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おとしごろ離婚 substory003_ひねてるようで真っ直ぐな人。らしく生き抜いた新宿三丁目のギタリストKeny。<前編>

アラフォーくらい生きてると、人の生死に立ち会ったことも幾度かあります。この回はその中の一人、大切な友人の話を。

新宿三丁目。ロックバーはバンドマンの巣窟。

レコード音は大きいし、話す声は大きいし、タバコの煙はモクモクだし、集まる人は皆がみんな音楽が好き。
まったくもって最高なsubstory002の店にKeny(仮名)はいた。

正直言って、最初の印象は「陰気な奴」。
猫背でちょっと斜に構えた話し方。相手の様子を伺うようなその風情はとっつきにくい印象だった。

「aya、こいつKeny。俺一緒にバンドやってんだよ」
前から仲良くしていたドラマーの飲み仲間に横から声をかけられた。
私もボーカルとしてバンドをやっていたので、そのように紹介されることはよくあった。
「へぇ〜!この人と一緒にやるの大変でしょ!笑 楽器は?何されてるんですか?」
「あ、ギター。やってる・・」
「そうなんだ!今度聞かせてね!」

間にドラマーの彼を挟んで、3人で音楽話に盛り上がった。
ボソボソと癖のある話し方ではあるが、お酒も手伝って、
実は結構、人好きの話好きなのだとわかった。
つまらないジョークがたまに傷だが。

それからは会えば一緒に飲んだり、鍋パしたり、
イベントで一緒にバンドを組んで演奏したりもした。
この人、ギター弾いてるときはすんごく空気が読める。
一緒にバンドをするのがとても心地よい人だった。

どストレート。振りかぶって投げました!

ある週末、いつものように大音量に酔いながら飲みふけって、そろそろ帰ろうかとしていた時だ。
「あ、もう一軒、どっか行く?」とKenyに声をかけられた。
「マジ?全然いいよ〜!」まだ20代の頃だ、軽い気持ちで次の店に伴った。

つぎ一緒にバンドするならどんな楽曲をやりたいか、ギターへのこだわりや、好きなお酒の話を語り合って、良い時間を過ごしたその帰り道、
途中まで送ってくれたKenyが突然立ち止まった。
「お、どしたん?」
「あのさ」
「うん」
「付き合ってください!」
・・ドラマや漫画でしか見たことがない、まっっっすぐすぎる告白だった。
「ごめんなさい!」
・・まっすぐには、まっっっすぐで私も答えた。
「でも、こんなふうにキチンと正面から告白されたの、はじめてで私、今すごく嬉しい!!握手してほしい!!!」
「なんだよそれ!笑」
「これからも変わらず仲良くしてね!」
「おう。」

本当に変わらず仲良くしてくれたKenyには感謝しかないのだけれど、
そのうち、私は結婚して子育てをし始め、なかなかお店に顔を出すことがなくなった。

そして、その間にKenyは癌になった。

俺らしい生き様

SNSで繋がっていて、バンド活動の様子などを見知っていた。
ライブ映像もアップしてくれていて、空気の読めるKenyのギター演奏を観るのはたまの楽しみでもあった。
そのSNSでKenyは、癌になったことを告白した。
それはまた、いつかのようにどストレートに。

闘病は4年ほど続いたと思う。
その間、体調がいいときは弾き語りの動画をたくさん、たくさん、アップして残してくれた。
変化していく容姿も記録し、それでも自分はどう前向きなのかを発信することもあった。
健康であるはずの私たちのほうが勇気や気力をもらうことも多々あって、本当にかっこいい男だと思った。

闘病の後半は、自宅で過ごし、BARの仲間やマスターはかなりの頻度で足を運んでいるようだった。
体調がいよいよ芳しくないと聞いて、マスターと一緒にお見舞いに行く話も出たが、あとからマスターに断られた。
不自由な姿をayaに見られるのは男のプライドに触るのだそうだ。

現実味がないニュース

そのように体調が悪いと聞いてはいたものの、所属しているバンドでは体調の波をかいくぐってリモートでライブへ出演するなど、ギリギリまで「俺らしい生き様」を貫いていた。

なにか、もう一回持ち直すのではと思わせるそのライブの後に、
とうとうKenyは天国に旅立った。

SNSやsubstory001のメンバーからも連絡を受け、「とうとう逝ってしまったか」と他人ごとのようにぼんやり考えていた。
意味はわかるが、言葉が宙に漂うばかりで、どうしたって現実味がない。

すぐマスターに連絡した。
<マスター、葬儀はいつだって?>
<家族だけで小さくやるみたいなんだ。しかも急だけど明日なんだって。俺は行くよ>
<そうなんだ、ずいぶん急だね。仕事があるから、行けないかもしれないけど、時間にはお空にお祈りするよ>
<ん。気は心!ありがとな>

現実味がないし、きっと嘘だし。
まったくもって正常な判断ができなかったなぁと今ならわかる。

最期のお別れの日。

翌朝、いつものように子供を送り出し、リモートで出勤をした。
朝一番で今日の面接対応を同僚と整理しているとき、同僚に切り出した。
「あのね、昨日ね」
「おん、どないしたんすか」
「友達が亡くなってさ、なんか現実味なくて今こうしてるんだけどコレでいいのかって思っててさ」
「何してるんすか!行ける距離ならすぐ行ってくださいよ。後悔しないんすか?」
「・・・する気がする。でも面接が、」
「面接なんか一人でもなんとかなるし、他にも頼める人もおるから!急いで行ってください!」
「そうだね…、そうだね!ありがとう!私、行ってくる!」

同僚に背中を押され目が冷めた。
その後はリモートワークになってからは使っていなかった黒いスーツを引っ張り出し、泣きながら着替えて、踵がとれた黒いヒールをとにかく履いて、雨の中を駆け出した。

家族葬のため、すぐ火葬になってしまうと聞いていた。間に合って・・!
<マスター、わたし、やっぱり行くわ!>
<昔からお前は、そういう女だよ。しびれたわ。>

判断能力が低下している私にかっこいいも何もないのだが、祈る思いで手すりを握りしめ、電車を乗り継ぎ、なんとか時間前に葬儀場へついた。

えっと、家族葬ですよね?

葬儀場のロビーに集まることになっていたのだが、入ってみると明らかにおかしい。
見知った顔も、知らない顔も、Kenyの参列者と思われる人が100人はいるのだ。
みんなだって私と同じように、平日に突然、翌日早々の葬儀を聞いたはずだ。その中で何をも優先してここに来たのだ、Kenyに会いに。

あまりの人だかりに葬儀社の方も想定外の対応に追われている様子だった。
ご家族がロビーで声を張って挨拶をしてくださった。

「皆さま、今日は私どもの息子のために、こんなにもたくさんの人にお集まりいただきまして、まずは本当にありがとうございます!
私ども家族は遠く離れて暮らしておりましたので、なんだか癖のある性格の息子がこんなに沢山の方に良くしていただいたのだと今知って、そして息子のことを私は何も知らなかったんだなと、恥ずかしい想いです。
そして、そのように温かく関わってくださる皆さまと絆をもった息子に、私は喜びと誇りで胸がいっぱいです。本当に、本当に、ありがとうございます!
簡易な葬儀にしてしまい、おもてなしの一つもなく、大変心苦しいのですが、どうか、花を手向けてやってください。」

あちこちですすり泣く音が響く中、Kenyの棺に花を手向けにみんなで移動した。
とても切ないことだが、家族葬の場合、花を手向けたらもう帰宅していくシステムなのだ。

生前に会うことが叶わなかった私は、リアルで顔を合わせるのはもう何年ぶりのことだ。
棺に近付くにつれ、足元の床が抜けてなくなっていくようだった。
心細くてBARの顔見知りの数人にお願いして一緒に列に加わった。

棺にKenyはいた。
最期まで闘い抜いた、勇ましい姿がそこにあった。
花を手向けて、少し手に触れて伝えた
『Keny、すごく頑張ったね、最期までかっこよかった、ありがとうね』
もう、受け入れるしかないのだ。これは事実で直接話をすることは、
もうできないのだ。

涙が止まらなくなり、一人では立っていられない状態だった。
みんなが順に部屋を出る中、しばらく椅子をお借りして気持ちが落ち着くまで時間を要していた。
いよいよ火葬へ送り出し、みんなが帰路につくころ、ようやく我に返って思い出した。

あ、御香典渡してない。


今回もお読みいただき、ありがとうございました。
何度も思い返しては、鼻をすすり目を腫らしながら書きました。
Kenyへの想いを込めた長文が、あまりにも長文なため後編に続けてお届けいたします。

こうやって出会った人たちの感性や要素も私の中に息づいている、大切な生きる源です。
ここに辿り着いてお読みいただいた方にも、力や心根が届きますように。

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