い上げる。中にはほんの少しの小銭と一万円札、そして小さな封筒が入っていた。開けてみるとそこには陸奥の顔の似顔絵と、「十七時三十分」とだけ雑に書かれたメモが入っていた。腕時計を見やる。予定にはまだ時間はあった。

「コーヒーを、飲みに行くんだった」

 ガラスの壁の向こうでは、枯れ落ちた木の葉が、強い風に舞っていた。




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