東京を城下町として見てみたら急に電車がタイムマシンと化した
私は東京が好きじゃなかった。
好きじゃないというか、落ち着かない。
私はきっといつかこの街を出るだろう。
ここで死ぬことはないだろう。
そう思っていた。
キラキラしてて何も深みのない街、観光名所のない街のように思っていた。
そう、この本を読むまではーーーーーー
歴史に興味を持ち始めた途端、この本を読み、東京ってすごく面白くて深い街じゃないか?とやっと気付いたのだ。
だって、徳川家康によって一気に歴史の舞台となり、たくさんの記憶を刻んできた街なのだから。
言うなれば「歴史の街」。
そもそも徳川家康は好き好んで江戸という土地を選んだわけじゃない。
豊臣秀吉によって、京都から離れた江戸に飛ばされたのだ。
ジメッとしててグジャッとしててベチョッとしてる水捌けの悪い、みんなが避けていた江戸に。
この本を読めば読むほど「いかに江戸が住めない土地だったか」が伝わってくる。
それが徳川家康の手により街として育て上げられ、あっという間に人口密度世界一の都市に。
一体徳川家康は何をしたのか?
ベチョッとした街をどうやって都市にしたのか?
読み進めると「溜池って本当に貯水池があったのか」なんていう地名との発見に繋がる。
お・・・おもしろい!!
あんなところに池・・・!?
でも確かに清水谷公園は水が湧いていたというから、そうなのだろう。
紀尾井町は紀伊・尾張・井伊家の頭文字という、KAT-TUNと全く同じ構造の名前だ。
かつ、江戸城の西側が(掘り的に)弱かったから、護らせるつもりで紀伊・尾張・井伊の大名を置いた、とか。
この地で鹿児島出身の大久保利通は暗殺された・・!?
想像もつかないエピソードに次々と繋がる。
芋蔓式に延々と出てくる。
今歩いてるその道がタイムマシンと化する。
すごーい!
東京は一見歴史を感じないからこそ面白い街なのだ。大変貌を遂げてきたからこそ。
先日中央線で飯田橋に向かって進んでいた時、ふと窓の外の古い石垣が気になった。
あれ?私は今一体どこを走ってるの?
この高い石の壁は堤?
もともとここは川だったの?
その謎が今日、四ツ谷駅で解けた。
中央線は四ツ谷から御茶ノ水までグルッと江戸城の外濠に沿って走っている。
四ツ谷駅のホームはその外濠の底に位置しているから、両脇に高い石の壁があるのだ。
その外濠をまたぐように四谷橋があり、江戸城に変なものを持ち込まないように四谷見附門で検問をしていた、という。
その濠と橋・門の関係が、今の線路と駅になっている。
すごい・・・面白い・・・
勝手に東京は「新しいものを追う街」だと思ってたし「山も海もない街」に感じていた。
だけどそれは「歴史も山も海も感じようとしないだけである」が正解だった。
江戸の跡が至る所に残っている。
ごめんよ。
私は東京に住んでいる間、ちゃんと「観光」をしようと思う。
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