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DEMOと千人針

千人針のことを教科書で知った、その時のインパクトが私の中に強く残っている。
針を刺し玉留めを作る女性たち、生きて帰りたいとお守りにした男性たち。性別により立場の違うもの同士が互いを愛している。この針ひとつひとつに、愛と願いと無力さも感じて、様々な叫び声が聞こえてきそうで、直視することが苦しくなる。
針仕事という女性性や愛情の表現、母性や母親の記憶。服を手作りしていた時代、着物の文化があったからこそのデザインにも、なんだか惹かれるものがあった。

私は作品のために縫い物をよくするけれど、裁縫がかなり苦手。得意な方から見たらびっくりするだろう不器用さで制作しているけれど、不器用だからって諦めない、下手でもなんでもいい、イメージが生まれたから制作すると決めて玉留めをシーツいっぱいに留めた。

このインスタレーションは「祈りの記憶」というタイトル。

シーツって、私は好きな素材で、今までも何度も作品にシーツを使っている。私達は生まれてすぐベットの上にいたし、私達は毎日眠り、具合が悪くなれば横になる、死ぬ時もベットの上で死ぬことが多いだろうと思う。シーツが肌に触れる感覚って、優しいものだ。優しく、休んでもいいよと言われているような感じがする。だから、今回もシーツを使った。痛みがが優しく消えていきますようにと願って。


DEMO GIRLの顔にある花は、空虚な花だ。気の抜けた形の花をあえて描いている。あの花である必要があるからだ。私達は、ものを喋るなと言われてきた。女は花のようにいたらいいと、言葉を持たず空っぽで花のようにいろと言われてきた。生意気という言葉が女性にばかり使われるように、言葉を持てば罵られ、女はバカなくらいがいいとまで言われてきた。奪われてきた口や目、美しいということさえも男性が主となり支配しているルッキズムの虚しさの花としてあの気の抜けた花を顔に置いた。
あの花の女の子は学生時代、よく名前の横に描いていた。それを思い出して、少し大人にしたものだ。一昨年くらいから描いていて、もっと明るい色で描いていたので印象が全然違うと思う。4、5点あったけれどお迎えいただいている。1点は福岡のミヤコメガネアンドギャラリーさんにて飾っていただいています。(販売中なはず)
これから描くDEMO GIRLはもっとポップにするつもり。

私のDEMOが多くの人に届くのは、超絶先のことだろうと思う。作品を知って、賛同してくれて、作品を好いてもらえたら、私の人生という作品は幸せだ。

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