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立志篇(3)

田野大輔(コーナン大学)

自分でやれ!

「DIY」という言葉がある。「Do It Yourself(ドゥ・イット・ユアセルフ)」の略語で、文字通りには「自分でやれ」という意味だが、今日では「日曜大工」とほぼ同義で使われ、アマチュアが行うレジャーとしての木工作業を指す言葉として定着している。お父さんが休日にホームセンターで木材や工具を買い込み、庭やガレージで犬小屋を作ったり、戸棚を補修したりするというのが、ごく一般的なイメージだろう。近年では「DIY女子」という言葉が流行するなど、女性の間でも家具やインテリア用品の自作が人気を集めているが、そこでも日曜大工のイメージは基本的に維持されている。すなわち、余暇の時間を使って自分好みのものを手作りし、日々の暮らしを便利で快適なものにするという、趣味と実益の幸福な両立である。本棚の自作も、このような意味でのDIYの範疇に属していることはたしかだ。

もっともこうした牧歌的なイメージは、私たちが本棚の自作に踏み出す動機を十分に説明しているとは言い難い。なるほど筆者にとっても本棚の製作はいまや完全に趣味の域に達しているし、作った本棚が蔵書の管理という必要を満たしているので、結果的に趣味と実益の両立は実現している。しかし筆者とて最初から好き好んで自作を始めたわけではなく、元はと言えば市販の本棚がどれも自分の用途に合わないという、動かし難い現実に強いられた面が大きい。こうした当初の切実な事情を思い返すとき、「DIY=自分でやれ」という言葉はそれが本来もっていたはずの積極的な意味をおびて響いてくる。既製品に中途半端なものしかないのなら、自分で作ってしまえばいいだけなのだ。

資本主義への抵抗

市販の本棚に満足のいくものがない理由ははっきりしている。現代は大量生産・大量消費の時代である。市場にはあらゆる商品があふれ、お金さえ払えば何でも欲しいものが買えるようになっている。だがこの一見何不自由ない生活は、実際には別の面での自由の制限を伴っている。商品を大量に低価格で提供するには規格化によるコストダウンが必要で、そのために市場に提供される商品のバリエーションと品質は切り詰められ、消費者の選択の幅は狭められている。私たちが必要に迫られて市販の本棚を購入しようとするとき、画一的で低品質な製品ばかり目にしてうんざりさせられるのは、こうした資本主義経済の仕組みによるところが大きい。

多くの人はそれでもパッとしない製品を複数見比べて、そのなかから多少マシに見える本棚を選んで買うわけだが、自分の意思で選んでいるつもりでも、限られた選択肢のなかから不十分なものを選ばされていることに変わりはない。少し考えてみればわかるように、市販品は標準的な消費者のニーズに合わせて設計されているので、蔵書量において外れ値と言うべき研究者の用途に適したものになりようがない。ここで私たちは家具店や通販サイトに並ぶ本棚のほかにいくらでも選択肢があること、多少の労力を惜しまなければ本当に欲しいと思える理想の本棚が入手できることを思い起こすべきだろう。他人に頼ってばかりいないで自分で何とかする。既製品にロクなものがなければ自分で作る。そういう覚悟を決めることこそ、「DIY」の真意にほかならない。

「Do It Yourself」という言葉の初出はアメリカの雑誌『Suburban Life』に1912年に掲載された記事で、部屋のペンキ塗りや壁紙貼りなどをプロの業者に頼らずに自分で行うことを推奨するのに使われたのが最初だと考えられている。その背景には産業革命以降の工業化の進展によって失われた職人の精神や技術を取り戻し、家庭のなかで伝統的な男性性を維持しようという動きが存在したという(溝尻真也「DIY研究の視点――英米を中心とした研究動向と日本での展開可能性」『目白大学総合科学研究』第16号。DIYをはじめとする趣味とジェンダーの関係は近年の研究で注目されている論点の一つだが、ここでは深く立ち入らない)。現代人の生活は機械的な労働と大量生産された商品に支配されるようになったが、そうした疎外状況に抗して手仕事の価値や職人精神の意義を見直し、自分でものを作るという行為を通じて自尊心や達成感を取り戻そうというのが、DIYという運動の出発点だったと言えるだろう。「自分でやれ」という要求は、資本主義の支配に従属することを拒否し、自分の生活の決定権を奪還することを呼びかける抵抗のスローガンだったわけである。

自由をめざす生き方

言うまでもないことだが、本棚を自作したぐらいで資本主義の支配から脱却できるわけではない。それどころか、かえって支配への従属を強めてしまう面もある。自作に必要な材料や道具もまた、大量生産・大量消費される商品にほかならないからだ。今日ではDIYも多数の企業が参入する巨大な市場を形成していて、それに頼ることなしに何かを自作することは不可能になっている。資本主義に抵抗したつもりが結果的にそれに奉仕してしまうというこの逆説は、若者の対抗文化として登場したロックが商業的成功とともに当初の反骨精神を失い、消費資本主義に取り込まれていった過程を彷彿とさせる。その意味では、「DIY女子」などといったキャッチフレーズも、DIYの本来的な反逆性を無害化する商業主義的マーケティングの一環と見るべきだろう。

だがこうした状況を過度に悲観的にとらえる必要はない。DIY市場の拡大は私たちを資本主義に縛りつける一方で、それに対する抵抗を容易にもしている。各地に出店したホームセンターは豊富な品揃えで材料や道具の調達をサポートし、自作の可能性を大きく広げているし、進化のめざましい電動工具は作業を格段に効率化し、プロ並みの仕上がりを可能にしている。これらの助けを借りることで、家具店で販売されている本棚などよりも安くて質が高く、そして何よりも自分の用途に適した本棚を自作することは誰にでも容易にできるようになっている。抵抗の武器は身近なところに用意されているのだから、いつまでも不当な支配に甘んじる必要はない。いまこそ武器をもって立ち上がり、市販品にノーを突きつけるべく自作に踏み出すときである。

このような意味で、本棚の自作は自由をめざす生き方の問題だと言うことができるだろう。それは1架の本棚を完成させて終わるものではなく、次から次へと本棚を製作することでたえず不服従の意思を示し続けるという、際限なき闘いとならざるをえない。自分でものを作るという行為、それを通じて得られる充実感と達成感こそが、資本主義の支配に従属している私たちに人間本来の自律性と能動性を取り戻すことを可能にしてくれるからだ。したがって自作した本棚の出来が悪かろうが、そんなことはどうでもよいことである。ともかくも自作に挑戦したという事実、そして次回はもっとうまく作ろうと研鑽に励む姿勢それ自体が重要で、尊いものなのである。より良い本棚を作るためには、木工に関する知識やノウハウを学び、技術や経験を身につける必要があるが、そういう不断の自己陶冶は、われわれ学究を重ねる研究者の基本姿勢となっているはずだ。本棚の自作は本を読むことと同じくらい、知的な喜びと飛躍の実感をもたらしてくれる。こうした言葉の真の意味での「自由」をもとめる闘いに、一人でも多くの読者が踏み出してくれることを願ってやまない。

(たの だいすけ)1970年生まれ。甲南大学文学部教授。専攻は歴史社会学。
著書『ファシズムの教室――なぜ集団は暴走するのか』(大月書店)、『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ)、『魅惑する帝国――政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会)ほか。
ウェブサイト
Twitter:@tanosensei

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