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8月同時開催!「私達は共鳴している」「ひとつの愛しいところ」

今回の写真展はMEMEというシリーズと繋がっています。2019年「私達が共鳴するとき」という個展を開催しました。MEMEというシリーズは1人の被写体の女性と自分を写した作品です。旅をしながら女性の人生について、被写体とは何かを探し、語り合うような内容です。その時のステートメントは今回の展示とも共通しています。

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「私達が共鳴するとき」
彼女に出会ったのは2012年。
それからずっと撮影し続けている。

彼女の住まいは福岡だった。撮影の時、彼女は東京まで来た。自らの意志で何度も何度も東京に通う。そのエネルギーは、その意味はなんなのだろうか。

当時、私はたくさんの女の子を撮影していた。HOTEL‐Bの撮影をしていた時期でもある。
SNSにはたくさんの被写体希望の女の子が溢れていた。ちょっとした好奇心程度の子もいれば、その理由に覚悟のようなものがある子もいた。

私にとってヌードにならない被写体は不必要だった。ヌードになる被写体の子達は面白い。私の被写体になってくれる子には体が傷だらけの子もいたし、いわゆるヘビーな身の上話を持つ子もいた。私のように普通には生きれない子が多く、普通の仕事ではない子達がほとんどだ。
色んな子に出会ったけれど、違和感を覚えたのは彼女だけだった。

彼女は普通に生きれる普通の子だ。

たいがいの普通の子は撮影しても顔を隠したいとか、撮影後にやっぱり怖くなって公開しないでほしいとか、中途半端なことを言う。
でも、彼女には自分の存在を惜しみなく使いたいというような必死さがあった。
彼女は必死に東京まで来たし、私が旅先で撮りたいと言えばその地まで来た。

そして、写真は撮った人のものだと言い切った。

彼女を見ていると、どうして女の子達は被写体になるのかということを考えたくなった。

私は被写体だった。

それは自分の存在を知らしめる手段だったし、私はここに生きていると世界を睨みつける為でもあった。
彼女の言うとおり写真は撮った人のものになってしまう。被写体として世界を睨んでも”女だから”悔しい思いをする。
この写真という世界も男性社会であり、被写体である女はたやすく搾取される。これ以上悔しい思いをするものかと私は誰かの被写体をやめ、自分を撮り始めた。


被写体の子達はどこか不安定だ。でも、それは弱いからじゃない。
不安定なのは自己を奪われてしまってるせいだ。自己を失った状態で、自分を認めてくれる何かに心を委ねるのはとても自然だ。

みんな言いたいことがあるはずだと私は思う。
心の中にある感情は言葉にならなくて、だけど戦いたくてカメラの前に立っている、それが被写体だ。

私はあえて育った環境も人生も全く違う彼女を選んだ。共通点が無くても女であるのは同じで、抱いている感情も同じだから、無関係で遠い存在の女の子が良いと思った。


彼女は”女だから”奪われてしまった自分に被写体という命を与えた。写真という形あるものに残すことで自分の存在を認めたかった。

私は”女だから”奪われてしまった自分を被写体にし怒りを表した。社会から無視され続けている自分の存在を見せつけることで復讐心を満たした。


私達は共鳴している。

女としての生きづらさに怒りを鳴らして。

世界を睨んで。

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私をとりまく状況は少し変わったけれど、私の芯は何も変わっていません。今回はSNSで募った7人の女性を撮影しました。私達は女性という痛みで繋がっています。被写体の皆様はその思いに賛同してくれたのだと私は思っています。

「私達は共鳴している」
私達は女性として繋がっている。
痛みも、恐怖も、喜びも、強い肉体も。

それぞれの人生は全く違うし、外見も、性格も、全く違う。違う人生を歩んできた別の人間だ。
でも、その人生の記憶の中には共通するものがある。
女性という痛みも悔しさも虚しさも、言葉を交わさずとも私達は同じ感情を知っている。

女性が被写体になる時、それはデモだ。
女性が裸になる時、それは強さだ。



もうひとつの個展は「ひとつの愛しいところ」というタイトルを付けました。
千駄ヶ谷の街中に42箇所設置する写真はこのMEMEのシリーズからと色々な景色や女性の姿で構成しています。毎日見る景色にも、すぐ側にいる人間にも、どんなに見慣れた光景にだってひとつの愛しいところがあると思うし、それを見つけた瞬間、それに気がつけた瞬間、嬉しいんです。忘れたくないなと愛しいです。


「ひとつの愛しいところ」
自分の記憶のその欠片を、私は愛しむ。

写真になった景色は、その瞬間私のものになる。写真を見た人の、その写真の記憶はその人のものになる。

写真になったら、それは過去の景色。
写真を見たその瞬間、それは今の景色。

それは私と誰かが共有した記憶になる。
記憶の、その一瞬の過去は愛しい。
どんな過去にも、ひとつの愛しいところがある。


SAKI OTSUKA同時開催写真展

⬜「私達は共鳴している」
UltraSuperNewGallery
ultrasupernew.com
8/4-8/10(8/4オープニングパーティー18:00-21:00)

⬜「ひとつの愛しいところ」
Jinny Street Gallery
jinnystreetgallery.com
8/4-9/1


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