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棺桶職人の背中

 

 トン、トン、トントン、

 トン、トン、トントン、

 

 金槌で釘を打ち込む音が、静かに響いている。

 父は、今日も、いつもと変わらず黙々と棺桶を作っている。

 汗をかきながら、集中力を途切れさせることなく、ただただ黙って手を動かし続ける父の背中からは、安易に触れてはいけないような、声をかけてはいけないような、殺気にも似た迫力が感じられた。

 母は、そんな父親を誇りに思っているようだったが、オルガは、棺桶を作っている父の背中を見るのが、大嫌いだった。

 なぜ自分が、棺桶職人の家に生まれてしまったのか、何度も、その運命を呪い、父を恨んだ。


 「死神の息子」

 「呪われた家」

 「悪魔」

 

 これまで、たくさんの言葉を投げかけられたが、親友からかけられた言葉は、ことさら胸に重く重く沈み込んだ。


「僕の母さんが死んでしまったのは、お前の親父のせいだ!お前の穢れた血のせいだ!死神!母さんを返せ!」


 親友だったはずの同級生は、そう言って、まるで本物の死神でも見るように、僕を睨みつけていた。彼の瞳に映る自分の姿が、本当に死神の姿をしているのではないだろうかと恐ろしくなって、思わず僕は目をそらした。


 親友から死神と言われた日、僕はとても怖い夢を見た。

 父親が作った棺桶に入れられ、生きたまま埋められてしまう夢だった。

 

 ドンドン! ドンドン!

 ドンドン! ドンドン!


 必死になって棺桶の蓋を叩くけれど、その音は誰にも届かない。

 

 トン、トン、トントン、

 トン、トン、トントン、

 

 父が釘を打つ音に、かき消されてしまうのだ。

 その音は僕の頭に侵入し、内側から強く大きく鳴り響き、まるで世界全体に響き渡っているようだった。「出してくれ、出してくれよ!」と叫んでも誰にも聞こえない。誰にも気づいてもらえない。胸の奥の奥の方から、恐怖が、自分の力では押さえつけられないくらいの強い力で、湧き上がってくる。

 やがて、大きな穴に棺桶ごと入れられ、砂をかけられる。次第に酸素が薄くなっていく。

 暗闇だけが僕を包み込んでいた。汗も涙も関係なく、死にもの狂いで蓋を叩き続けるが、誰にも聞こえない。届かない。

 「たすけて、たすけて,,,」

 うわ言のように呟いた時、ようやく目が覚めた。いつもと何も変わらない、自分の部屋の天井。お気に入りのパジャマは汗でグッショリと濡れ、涙と鼻水で顔はグシャグシャになっている。必死になって棺桶の蓋を叩いていたはずの右手は、強く強く握りしめていたから、掌に、くっきり爪の跡が残っていた。


 父が棺桶なんか作っているから、僕は親友も失い、訳の分からない恨みをかって、耳を塞ぎたくなるような言葉を投げつけられるのだ。僕は、ますます棺桶を作る父の背中が大嫌いになり、父の存在自体を憎み、こんな家に生まれた自分の運命を呪った。

 まるで、あの日みた悪夢のように、生きながらにして棺桶に閉じ込められているようだった。助けを求めても、誰にも声は届かない。誰も手を差し伸べてはくれない。

 いつの頃からか僕の心の底には「もう、どうでもいい」という諦めの気持ちが、まるでヘドロのように溜まっていった。


 それでも、一度だけ、父に怒りをぶつけたことがある。言ってはいけないと、どこかで抑えていたものが、突然、自分の中から湧きあがってきたのだ。

 「なんで父さんは棺桶なんか作ってるんだよ!そのせいで、僕がどれだけ辛い目にあっているか、分かってるのか!」

 火山が噴火するみたいに、あふれ出てくる熱い感情を、そのまま言葉にして、声にして、思いっきり父にぶつけた。怒られるかもしれない。殴られるかもしれない。そう思ったけど、父は、困ったように、悲しそうな顔をしているだけだった。

 背中をさすってくれようとした母の手を払いのけ、僕は家から飛び出した。

 僕の名を呼ぶ母の声が聞こえたけれど、もう、すべてどうでもよかった。流したくなんかないのに、勝手に涙が目からあふれ出た。

 自分が走ってるのか、ただフラついているだけなのか分からないまま、気付いたら、村のはずれにある丘の上まで来ていた。夜の闇に、自分の呼吸の音、涙の音が、静かに響いている。

 ふと、空を見上げると、まん丸い月が、ぽっかりと浮かんでいた。その光は、とても優しくて、自分を励ましてくれてる様な気がして、それに甘えるように、僕は声をあげて泣き続けた。

 今まで言われてきた多くの汚い言葉を思い出し、悔しくて悔しくて仕方がなかったのだ。

 父を「死神」と呼ぶ奴らを許せなかった。僕の大切な家を「悪魔の家」という奴らを思いっきり殴りつけてやりたかった。そして、なにより、そいつらに何も言い返せない、臆病な自分の事が、大嫌いだった。

 まるで遠吠えでもするように、僕は泣いた。涙も鼻水も声も、自分の中から湧いてくるままに出した。


 「オルガ」


 振り返ると、父と母が立っていた。月に照らされた2人は、とても幻想的に見えた。

 母は、何も言わず、僕を抱きしめた。幼い頃に嗅いだ、母の匂いがした。僕の中にある憎しみや怒りや悲しみが、すべて包み込まれているようで、自分の心が、ゆっくりと落ち着いていくのを感じた。

 「オルガ、すまない。何もしてやる事ができなくて」

 父は、母と僕を静かに抱きしめた。その身体からは檜の匂いがした。父になんて言っていいのか分からず、僕は泣くことしかできなかった。

 

 あれから一度、父の仕事を見せてもらったことがある。どうしても見てみたいと、父に頼んだのだ。

 父に連れられ作業場に入ると、檜の良い匂いがした。父の身体と同じ匂いだった。この部屋だけ時間の流れ方が違うような、不思議な空間だった。

 作業台に乗っている棺桶を見たとき、僕は、思わず息を呑んだ。施された装飾が、あまりに美しかったからだ。これを作り上げるのに、父は、どれだけの時間と労力をかけたのだろう。

 「これは、ジェイスさんの棺桶なんだ」

 そう言って、父は、悲しそうに優しく、棺桶を撫でた。

 ジェイスさんは、近所に住んでいたお爺さんだった。「頑固ジジイ」だの「へそ曲がり」などと村の人達から言われていたが、僕は大好きだった。確かに怖いところもあったけれど、それは僕が悪戯をして、人に迷惑をかけた時だけだった。

 ジェイスさんは、一度も父を、父の仕事を、悪く言わなかった。

 「なぁ、オルガ」

 学校にうまく馴染めない僕を、ジェイスさんはよく家に招いてくれた。先日も、いつもと同じように、声をかけてくれたのだ。考えてみれば、あれがジェイスさんと話した最後の時間だった。

 「お前、親父さんのこと、色々と言われてるみたいだな」

 「色々なんてもんじゃないよ。最悪だよ。この前なんか僕まで死神だって言われたんだから」その時の親友の目を思い出し、僕は顔をしかめた。ズンと胃が重たくなるのを感じる。

 「死神とは、そらまたキツイ言葉だな」ジェイスさんはそう言って、美味そうにお茶を一口すすった。つられて僕も、出してもらったジュースを飲んだ。オレンジの甘さと香りが口の中に広がった。

 「どうして村の者は、そんなことを言うんだろうな?」

 「そんなの知るわけないよ。考えたこともない。棺桶なんて気持ちの悪いもの作ってるから嫌われてるんじゃない?」

 「これはな、私の想像にすぎないんだが」また、お茶を一口すすって、ジェイクさんは続けた。その目が、一瞬、暗くなったような気がした。「皆、怖いんだよ。死が、怖いんだ。だから、できるだけ死というものから目を逸らして生きていきたいんだ。でもな、それでも、死は必ず、すべての者に訪れる。避けることのできない怖さから目を背けたいがために、皆、お前たち家族に、やり場のない怒りをぶつけているのかもしれんな」

 そう言って、ジェイスさんは、どこか遠くを見るような目をした。その目が、とても悲しそうで、寂しそうで、どうしてそんな目をしているのか、その時の僕には分からなくて、「そんなの、勝手だよ。そんなこと言われても納得できるわけがない」と、自分の怒りを言葉にすることしかできなかった。

 「今は分からなくてもいい。その歳で分かれという方が酷だ」ジェイスさんは目を細めて、僕の頭を撫でた。ジェイスさんは、若い頃からずっと木こりをしていたから、手がゴツゴツしていた。僕にとって、ずっと憧れの手だった。

 「しかしな、いずれ、お前もきっと分かる時がくる。お前は、お前の親父さんは、悪魔なんかじゃない。もちろん死神なんかでもない。多くの者が怖がって、できない仕事をしてくれているんだ。お前の親父さんが、誰に何を言われたとしても、心を込めて、いつも棺桶を作っていることを、私は、ちゃんと知っているよ」

 その時の僕が、ジェイスさんの言葉の意味を、すべて理解できたとは思えない。でも、その言葉は、僕の中にある、何かを救ってくれた気がした。


 葬儀は、穏やかな雨のなか行われた。父が作った棺桶に納まっているジェイスさんを見たとき、どこからか声が聞こえてきたような気がした。不思議に思って隣に立つ父や母を見やると、2人とも、静かに静かに泣いていた。今の声、聞こえた?って確認したかったけど、そんなことする必要なんてないかもしれない。きっと、2人の心にも届いているだろうから。

 「こちらこそ、ありがとう」と、僕はジェイスさんに別れの祈りをした。そうしたら、ジェイスさんに怒られたことや、ほめられたこと、頭を撫でられたことなんかを急に思い出して、自然と涙がこぼれた。

 

 ジェイスさんの葬儀からの帰り道、僕のすぐ前を、父と母が歩いている。

 ずっとずっと、大嫌いだったはずの父の背中を、今、僕は少し誇らしく感じていた。

 いつの間にか雨はあがり、雲の隙間から光が差し込んでいた。





  



  トン、トン、トントン、

  トン、トン、トントン、


 金槌で釘を打ち込む音が、静かに響いている。

 釘を打つ振動が、手から腕、全身へと心地よく伝わってくる。

 

 誰もが、いつか必ず最期の瞬間を迎えて、身体はまるで抜け殻のようになってしまう。でもそれは、決して、単なる抜け殻なんかじゃない。

 残された者にとって、その人と一緒に過ごした、大切な”しるし”なのだ。

 それは悲しい思い出かもしれない、相手を憎む気持ちかもしれない。あんな奴、めちゃくちゃ大嫌いだった!っていう想いかもしれない。

 たとえそれが、どんな想いや感情であっても、そこに正解も不正解もなくて、ただただ、まぎれもなくそれは、この世界で誰かと誰かが共に過ごした、大切な”しるし”なのだ。

 

 だから、僕は今日も、心を込めて、棺桶を作る。

 あの頃、大嫌いだった父の背中を思い出しながら。



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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

今回は、 kagetora1130さんの写真をもとに、描かせていただきました。

kagetora1130さん、ありがとうございます。


今日も、すべてに、ありがとう✨

 

 





 


 今年の夏は、とても暑く、その日は特に寝苦しい夜で、僕は、なかなか眠ることが出来なかった。時計を確認すると、午前3時を指している。はぁ、と小さく溜め息をつき、渇いた喉を潤すためキッチンへと向かった。

 キッチンへと向かう途中、ふと見ると、父の作業室の扉が少し開いていて、隙間から灯りが漏れていた。

 まさか、こんな時間まで仕事をしているのか?

 父に気づかれないよう、恐る恐る、隙間から部屋の中を覗いてみた。灯りに照らされた父の背中が見える。その背中が、わずかに震えていた。

 完成した棺桶の前にひざまづき、父は静かに泣いていた。そんな父の姿を優しく包み込むように、見守るように、灯りが照らしている。

 僕は、見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって、慌てて自分の部屋へと戻った。まるで何か大切な刻印でも押されたように、さっき見た父の後ろ姿が、僕の心に焼き付いていた。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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