言葉の必要性と中心
8/11に書いた「私というステートメント」はずっと私が隠してきたことでした。
複雑性ptsdだと他人に話すことで自分が更に傷つけられることを恐れていたからです。まだ病んでるの?メンヘラなの?なんて軽い言葉や表現で他人に言われるのは心をえぐられるようでした。
人とのコミュニケーションは明るく元気に出来るほうで、普段の私からは過去の被害を感じない方が多いと思います。
私の苦しみは消えないのだと、私は知っています。喪失した私を取り戻すことが出来ないからです。
絵や写真の作品の多様さについて疑問を投げられることが多くなりました。まだあなたにはスタイルが無いの?と言われることも多く、その度に私は一貫しているのにと悩んでいました。
私には「ここにいる」という現実が必要です。私は私がいる世界を作品で作り、自画像として私を示す必要があります。
写真は私の人生を写し、私が見てきた社会を写しています。
絵は私がここにいるという、実感であり主張でもあります。
これが私自身です。
私の作品は、私がここにいるという一貫した自画像です。
私というステートメントをたくさんの方が読んで下さいました。
私を知っていただいいて、本当にありがとう。
SAKI OTSUKA
私というステートメント↓
https://note.com/otsukasaki/n/na096965864f2
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