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先生が先生になれない世の中で(30)~高知 教職員と議員のつどい②~

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

教員の労働環境は子どもの学習環境であり、学校における働き方改革は、国、行政、議会、教職員、そして保護者が同じ方向を向けないわけはない。昨年12月、『高知(若手)教職員と議員のつどい』の一つの成果として、国が定める標準授業時数を上回るいわゆる「余剰時数」の問題が、高知県内12の市町村議会にて同時多発的に取り上げられた。さまざまな議会の関連議事録からは、今後進むべき道筋が見えてきた。

余剰時数の削減に向けた議論がイマイチ噛み合わない議会に共通していたのは、教育委員会の非協力的な姿勢だった。特に、言葉遊びのような言い逃れをする地教委の答弁には驚かされた。文科省は、いわゆる「余剰時数」を、「各学校において、計画段階で、学校教育法施行規則が定める標準授業時数を上回って確保している時数のこと」としている(*1)。その「計画段階で」という文言に着目し、令和4年度終了時の「実績値」は確かに超過していたが、計画時数は超過していなかったので余剰時数は存在しないというのだ。しかし、実績値であろうが教員が法定基準以上の授業を教えることで空き時間が奪われたことに変わりはない。また、仮に年間授業計画は標準授業時数どおりであっても、それが常態的に守られていないのであれば計画を立てる意味がない。文科省も、年間授業計画に基づく適切な学校運営を求めているため、今後の焦点の一つは、「教育委員会は各学校における年間授業計画に基づく適切な学校運営をいかに担保するのか」になるだろう。

また、「教育課程の編成権は学校にある(ので我々の責任ではない)」と責任逃れをする教育長も少なくなかった。確かにそのとおりだ。しかし、地教委には学校の監督責任がある。2023年8月、中教審の緊急提言は余剰時数の削減を文科省に強く求めた。そして文科省は、「緊急提言は、できることを直ちに行うという考え方のもと、緊急的にとりくむべき施策を取りまとめたもの」と説明(*2)。台風などの災害やインフルエンザなどの感染症拡大による学級閉鎖など、余剰時数の設置が許される「不測の事態」への措置とはおよそ関係のないテスト対策などに費やされる時数の削減は、地教委の監督下で直ちにおこなうようにとのメッセージではないのか。

教科指導にもかかわらず、学校がそれを授業時数としてカウントしない、いわゆる「隠れ授業時数」を黙認する教育委員会も複数見つかった。例えば、毎朝10分ドリルをおこなう「オビ時間」、学力テスト、テスト対策、全生徒を対象とする放課後の補習などを授業時数としてカウントしない、あるいは本来の「各教科」ではなく「学校行事」の時数としてカウントするなどの事例があった。しかし、隠された時数はまぎれもなく存在し、教員は拘束される。このような不誠実な授業時数のカウント方法は、今後も追及されるべき案件だろう。

各学校の余剰時数のデータの開示請求に応じないという、問題の解決に向けて初動から非協力的な地教委も複数存在した。「学校側に報告義務がないため」という非開示の理由がそもそもおかしい。法的には「学校側に報告義務がない」のではなく、「公のデータであり開示できない法的根拠がない」のだ。

「開き直り」の姿勢を見せる教育委員会も少なくなかった。余剰時数は確かに多いが、全国学力学習状況調査ですばらしい結果を出している、と主張するのだ。もちろん、余剰時数が多いということは、その分教員の授業準備の時間が短いということだ。授業準備の時間を十分に確保できずに質の高い授業をおこなうことができるのか? 質の高い授業が学力向上につながるのではないのか? 教員が授業準備に専念できる時間を確保することが教育長の責任ではないのか? そして、より大事な問いは、そもそもなぜ学校は教員の授業準備の時間や、質の高い授業よりもテスト対策を優先しなければならないのだろうか? 学校にそうさせているのは、行政と教育現場の間にどんな力学が働いているからなのだろうか?

それでも、仲間の議員たちは粘り強く質問し、重要な答弁を引き出していた。「在校時間の中で教材研究をする時間が十分に取れているとは言えない。(余剰時数の)結果として教員の在校時間が長くなる要因の一つとなっている」という答弁をする教育長もいれば、「来年度は年度当初に適切な授業時数の設定を指導していくつもり」と姿勢を改める教育長もいた。最後に、学習指導要領の内容が多すぎて、標準授業時数内で十分にカバーするには無理があるという趣旨の答弁もあった。いくら余剰時数を削減しても、標準授業時数が多すぎるために、教員が勤務時間内に授業準備の時間を確保できないということは前回も指摘した。しかし、この答弁は、学習指導要領の内容が多すぎるという教育長の認識を示している。学習指導要領の内容量、そして標準授業時数が適正かどうか、議会と行政とが次に考えていくべき問題だ。

【*1】 2023年12月6日、筆者の問い合わせに対する返信メールにて。
【*2】https://www.mext.go.jp/content/230914-mext_zaimu-000031836_1.pdf(2023年9月8日発出の文部科学省の通知)

鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。X(旧Twitter):@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2024年3月号からの転載記事です。


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