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男子高出身者と明治日本の共通点について【恋愛】

高校時代に、国語の授業で夏目漱石の「現代日本の開化」という文章を読んだ。明治が終わる直前の1911年に、漱石が講演した内容を記録した文章である。

”内発的な動機”のもと、数百年かけて学問や文化を発展させてきた欧米諸国に対し、日本は欧米の圧力を受け”外発的な動機”で開化させられており、欧米が数百年を要した発展をわずか数十年でなぞらなければならない。日本にとってこれらの発展は主体的ではないため、不自然を強いられることになり、結果あちこちで綻びがみられる。というのが、夏目漱石の主張だったと記憶している。

これを勉強した、高校生時点では特に何の感想も抱かなかったが、大学生になって、この時代の日本と「男子高出身者にとっての恋愛」は、アナロジーの関係にあると思った。

男子高出身者(=中高時代に恋愛と無縁だった人という意味)は、大学に入った途端「恋愛」という概念を外発的に与えられる。これまで男子校という言わば鎖国状態の環境でのんびり生きてきた人間にとって、これは結構な衝撃だと思う。

焦った男子高出身者は、恋愛をしようと試みるがこれはあくまで外発的な動機であり、自分の内なる感情から恋愛をしたいと思っているとは限らない。また共学出身者(欧米諸国にあたる)が中高6年間かけて蓄積した恋愛経験値に、大学に入ってから急ピッチで追いつく必要がある。明治時代の日本と同じく、うまくいくはずがないのである。


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