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蟻とガウディのアパート

序章 境内からプラットフォームへ

「友人」

 夏の終わり、水色の園服を着た私は母と一緒に神社の境内にいた。
爪の形をした敷地の先っぽにお社があり、輪郭には背の高い樹木がぐるりと植わっていた。

 小さかった私にとって、道や空き地の地面は距離の近しい友人だった。 
遊びに出かけた先々で、「友人」はいつも違うページを開いて待っていてくれた。 私はしゃがみ込んで、「友人」の自慢の品を手のひらに乗せた。 
  潰してのばせば色水になるやわらかい桜の実
  アスファルトに線を引くとチョークのような粉の出る石
  どんぐりの帽子の方
  タイルのかけら
どれもこれも誰のものでもなく、使い終われば放って立ち去ることのできる遊び道具だった。

 その日「友人」は、あるものを私の目の先に置いた。 命を終えようとしている蝉だった。 ひっくり返ってもがいているのを起こしてあげたくて、私は蝉の足に小石を近づけた。
なかなかつかまってくれないのをもどかしく思ったその時だった。
「つぶしちゃダメよ。」
と中年女性が私に声をかけ、側を通り過ぎていった。 

 「友人」は慌ててノートの間に蝉や境内を挟んでパタンとたたむと、曲がった空間の中に、にゅるんと消えていった。 
私はフラスコの中のようなところに取り残された。 そして、虫かごに入った虫みたいに、入ったら出てこられない言葉があることを漠然と知った。

 背後から母の声がした。
「助けてあげようと思ったんでしょ?」
私は振り返って、こくりとうなずいた。
このときに限って言えば、私は幸運だった。 
母は虫かごから言葉をやすやすと引っ張り出し、フラスコから私をつまみ上げて地面に戻してくれた。
 私は母のスカートのフレアーの間にもぐり込んだ。 ご飯の湯気のような湿り気が、鼻の奥を濡らした。 足元では蟻が行き交っていた。

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