見出し画像

超進学校における、高校受験組の劣等感について

中学3年間ぼっちで勉強ばかりしていた僕は、晴れて第一志望の高校に合格することができた。いわゆる私立の超進学校である。しかし入学してすぐ、1か月あまりで僕は絶望する。そして残りの高校生活は中学生のころ以上に悶々として過ごすことになる。

何でもできる中学受験組

高校に入学して1か月、高揚感も収まり慣れてきたころ僕はある事実に気づいた。それは自分は勉強しかできないということだ。同級生は勉強だけでなく、スポーツや音楽の才能もある。模擬国連とか数学オリンピックで成果を出している人も多かった。高校生クイズで有名人になったり、高校生ながらアプリ開発している人までいた。そんななか自分が何の才能もないこと、熱中できる趣味がないことがコンプレックスになり始めた。そして自分も「何者」かになりたいと思うようになった。

なぜ中学受験組は多才なのか?

中高一貫の生徒がどうしてこのように多才なのか考えてみる。前提としてみんな頭がいい。また中学受験をするような家庭では、小学生の頃はスポーツや音楽の習い事もしていたに違いない。そして入学してからは目先の受験がないので、時間もある。よって僕が高校受験のため費やしていた莫大な時間を趣味とかに充てることができたのだろう。高校1年時点で、僕と彼らの差は歴然だった。かたや高校入学までスマホを買い与えられずネットに触れたことがなかった人と中学生でアプリ開発する人、あまりにも違いすぎた。

僕も何もしなかったわけではない。高1のころは、高校のOBに話を聞きに行くイベントに参加したり、演劇の端役をやってみたり、ボランティアをしたりした。しかしどこへ行ってもうまく溶け込めず、熱中しているとはいいがたかった。そして黒歴史もたくさん作った。

その理由は1つは実力不足である。先ほども述べた通り、中学3年間での経験値が違いすぎたため、彼らのレベルに合わせられなかったのだ。例えばOB訪問の際、事前に勉強会をしたのだが、みんなはパワポできれいな資料を作って発表をしていた。一方当時の僕はパソコンに触れたこともなかった。皆の前で発表する経験もあまりなかった。こんな感じでそもそもの実力差に加えて経験値の差が、僕が溶け込めなかった要因のであろう。

もう1つはコミュニケーション力がなかったということだ。僕と同じ高校入学組でも、コミュ力が高い人は中学受験組と仲良くなってすぐキャッチアップできていた。僕はずっとぼっちであったため、何か活動に参加しようとしても、そのコミュニティでうまく会話の輪に入れず孤立してしまった。

劣等感、そして絶望

高校1年で「コンプレックスから自分の実力以上のことをしようとして失敗し、孤立する」という経験を繰り返した僕は、そこから一切そういった活動に参加しなくなった。そして中学時代と同じように、基本ぼっちで塾と家と学校を往復するだけの生活となった。このまま何もしない高校生活でいいのか?という疑問はあったものの結局何もできなかった。最終的に志望大学に合格できたので一応報われた(?)のだが、どこか不完全燃焼の感が今でもある。黒歴史を作ってしまったこともあり、同窓会にも行ってない。


ちなみに大学1年の頃も同じ失敗をした。普通の人と違う、意識高い活動がしたくて、投資サークルに入ったもののレベルについていけずに次第に居ずらくなった。いつもの「何者かになりたいがうまくいかなかった」例である。

劣等感の乗り越え方

自分がいい意味で「身の程」をわきまえるようになったのはごく最近、大学3年以降である。その頃になると「何者かになりたい」というコンプレックスが薄れ、自分のペースで行こうと思えるようになった。大学でいわゆる「普通」の友達ができたことが大きい。いままで自分の周りにいた人はすごすぎて、いい意味でも悪い意味でも刺激が強すぎたのだと分かった。そして現実的で自分に合った目標を立て努力することができるようになった。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?