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立志篇(1)

田野大輔(コーナン大学)

増え続ける本との闘い

研究者、とくに人文系の研究者で蔵書の管理に頭を悩ませていない者はいないだろう。かくいう筆者もその一人で、最近まで増え続ける蔵書への対処に手を焼いていた。気づけば自宅も研究室も大量の本で埋め尽くされ、本棚からあふれ出した本がいたるところに積み上がっている。毎年何十万円も本を買うわけだから、考えてみれば当たり前なのだが、さりとて本は仕事道具なので、購入を控えるわけにもいかない。何かいい解決策はないかと考えあぐねているうちに、洪水のように押し寄せる本の濁流は勢いを増して床にまで進出してくる。

部屋中が大量の本であふれ返るようになると、仕事の能率にも影響してくる。研究者はたえず本を参照しながら原稿を書いているのだが、いざ参照しようにも目的の本がどこにあるのかわからない。いたるところに積み上がった山のなかから探し出すのが面倒なので、持っているはずの本でも買ってしまったほうが手っ取り早い。こうなると大量の本を所蔵している意味がなくなる。よほどの稀覯本でもないかぎり、ほとんどの本はどこかの図書館に所蔵されているので、それを自分で所有することの意味は、参照する必要が生じたときにすぐに手に取れるという利便性にしかない。

だが実際問題として、たえず蔵書を増やし続けながら、それらをアクセスしやすい状態に保つのは至難である。本棚に並べて一覧できるようにしておきたいところだが、どの棚もすでに埋まっているので、仕方なくどこか適当な場所に積み上げることになる。それでは不便なので何とかしようと本棚を買うのだが、本棚一つでは山と積まれた本をすべて収納することはできず、これでだいぶ片づいたと思ったのも束の間、すぐにまた本があふれ出す。何度も本棚を追加していくうちに、本棚を設置する場所もなくなってくる。この絶望的な状況にどう対処したらいいのだろうか。

3つの対処方法

対処の仕方は大きく3つある。①必要性の低い本を処分する、②本を裁断して電子化する、③本を収納するスペースを増やす。研究者の多くはこのうちのいずれか、あるいは複数の組み合わせによって何とか対処しているのが実情だろう。だが少なくとも筆者にとっては①は問題外である。処分しても構わない本なら最初から買っていない。いつ読むかわからない本でも後になって必要になることが間々あるので、現時点で不要に見えるからといって処分することは難しい。

それでは②はどうか。これも個人的には選択しにくい。本の蒐集にこれほど情熱を注ぐのは、本を物体として所有すること自体に喜びを見出しているからである。電子書籍にも様々な長所があることはたしかだが、それは紙の書物がもつ物質性の魅力を犠牲にして得られるものでしかない。本という物体の圧倒的な質量に魅せられ、これを我が物とすることに喜びを覚えるからこそ、筆者はたいして読みもしない本を買い漁り、積み上げる行為を日々繰り返しているのである。

結局のところ③しかないということになるが、問題はその方法である。収納スペースを大幅に増やすには、どこかに専用の書庫を建てるか、部屋や倉庫を借りるのがベストだが、それには数十万、数百万単位の出費が必要になるので、おいそれと踏み切ることはできない。離れた場所に本を保管するのも、何かと不便が多いように思われる。もっと手軽に自宅内で実行でき、当面の間だけでも本の洪水に歯止めをかけられるような方法はないものだろうか。

そう思いながらあらためて自室の本棚を眺めてみると、多少は改善できそうな点があることに気づく。本棚の上や左右にはまだかなりスペースが空いているので、この空間まで活用できる大きさの本棚があれば、もっと多くの本を収納できるはずだ。だが市販の本棚には、そうした需要を満たしてくれるものはまず存在しない。既製品の宿命として幅も高さも中途半端な本棚ばかりで、壁面にぴったり収まるものを見つけるのはほぼ不可能である。オーダーメイドや造り付けの本棚を注文するという手もあるが、これも数十万単位の出費が必要になるので、手軽に実行できる方法とは言いがたい。

自作のススメ

既製の本棚に満足できるものがなく、特注の本棚は値段がかかりすぎる。それならいっそのこと、自分で作ってしまえばいいのではないか。そう考えて筆者がたどりついたのが、本棚を自作して収容力を増やすという方法である。

あらかじめ断っておきたいが、これはあくまで次善の策であって、増え続ける蔵書の問題を一気呵成に解決できるわけではない。書庫を建てる、倉庫を借りるといった方法に比べれば、新たに生まれる収納スペースはずっと小さいので、いくら適切なサイズの本棚を自作したところで、収納できる本の数はたかが知れている。

しかし塵も積もれば山となることもたしかだ。自作した本棚なら大きさは自由自在なので、それまで思いもしなかったような場所にも設置することができるし、既設の本棚と入れ替えるだけでも収容力は大幅にアップする。筆者に言わせると、部屋の壁をよく見れば本棚を設置する場所などいくらでも見つかるものである。無駄に空いたスペースを有効活用することで、本棚からあふれ出した本ぐらいは十分に収納できる。将来的には書庫を建てる必要が出てくるにせよ、少しずつでも収納スペースを増やしていけばそれまでのつなぎにはなるし、問題を根本的に解決することはできないまでも、せめて破綻を先延ばしするぐらいの効果はあるだろう。

実際にも筆者は現在のところ、何度も本棚を作った甲斐あって、次々に押し寄せる本の濁流にもとりあえず対処できている。本棚のスペースにまだかなり余裕があるので、もっと大量に本を買っても大丈夫だという謎の自信すら湧いてくる。それで知人にも本棚の自作を勧めてみるのだが、意外なことに反応はたいてい消極的で、自分で作ることなどできないと尻込みしてしまう人が多い。おそらくノコギリで木材を切るところを想像して、不器用な自分には無理だと考えてしまうのだろう。

だがそれは無用の心配である。本棚の材料となる木材はホームセンターで買えば切ってもらえる。だから本棚を自作するといっても何のことはない、ボンドとネジで木材を縦横に接合するだけのことである。イケアの家具を組み立てるのと変わらないので、基本的にはやる気さえあれば誰にでもできる容易な作業である。事前に寸法を決めて印を付けたりする手間はあるし、うまく作るのに必要な作業手順や細かいコツもあるが、それさえ知っておけば、特別な技術や才能がなくても十分に満足のいく本棚を作ることができる。コストの面でも既製品に比べてだいぶ安い値段で作れるので、本棚を自作することのメリットは大きい。

何と言っても最大のメリットは、いったん本棚を作る楽しさに目覚めると、蔵書の問題に悩む必要がなくなることである。筆者の場合、本が増えることはもはや悩みの種ではなく、新たな製作に取りかかるゴーサインを意味するものにすらなっている。もっと本棚を作りたい、そういう欲求を抱くようになれば、本の洪水にもワクワクしながら前向きに対処することができるはずだ。ただしそれでつい気が大きくなって本を大量に買ってしまい、後で泣きを見ることになっても責任は取れないので、本の購入はくれぐれも控えめに。

田野大輔、近影

(たの だいすけ)1970年生まれ。甲南大学文学部教授。専攻は歴史社会学。
著書『ファシズムの教室――なぜ集団は暴走するのか』(大月書店)、『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ)、『魅惑する帝国――政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会)ほか。
ウェブサイト
Twitter:@tanosensei

田野大輔『ファシズムの教室』書影

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