校正とミステリーは似ている論。
子どもを産んでから、エンタメと疎遠になった。
かつてレンタルビデオ屋でバイトするほど映画が好きだったのに、司書に憧れ週末になるたびに本屋や図書館に入り浸っていたのに、前々前世ぐらいのことのように感じる。
読む本といえば、仕事に関するリサーチを目的とした本ばかり。
本棚に並んでいるのも、食、栄養、子ども関連が並び、かつて寝食を忘れるほど愛した小説は、もう何年も読んでいない。
映画に限っては、まず2時間もの時間の抽出が困難だ。
倍速で観たって、時間を浪費してしまっているのでは?とそわそわしてしまう。
そんな2023年の夏に、私はAudible(オーディブル)に出会った。
存在は知っていたものの、耳で読書をしたいなんて微塵も思わなかった2023年春までの私は、音声という概念を作った神様的な誰かの前で、お尻叩き1000000回の刑に処されるべきだと思う。
知ってる?オーディブル。
マジで最高なんだが。
無意識に諦めていた文化的な時間がカムバックする喜びよ!!!!
元々、耳エンタメには親しみがあった。
子どもの頃からラジオをよく聴いていたし、ここ数年はPodcastユーザーでもある。
家事や移動の最中に耳が稼働する生活に慣れ親しんでいたことも幸いし、彼と私のマッチングはなかなか良い感じだった。
以後親密なお付き合いをさせていただいているが、いろんなジャンルを試してみて、結果的にハマったのが、ミステリーである。
今まであまり触れてこなかったジャンルでもあり、ミステリーに没頭するのは、自分としても意外だった。
オーディブルとイチャコラするのは、家事や移動中に限定される。
単純な行為の最中ではあるが、意外と思考はあれこれ巡っているもので、読書(って言うのかね?耳でも。聴書?)から意識が離れてしまうことも多々ある中、ミステリーは違った。
先が気になるので集中して聴けるし、大御所の作品を選べばどの展開にも唸るものがある。
個人的に、今まで知らなかったけど大ファンになったのが、中山七里先生の「御子柴シリーズ」。
(「サスペンス」ってなってるけど、ミステリーとサスペンスって、ざっくり仲間ってことで大丈夫?見た目におけるブルドッグとパグぐらいの関係性っていう理解でもいい?とりあえず仲間ということで許してください。)
御子柴弁護士シリーズは、ドラマにもなってるらしい。全然知らなかった。
映画どころか、もうドラマも何年も観てないのだ。
とにかく、毎回裏切らないどんでん返しでエンタメとして安定した面白さがあるし、プロの声優さんでもあるナレーターの池添 朋文※さんの声色が最高オブ最高!!
人物ごとの使い分けが絶妙で、え?池添さんって何人いるの?っていう。
もーーーーーほんといいのーーーー!!
プロの声優すげーーーーーーーー!!!!!
ってなるよ。これは冗談抜きで。
プロっていうのは、本当に尊いね。
同じ時代に生きてくれてありがとう池添様!!!!!!!!
※池添様は、今、長らく不在だった私の推しに君臨しています。
ところで、現職では、人の文章を校正するという業務が、度々ある。
校正者として何かを学んだわけでも、秀でた才能があるわけでもないので、人様の文章に赤を入れるのは非常に恐れ多い行為ではあるが、個人的にとても好きな業務である。
普段、プロとしてそれぞれの分野でアウトプットをしている尊敬すべき人たちが書く文章というのは、それだけでとても興味深い。
人の文章の癖というのは愛おしく、各々に滲み出る変態性も大好物だ。
「ただ読むだけ」とは異なり、「校正」を目的とすると、俄然集中力が高まる。
眼と言語処理を担う脳の一部が過集中になるため、目が血走る。
そして、音読する。
めちゃ高速かつ小声で、ブツブツ読む。
おそらく人より言葉や「文体の美しさ」に関心が強いこともあって、本人らしさを失わないレベルでの違和感の修正に命をかけるわけである。
人様の大切な文章を、過集中でブツブツ音読している私は、最強に気持ち悪い感じに仕上がっているはずだ。
人は生きているだけで、迷惑をかける罪な存在である。
同僚には本当に申し訳ないと思いつつも、このスタイルがなかなかやめられない。
脳内だけじゃなくて、音読して耳から文章をインプットすると、リズムのズレや長すぎる文章に気がつけるし、正体がわからず気持ち悪い違和感の解決にも大いに役立つ。
この、違和感を消していく作業が、非常にミステリーに似ているな、と感じるのである。
一読しただけでは、どこに犯人が潜んでいるのか分からない。
あれ?違和感がそもそも認識違いなのか?
いや、でも理解がスムーズではないということは、何かしらの原因があるはず……。
そんな、犯人の息遣いの気配に向き合い、何度も何度も音読をして、原因と解決の糸口を見つける過程は、まさにミステリーにおける探偵のそれなのである。
犯人を特定できた瞬間の快感は、なんとも言えない。
ちょー気持ちいい!!!
と、思わず叫んでしまいそうな快感だ。
そう、私は問いたい。北島康介に。
あなたの金メダルのそれは、果たして私のこの校正による事件解決より優るものなのですか?と。
北島康介がアテネで感じた快感を、私は何度でも校正や文章を通して味わうことができる。
幸せなことだ。
書くことも、読むことも、やっぱり好き。
時代はAI全盛期。
キレイな文章という観点で言えば、chatGPTにぶちこんだ方が、精度は何倍もいいだろう。
私は校正のプロではなく、あくまでもただの文章好きによるn=1の感覚に頼った校正しかできない。
むしろ、「正しさ」や「伝わりやすさ」を目指す文章では、すでに大いにAIに頼っている。
それでも、この、文章に関わることで得られる快感には、えもいわれぬエンタメ性があることは確かだ。
好きだと思えるその瞬間は、かけがえのない時間である。
大切に、大切に、味わっていきたい。
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