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【芋雑誌🍠】イモヴィデンスの目

イモヴィデンスの目



※こんな感じのシンボルは『映画版 焼きいものがたり Vlog失敗編』のOPに出て来た


いもげん:今日は都市伝説系の話をしていきましょうか(笑)


大佐:はっはっは!三角形△と目👁。フリーメイソンかね?(笑)


芋焼夫:もう始まっちゃってるんですよ。信じるか信じないかはあなた次第。


蔓延るシンボル

芋焼夫:「△と👁」。これはですねえ。確か、アメリカ紙幣、ウクライナ紙幣、エストニア紙幣、フランス人権宣言の版画、立憲民主党の本部のアレ、アメリカの国章等々、それっぽいのが色々ありますね。


大佐:そうだねえ。何だか思想が強そうな感じだねえ。


いもげん:私はそんな意味合いで映像に組み込んだわけではないですよ(笑)。


フリーメイソン?

大佐:そうだねえ。我々は、「思想は💩だと思っている💩」だからね。目といったらプロビデンスの目…。フリーメイソンとかおいもだしちゃうね。


いもげん:そうですね。私は詳しくはないですが、フリーメイソンに関して、最初期はかなり中世ヨーロッパの石工組合やギルドから発展したとか何とか。少なくとも最初期はまともであったようにもおいもますよね。


大佐:そうだねえ。ちょっと後に歴史に出てくるようなフリーメイソンの人は何だか毛色が違ってくる。フランス革命とか、日本にもタッチして来ているのは伺える。現代では何をやっているのか分からないね。東京タワーにふもとにロッジがあるとかねえ…。


いもげん:私も全然わかりません。我々もうちょっと他人に興味を持つべきですね。歴史とか興味が無さすぎる(笑)。まあ、印象としては理神論的な傾向があるような気がしますね…。


大佐:そうだなあ。歴史とか興味ない。だって私は160腸歳だからな(笑)。なんてね。理神論と△の👁…。納得…?

三角形と目

最近では陰謀論とかあって「△と👁」を出すとやばい奴扱いです。シンボルがなんちゃら的な思想がくっついて面倒です。「あっち側に加担している!」みたいになるらしいです(笑)。しかし、アーティストとかは良く使いますよね。またイベントとかでも目とか強調されていたりします。アーティストはシンボルとかを表現に使いたがっているのか?皆そんな感じなので独自性がないですよね。そんなに人を惹きつけるのでしょうかねえ?


大佐:さあね。人間の考えることなんて興味ないね。我々は陰謀論者になりきることも出来ない。まあ、160腸年見て来て世界に陰謀conspiracyは…やっぱりあるよね。でも、やはり究極的にはそんなこと我々庶民に知りようがない。もっと純化させようよ。深掘りには道具も儀式も要らない。ただ純粋に深掘るのみ。

「△と👁」。これを純化させれば、「認識、観察、見渡し」って感じ。「△」は「▽」ではならないね。「△と👁」であることに意味がある。


いもげん:それはなんとなくわかりますね。原初的な感覚でしょうか。仰ぎ見る崇高な天の目。しかし、社会的な意味を帯びると、「ピラミッド、階級」を連想します。


大佐:そうね。我々はピラミッド、階級嫌いだよね。磐座とか見ている方が好き(笑)。ピラミッドより竪穴住居とかの方が美しい(笑)

それは良いとして。「△」に横線を入れると階級がくっきり見える。然し、ここでは「認識、観察、見渡し」などの面から考えたいも。上を向いているというのはある程度納得するんだよなあ。ユング的、宗教学的な発想に近いのかもね。


いもげん:なるほど…。

楕円形と目

いもげん:目はどうですか?これは楕円形ですよね?


大佐:楕円形と🍠型は似ている。今おいもだしたけど芋蜜教徒として京都に旅行に行ったの最近だったよなあ。あの…結構さ…。楕円形いっぱいあったよなあ。


いもげん:空海さんとかも🍠が好きだったのではないかと疑っています(笑)。東寺で立体曼荼羅とその絵が観られたのは凄い体験でしたね。そして五重塔は凄かった。東寺また行きたい。空海さんも中々🍠好きだったのではないかなあとおいもました(笑)。


大佐:例えば、楕円は正円と正円二つで出来る。円Iの中心Oは円Mの円周上の点でもある。円の中心であり円周である。楕円で白目向いて昇天する。楕円は狂気を伴う。円Iから円Mへの移行はしんどいも。


芋焼夫:興味深い。楕円の中に正円を入れることも出来そうです。眼球ですね。目を作った創造神とやらは実に芸術的、美的感覚がある。いや、認識論的な問題か、存在論、意味論…すべてが芋づるで繋がっていく。私にはやはり分かりませんよ。創造神がいたとして、そこにアクセスできるわけはありません。原理上不可能であり、不可知だということは分かります。信じるか信じないかはあなた次第。


いもげん:なるほど。やはり私は「全てを見渡す、統一する、理性によって暴きたてる」ことは難しいとおいもます。強烈にわからない。それが現状の認識です。


大佐:まあ、お前程度のポンコツに何が分かるかって話さ。目が目を見ることは可能か。まあ然し、この世は結構複雑に出来ている。自己言及性というのは厄介だし、集合論というの烏合の衆合論かもしれない。ひとりとは何なのか。ひとりになるというのは何なのか。(レヴィナス的な暗い意味で言っていないつもり。)どうやら、お釈迦様の掌の上で転がされているだけなのかもしれない。お釈迦様ファンとしてはご褒美か?。やはり我々が観察、認識、見渡しに芋づるで繋がっていく話としては西洋的に言えば、「弁証法的な運動性、運動会」があるというのがかなり的を射ているように思え、また東洋的に言えば「禅」、「和」というのが的を射ているように思える。的に当たったのを観て手を放す。そうすると的の中心に矢が当たる。う~ん。締めに入ろうと思ったが、実に難しいね。上手いこと言えなかった。


いもげん:私は脳に血がいきやすい。首の血管が破裂寸前。とても凝りやすい。観念的になりやすい。お外で自然の複雑性と戯れながら、眩暈を喰らいはしゃぎまわるべきですね。そして又、考える。このサイクルを回していくほかないかもしれませんね。

脱線の罪

芋焼夫:ちょっと!お二方!全然話が違う方向に行っていますよ!理性を取り戻して!


大佐:やかましいも!てめえの目を覚ましてやる!てめえの目は節穴か?


いもげん:やめてくださいも。まあ、△と👁はおいも白いシンボルなのはかわりません。三角形、楕円、正円。そして3。実に謎。シンボルが社会的な意味を帯びてくると残念。

こんな時代だからこそ、しっかり目を開いて蜜めていきたいものですよね!「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」。


大佐:すまなかった。焼夫。確かに、我々は矛盾だらけで、ふざけだらけだ。世間体は良くないも。然し、常に命がけでふざけている。天上天下唯芋独尊!もっと笑い合おうぜ!

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