精神年齢
「20歳になれば大人だ」と世間では言われるが、自分を含め世の中の人は肉体だけ老い、精神年齢については小学生~高校生くらいで止まっている人が多いのではないだろうかと思う。私はSNSを見ているとそういった人がなおさら多く感じる。そこでは現実と違って、多少と言えども抑圧された環境がないに等しいからではないだろうか。
例を挙げてみると最近バカッター(バカスタグラム)の再燃現象が起きている。一番初めにバカッターという造語が作られたのが2013年ごろなので、おそらくこれから5年周期で起こるのではないか?と自分は考えている。
「バカッター」とはバイト先などで不祥事を起こした様子をツイッターやインスタグラムに挙げ、その後炎上を起こす行為を表した語である。このバカッターが起こっている様子を見ると、私はその人達が小学生のように思えてくる。
思い出してほしい。小学生のころ、目立とうとしてわけのわからないような行為をしている同級生はいなかっただろうか?
それと同じだと考えれば合点がいく。お店の中でタバコを吸ったりだとか、口におでんの具を入れた挙句吐き出して戻したりする行為も目立とうとしてやった結果なのだろう。
もちろんSNSだけでなく、社会全体や国会でもそうだと考えられる。国会中継などでいい年したおっさんが寝てたりふんぞり返ったりどうでもいいことで罵声を発したりしているのも、お店で店員に向かっておばさんやおっさんが上から目線で話しかけてきたりするのも、つまりはそういうこと。もしかしたらその人たちは「自分にかまってほしい」という考えで動いている小学生以下の精神年齢なのかもしれない。
自分の好きなものをコレクションしたり楽しむのも、結局は小学生から変わっていない。それはとてもいいことである。しかし、そういったものを楽しむ場合は社会に迷惑をかけない程度の精神年齢であることも必要である。
自分だけ楽しんで、迷惑をかけていることに気付かないのはそれでこそ小学生以下なのではないだろうか?気を付けるべきである。
かくいう私も精神年齢は全く成長していないように感じる。子供のように仕事で小さなミスを繰り返すし、未だカービィのぬいぐるみも集めるし、鉱物も集めるし、小学生みたいによく寝る。ゲームも夢中になってする。けど、私の中ではなんとなくこれでいいのだろう、と思っている。もちろんよくない部分もあるし、そのようなことがないよう精神年齢を成長させていかなくてはならない。しかし、一番大切なのは子供のような感性や物事の楽しみ方を持つことである。物事は楽しむことが肝心だからだ。
まとめてみると、自分の周りの環境に合わせて自分自身の精神年齢も併せていく必要があるが、趣味に関しては小学生のように思い切り楽しんで満足できることが一番大切だ、ということである。
この記事を念頭におきながら、私はこれからも趣味に関しては思い切り楽しんでいければ、と思っている。
国会やバカッターに関してはもう少し自身の精神年齢を見直した方がよいのではないか?と思った。現在、ふとした発言や行動で今後の人生を棒に振る結果にもなってしまうことも多々あるからである。「私は別にこんなこと起こさないし…」と思わず、つねに「こうなってしまわないようにしよう」という考えを持つのが大切だろう。
ちなみに自身のバイト先の先輩も同じ考えを持っていた。話があったことが小学生のようになんとなくうれしかった。
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